貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

古戦場にも秋の風

2019-10-25 09:11:47 | 日記

古戦場にも秋の風

令和元年10月25日

 いよいよ晩秋!

 風も雨も冷たし!

 今朝は、豊明市。

 高徳院参拝!

 

 高徳院は真言宗開祖弘法大師

の高野山(和歌山県)において

9世紀に「高貴徳王菩薩」を

本尊とした寺院。

 明治時代に入り、行政による

寺院の整理が進む。

 桶狭間合戦の戦没者の供養と

この地での布教のため、

明治26年高野山より豊明村

(現豊明市)に移転され、現在

に至る。

 二度目の参拝!

ここの仁王門も新しく見事!


 

仁王阿像

仁王吽像

 参拝後、芭蕉句碑へ。

 段上にある句碑も下部が剥離され、

劣化しつつ・・・。

句は、

「あかあかと 

  日はつれなくも 

     秋の風」

 そして、桶狭間古戦場の碑。

「跡とへは 

 昔の時のこゑたてゝ 

  松にこたふる

    かぜの悲しさ」


ミニ社殿

2019-10-24 08:54:21 | 日記

ミニ社殿

令和元年10月24日

 台風21号が、今小笠原諸島

付近で大暴れ!

 小笠原を通過する台風が

ちょっと目立っているが、

小笠原の被害状況はちょっと不明?

 甚大な被害にならぬよう、

ただただ祈るのみ!!

 豊田市と挙母の関係の謎も解け、

次は、市内の白鬚神社参拝!

 猿田彦命を祀る神社。

 慶長6年(1601)に、神社前の道

が開かれ、時の城主熊谷大膳亮重長

により翌年勧請したといわれる。

 神社をお守りしているのは、

神明町、西町、中町の祭礼係の方

たち。

 境内の広さのわりに、社殿がミニ

チュア。可愛い!

 説明板を読んで納得。

 芭蕉句碑のことも記されている。

 芭蕉句碑も可愛い!

 

芭蕉の句は、

「敦公 

  招くか麦の 

    むら尾花」。

 「麦のむら尾ばな」は、

麦畑の麦の穂が出そろっている

のを、麦のむら尾花」と言った。

むら尾花は、穂に出た花薄の群れ。

尾花が風に靡いて揺れるのを、

和歌などに、「招く」という。

 尾花は風に吹かれて人を招くが、

麦の群尾花は、ホトトギスを招き

寄せるのだろうか、の意。

 薄の群れが風に吹かれ、白い

柔い波の立つ海に見え、感動した

のは、富士の裾野。

 それ以降、何度も富士の裾野を

訪れたが、あの感動を呼ぶ薄の

海に出合うことはない。

 ほんと脳裏に焼き付いている。


挙母から豊田へ

2019-10-23 12:22:05 | 日記

挙母から豊田へ

令和元年10月22日

 昨日の天皇ご即位式の天皇の

宣明に、感銘を受ける。

 大企業や官庁など大組織の

幹部の方たちや政治家は特に

改めて宣明文を自分のミッショ

ンとし、国威を貶めることなく、

誇りと誠意を尽くし、精進して

ほしいなあと思う。

 庶民である私たち、特に

次世代を担う子どもたちには、

影響甚大であるから。

 そんなことが脳裏をよぎる

誇り高き御宣明でもあった。

 今日も豊田市。

 おにぎりのような芭蕉句碑を

じっくり蝕し、挙母神社の

挙母を調べることとする。「

 「豊田市」がもともと「挙母市」

であったことを、私も知らない。

 「挙母」と書いてなぜ「ころも」

と読むのかは地名研究の中でも謎の

一つだったそうな。

 「挙母市」が「豊田市」に名を

変えたのは昭和34年(1959)のこと。

 私が中学1年か2年。

 もう60年も前のこと。

 もちろん世界に誇る「トヨタ自動車」

の本拠地であったことによる。

 小学生の時伝記で読んだ

「豊田佐吉」「豊田喜一郎」といった

創業者の「名前」からとったという。

 個人名が地名になることは極めて稀。

 特に日本では。

 もともとこの地一帯は江戸時代には

「挙母藩」だった所。

 慶長19年(1615)この地に三宅氏が

挙母城を造ったのが始まり。

 明治25年(1892)に挙母村は挙母町

になり、さらに昭和26年(1951)には

挙母市に昇格。

 「衣」がなぜ「挙母」と」表記されたか。

 漢和辞典には、「母衣」と書いて「ほろ」。

意味は

(1)「昔、矢を防ぐため、よろい

の背に負った布製の袋状のもの」

(2)「車などの風雨や日光よけのおおい」

 「衣」というのは身体を包んで外部

から守るものだが、

「母」も子どもを衣で守る役目を

負っている。

「母を挙げる」というのはそのような

母親の優しさを象徴的に表したもの

ではないか?

 昔の人はそのレベルまで思いを

及ぼして、「挙母」を伝えてきた

のではないか。

 そんなことを教えてくれる人も

いる。

 ありがたし!

「豊田市駅」の近くには、

「挙母神社」だけでなく、

「挙母小学校」などがある。

 挙母市も、またいいなあ!


挙母って?

2019-10-22 09:28:19 | 日記

挙母って?

令和元年10月22日

 今日は、天皇陛下の

「即位礼正殿の儀」が行われる

おめでたき日。

 次から次への甚大な被害に

遭遇する現時、おめでたきこと

あり。

 今朝は、世界のトヨタを

象徴する豊田市へ。

 挙母神社、初参拝!

「ころも」神社というそうだ。

「挙母」を何と読むのか?

 ほんと、知らないことの方が

多い!

 

 挙母神社は、豊田市の中心市街地

にある。

 旧社格は郷社。

 豊田市には挙母神社のほかに、

式内社であり三河国三宮の猿投神社、

松平東照宮、足助八幡宮等がある。

 まず参拝!

  芭蕉句碑は、金次郎をのせた

ような台座にお結びのように

のっかっている。


 句は、 

「木のもとに 

  汁もなますも 

     桜かな」 

        はせを。 

 木の下に広げられた花見料理

も繽粉と散り来る落花に覆われて

辺りは花のふすまを着せたよう。

 花見の座の艶なる情景の描写。

 




池鯉鮒は?

2019-10-21 09:20:26 | 日記

池鯉鮒は?

令和元年10月21日(月)

 曇天の朝、やはり風は冷たし!

 今朝も知立市。

 知立神社参拝!

 景行天皇の頃の創建と伝え、

以来千年以上にわたり、この

碧海地方はもとより広く篤く

崇敬を集める。

 平安時代『延喜式』神名帳に

その名が見え、三河国二宮とし

て国司の祭祀を受け、江戸時代

には東海道三社の一つに数えら

れる。


 東海道を往来する旅人には

「まむし除け」のご神徳で知

られ、各地にご分社ご分霊が

勧請される。

 近代以降においては皇室の

祖神をお祀りするご縁から

国家安寧・家内安全の神社

として尊ばれている。

「ちょっと分かりにくい処な

ので…」

と、巫女さんが直接案内して

くださる。 

 芭蕉句碑は、金次郎像と並ん

でいる。

親母神社、秋葉社等も参拝!

 親母神社

秋葉神社

 

芭蕉句碑

 芭蕉の句は、

「不断たつ 

  池鯉鮒宿の

    木綿布」。 

 この芭蕉句碑は、池鯉鮒蕉門の

俳人、井村祖風が、寛政5年

(1793)に建立。

 

井村祖風の句碑もある。

「行戻り 

   小川に暮る 

      小鴨可奈」

 

 さて、この芭蕉の句の「池鯉鮒」は

なんて読むの・

一瞬戸惑う。

「ちりゅう」だ。

知立の宿なのだ。