令和4年7月9日(土)
第12番 名西郡: 焼 山 寺
小雨降る中、20分ぐらい
小雨降る中、20分ぐらい
山道を登りつめる。
道は狭くなったり:・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/4e/f46068a18845f52530aa56df17c4a22e.jpg)
当寺は、大宝年間(701~704)に、
役行者・小角が山岳修験のため、
庵を結び、
蔵王権現を祀ったのが始まり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/b2/720e0c2ee3c292a2a4fb64113dfe9598.jpg)
標高938㍍の山腹に建つ
第十二番目焼山寺の山道は
修験道の修行地に相応しく、 昔ながらの遍路道を面影を残し、
大師所縁の遺跡も多いという。 この山には神通力を持った大蛇が
棲んでおり、
村人を苦しめていた。
弘法大師が修行のため登山した時も、
村人を苦しめていた。
弘法大師が修行のため登山した時も、
全山火の海になり、
大蛇が妨害したという。
大師が垢離取川で身を清め、
大師が垢離取川で身を清め、
印を結び、
真言を唱えながら山に登ると、
火は消えていった。
しかし、九合目まで登ると、
しかし、九合目まで登ると、
今まで村人を苦しめていた大蛇が
大師を襲ってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/83/687e0905fbc85ca45a64d528fce26c00.jpg)
その時、光明とともに虚空蔵菩薩
が現れ、菩薩の加護により
弘法大師が岩窟に封じ込めた。
その岩窟は境内から歩いて
その岩窟は境内から歩いて
30分の奥の院へ行く途中の道筋
に残っている。
大師は村人の招福除災を願い、
大師は村人の招福除災を願い、
三面大黒天を謹刻され、岩窟に安置。
護摩の秘法を勤修して以来、
天変地異は起こらなくなったという。
天変地異は起こらなくなったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5d/6e80eaec93d61160f8fe97de5bc13ddf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/62/bed4456fbd3964612dce90ab5c2e1e5b.jpg)
弘法大師が自らが刻んだ
虚空蔵菩薩を本尊とし、
寺号を大蛇の火の海にちなみ、
寺号を大蛇の火の海にちなみ、
焼山寺と名付ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/59/c5a632c54ce8dd6132c62d1b70c67fbf.jpg)
大師尊像
仁王門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/1f/5a9c98d21a6df5428b133c71d4141a65.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/02/297577e7ebbbc0300368401637de4927.jpg)
本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e0/b08ee2864001b70e30f60efe63756e4b.jpg)
鐘楼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/f8/87e0fa6ca908da5bd6104693cfa784a2.jpg)
帰路につく手前で、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ad/f6f6ccca0193fe3c78496120d1cde6e2.jpg)
今参拝できることにも感謝して・・・。