令和4年7月20日(水)
那須温泉神社
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暮らしの館という所に寄る。
急激な社会の変化は、
大切なものを喪失。
それに気づかせてくれた。
暮らしにとって大切なことを
暮らしにとって大切なことを
今一度見直すことが、
生き方を多少は変えるだろう。
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そんなことを考えながら、温泉神社へ。
ここも二回目である。
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芭蕉は元禄2年(1689年)4月19日
(陽暦6月5日から7日の間)に
那須温泉神社に詣でた時、
那須余市が平家の扇の的を射抜いた
という、矢を拝見したそうだ。
現在は拝観できないが、
現在は拝観できないが、
宝物として所蔵しているともいわれている。
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句は、
「湯をむすぶ
誓いも同じ
石清水」
この句碑に刻まれた書は、
この句碑に刻まれた書は、
徳川氏の奥八城太郎弘賢(屋代弘賢)
によるもの。
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残念ながら、この句は推敲の段階で
ボツにしたらしい。
ただ曾良日記にはきちんと記されて
いる。
芭蕉は沢山の句を奥の細道で詠んだが、
紀行『おくのほそ道』に取り上げたのは
ほんの一部でもある。
他、昭和天皇の歌碑や
他、昭和天皇の歌碑や
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/75/e475d6ba77b204b46426c554f82d6435.jpg)
現天皇陛下の家族で詣でた祈念碑もあった。