令和6年4月26日(金)
鹿島市: 根本(こんぽん)寺
仏頂和尚は
この根本寺と深川の臨川寺を
往来していた。
<根本寺本堂>
芭蕉が禅の修行をしたり、
いろいろ教えを乞うたりした
仏頂和尚は、
相当の魅力ある人物のよう。
仏頂面ではなさそうだ。
鹿島神社との訴訟で
鹿島神社との訴訟で
勝訴するということからも
理解できる。
九年間に及ぶ勝訴で、
その後は隠居の身となられる。
<芭蕉句碑>
芭蕉句碑の句は、
「寺に寝て
まことの顔なる
月見哉」 。
月見哉」 。
しかし、
月を愛でる幸運には恵まれず。
「鹿島詣」には、
「あかつきのそら、
「あかつきのそら、
いさゝかはれけるを、
和尚起し驚し侍れば、
人々 起出ぬ。
月のひかり、雨の音、
た ゞあはれなる
けしきのみむねにみちて、
いふべきことの葉もなし。」
と結んでいる。
芭蕉の一つの特長として、
富士山では霧時雨のため、
山を見なかったことを詠み、
松島では、
句を詠むことは曾良に任せたり、
そして
今回も月を愛でることに恵まれず
句を詠む。
これも又無常・無情かな?
たとえ見られたとしても、
芭蕉は深く感動すると
句を詠む気力を消失してしまうのか、
束の間の自然美に
言語を絶するのか?
句は、詠まれたかは謎。
見られぬ無念さを歌に託す。
見られぬ無念さを歌に託す。
そういうこともまた
芭蕉ならではの才覚か。
これまた一興!
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