貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

ぼけ封じに・・・!

2020-01-15 08:59:44 | 日記

ぼけ封じに・・・!

令和2年1月15日(水)

 今朝は小雨そぼ降る感じ。

 今冬は本当に暖かい。

 朝の歩行禅でも、マフラー要

らず。

 初氷がまだおりない記録更新

だそう。東京では。

 今朝も信楽玉桂寺。

 不動明王の周囲には、

幾多の子ども地蔵がある。

 子宝祈願股杉もある。

 そして、神経痛やぼけ封じの

護摩堂もある。

 呆けないようにと先々の願い

もする。

 再度参拝!

 境内散策。

 境内には芭蕉句碑が・・・。

 朱塗りの灯籠に囲まれた

円形の築山に金文字で

掘られている。

 「松茸や 

 しらぬ木(こ)の葉の 

  へばり付く」


 

 元禄4年。

 松茸の笠に破れて形もわからない

何かの木の葉がぴったりとつい

ているの意。


お寺の始まりは、仮御所!

2020-01-14 11:40:22 | 日記

お寺の始まりは、仮御所!

令和2年1月14日

 NHKの朝ドラの中心地、

信楽に入る。

 焼き物が好きで、4回ぐらい

訪れている。

 家内と行ったとき、名物

狸とコーヒーカップを購入。

 狸は玄関で健在!

 家の守り神になっている?

 玉桂寺の山門をくぐる。

 玉桂寺は、高野山真言宗の

お寺。

 「勅旨の弘法さん・信楽の

弘法さん」と永く親しまれて

きた。

  今より一千二百年の昔、

奈良朝の淳仁天皇が一時、

都を平城京から滋賀に移される。

その時の保良宮、

 つまり奈良時代に、

滋賀の皇居を造られる間、

仮御所として使われたのが

玉桂寺の始まりという。

 後に文徳、後花園帝の勅願寺

として栄え、江戸時代には三万石

の格式を誇り、藤丸の駕を認可

されたる名刹。

 境内では、四丁四万、歴代尊崇

のもと弘法大師を本尊と崇め、

その信仰を一山に蒐め、

歴史の尊厳と規模の広大を

天下に誇る寺。

 御詠歌に、 

「ならびなく ふしぎはまきに

あらたなり めぐみうけざる

人はあらまじ」

というように、

「高野槇」が有名。

 この幽玄の地にううん(?)と

唸らせた一願成就の不動明王、

 で~んと睨みを効かし、

ど~んと立っている。

 村の子や村人の願いが成就する

ことを強く願ったのだろう!

 背面は炎のごとし。

つづく。


大岡は「だいこう」?

2020-01-13 09:01:53 | 日記

大岡は「だいこう」?

令和2年1月13日

 成人の日の朝は、快晴!

 いよいよ朝ドラの甲賀市へ。

水口(みなくち)宿へ。

 水口宿は、田園風景と野洲(やす)

川の川沿いを国道一号と

県道の道間にある。

 ゆったりとした感じで、

昔日の思いに耽る。

 大岡寺へ。

 古く、この寺は「龍王山観音院」

と号し、俗に「岡観音」の名で

知られている。

 寺伝によれば、僧行基が

諸国行脚に際し、大岡山に

一宇を建て、自彫の千手観音

の木像を安置したのが創まり。

 白鳳14年(686)6月18日

であったと伝う。 

 その後、寺勢は盛大を極め、

十六箇院を建立。

 当山の所在が要害の地で、

交通も至便であったので、

武将の布陣となり、源義綱、

鴨長明(この寺で発心)、

源光行、それに一条兼良等が

宿ったという。


 

 元禄の頃には、俳人芭蕉も

当山を訪れ、  

 「命二ツ 

 中に活たる 

   櫻かな」  

という句を詠む。

 ここにある桜は、現在水口

八景の一つに数えられている。 

 門人服部土芳と20年ぶりに

再会。

 命あって再会するを得た喜び、

その喜ぶ二人の中に、桜が生々

花盛りである。

 「活きたる」は命二つと

桜の咲き乱れるとの両様を

利かせた句法。

 この場所で少し佇んで・・・!

 信楽へ。


頓(やが)ては、すぐにの意

2020-01-12 09:13:21 | 日記

頓(やが)ては、すぐにの意

令和2年1月12日

 明日は、成人を祝う日。

1月15日だったのが、

1月第2月曜日になって、

成人の日という感覚も、私の中

では薄れ始めている。

 因みに、今日の形態の成人式は、

いつ頃、どこで始まったのか。

 私が生まれた翌年、現在の蕨市で、

青年団長が主唱者となり、「青年祭」

をやったのが始まりらしい。

 敗戦で、次代を担う青年に、

明るい希望を!というのが趣旨。

 自らを自らの力で鼓舞し合った

のだ。

 やはり、若者も力はエネルギ

ッシュ!

 改めて、新成人を祝い、励まし

たくなる・・・!

 けさは、伊賀市の西蓮寺参拝!

服部土芳の無常迅速の句碑あり。

  

 芭蕉の句が刻印。

「頓て(やが)死ぬ 

  けしきは見えず          

     蟬の声」

 元禄3年。

 芭蕉翁47才の時の句。      

『東西夜話』の「示秋之坊」の

文中に、湖南の幻住庵に

訪ねてきた秋之坊に、

「無常迅速の一句をあたへて云々」

とあるのは、この句のこと。

「頓(やが)て」は「すぐに」

の意。

 蓑虫庵の主で、弟子の、

土芳の句も刻印。

「人おのづからなむあみだ

       なむあみだ」

 

「無常迅速」をしみじみと

味わえる齢になりにけり。

 有り難し!!


没我! 他利行!

2020-01-11 14:00:02 | 日記

没我! 他利行!

令和2年1月11日

 今朝は、家内が筋肉注射

の影響で8度台の発熱。

 土曜診療をやっている医者へ

連れて行く。

 塗り薬をもらい、一段落。

 見晴らしのよい処に出る。

 常住寺の境内。

 まず、常住寺参拝!

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 芭蕉の森公園に隣接する本寺は、

天台宗の僧、尊恵上人が

伊勢参宮からの帰路、

このあたりに閻魔王を祀った

常行院を開創したのが始まり。

 尊恵上人は1172年閻魔王の

使者に誘われ閻魔庁へ赴き、

閻魔王像を持ち帰ったとされ

る僧。

 密教の修法の一つ、

閻魔天供は閻魔王を本尊とし、

延寿、除災、除病、追福、安産、

そして罪人の救いを求め、

閻魔天に祈願する修法。

 後に1602年伊賀上野城主に

よって現在の地に閻魔堂が建

てられ、その後平野山常住寺

とされたといわれている。

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「一隅を照らす」と、

常住寺のかつての和尚の歌碑

もある。

「山家学生式」と題し、

「国宝とは何物ぞ 

 宝とは道心なり 

 道心ある人を名付けて

 国宝と為す 

 故に古人の曰く 

 悪事を己に、

 好事を他に与え 

 己を忘れて 

 他を利するは 

 慈悲の極みなり」

と刻印されている。

 「没我」、「他利行」と

いう詞は20代の頃、よく

目にしたことば。

 どちらも徹することは、難題!?