貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

一陽来復は一陽来福 

2019-12-22 09:04:22 | 日記

一陽来復は一陽来福 

令和元年12月22日

 今日は冬至。

 朝食に南瓜。小豆をのせて

戴いた。

 夜は柚子湯に入る。

 柚子も近所で戴いた。

 有り難し!

 英語では、「the winter solstice」 

または、「the shortest day of the year」

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 冬至は太陽の力が一番
 
弱まった日。
 
 この日を境に再び力が甦って
 
くることから、
 
「一陽来復」という。
 
 私にとっては、
 
「一陽来福」だ。
 
 
 生家の裏にある釣月軒
 
(ちょうげつけん)は、
 
芭蕉が29歳の時、
 
『貝おほひ』という自ら署名
 
出版した唯一の書物を執筆した
 
処。
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 その序文には、

「寛文拾二年正月廿五日伊賀上野

松尾氏宗房釣月軒にして

みづから序す」とある。

 伊賀にいた頃の芭蕉は、

通称の宗房(むねふさ)をそのまま

俳号として使っている。

 芭蕉と名乗るようになった後も、

伊賀へ帰省の折にはこの建物で

起居している。

「無名庵」は伊賀の芭蕉五庵の一つ。 

伊賀の門人たちが芭蕉に贈るため、

ここ生家の裏庭に建てた庵。

元禄7年8月15日、

芭蕉は新庵披露をかね月見の宴

を催し、門人たちを心から

もてなす。

 その時、詠んだ句が、

「冬籠り 

  またよりそわん 

    此はしら」

  句意は,

「今年は久しぶりに自分の

草庵で冬籠りをすることに

なった。いつも背を寄せ親し

んできたこの柱に、今年もまた

寄りかかって、ひと冬閑居を

楽しむことにしよう。」。

  古里に勝るものなし!

 特に、晩年、誰もがそうなるのが、

人の常ではあるが・・・。    

一陽来福に深謝するのみ!