令和4年7月24日(日)
白河の関の有名な古歌碑もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/42/9b1c1dade00fd1458a6e8caeec687512.jpg)
36歌仙の一人として有名な
平兼盛と能因法師と頼朝の側近の
梶原景季の歌だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/d3/f3839d03f4e34d14093440eac63acc01.jpg)
「便りあらば
いかで都へ
告げやらむ
今日白河の
関は越えねど」
平兼盛
「都をば
「都をば
霞とともに
立ちしかど
秋風ぞふく
白河の関」
能因法師
「秋風に
草木の露を
はらわせて
君が越ゆれば
関守もなし」
梶原景季
白河の関が、この場所にあったという
白河の関は、鼠(ねず)ヶ(が)関(せき)・
白河の関が、この場所にあったという
白河の関は、鼠(ねず)ヶ(が)関(せき)・
勿来(なこそ)関(ぜき)とともに、
奥州三関の一つに数えられる関所だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/79/55b404f15e8e0fcb461b19011ffc11fc.jpg)
発掘調査も進んでいるので、復元も
期待したい。
鎌倉時代の歌人従二位藤原宮内卿家隆が
鎌倉時代の歌人従二位藤原宮内卿家隆が
手植えしたと伝えられている
樹齢800年の枝振りの見事な杉も堪能。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/89/65854326530fe58f7fd0440eaff070eb.jpg)
奥の細道の文学碑もきちんと
おさめられたり、上人様のご詠歌碑もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2e/3d8a98d43c8a4e189967f75cf11a8a03.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/13/852037c436cb86cb69ca1f20594c9d33.jpg)
「白河の関」の項を、
「卯の花を
「卯の花を
かざしに関の
晴れ着かな」
曽良
の一句までが記されている。
の一句までが記されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/7b/df8c2babdad690b9d11d20d6d483c060.jpg)
ちょっぴりいそいそと、
またある所では、しっとりと
公園内を回り、神社参詣もできた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/79/9d908d6d5d3cacc12a2e41b2f2b6c665.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ae/14061080ea4ec089740907662b3f6f20.jpg)
深謝、しんしゃ!!!