貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

時鳥の本意は?

2021-05-20 14:50:59 | 日記

時鳥の本意は?

令和3年5月20日(木)

 今日から鳥の句に!

 先ず、ほととぎす。

 時鳥、郭公、不如帰、子規、杜鵑など

漢字は多い。

またぬのに 

  菜売に来たか 

      時鳥

  ・時鳥はいっこうに鳴かず、

聞こえたと思ったら、

待ってもいない菜を売り歩く

商人の声であったか、の意。

 ・延宝五年以前の作。

 ・平 親宗

「有明の 

   月は待たぬに 

       出ぬれど 

    なほ山ふかき

       郭公かな」

(新古今集)を踏まえる。

 ・菜売・・・「菜買う」の声を

上げて売り歩いたという。

「菜買う・・・鳴こう」の言葉遊びを

使いながら、菜売りとの対比により、

時鳥の本意である待ち続ける心を

詠んだと見られる。

 が、一気に読み下せば、

まるで時鳥が菜売りに来たようでもあり、

そうとると、敢えて本意に逆らった作

ということになる。

◎ ほととぎすの一声を待ちわび

ていると、どこか遠くでそれらしい

声がする。

 ところが、近づいてみると、

それが待ってもいなかった菜売り

の声だった。

 四季折々、季節の菜を売り歩く

のんびりした景色がほととぎす

という鋭い鳴き声と混じり合い、

江戸時代の街の音を気持ちよく

表現しているかな。

 それも、ほととぎすと菜売りでは、

格が違いすぎると批判する人も

いたらしい。