名古屋市: 誓 願 寺 荷風の祖父母の計らい芭蕉堂と・・・! 2023-10-20 10:42:57 | 日記 令和5年10月20日(金)名古屋市: 誓 願 寺 誓願寺は、天正元年(1573)僧俊空の開山。 境内には芭蕉供養塔と芭蕉手植えの古木で彫刻した芭蕉像(要拝観予約)が安置されている芭蕉堂がある。<芭蕉供養塔と芭蕉堂> 永井荷風の祖父母が移転をしたもの。<芭蕉堂><芭蕉翁供養塔>
名古屋市: 成海城趾:天神社 倭武尊の歌碑と芭蕉句碑! 2023-10-19 10:06:51 | 日記 令和5年10月19日(木)名古屋市: 成海城趾:天神社 鳴海(成海)城跡は成海神社の旧地である。<成海神社鳥居> 説明板によると、「根古屋城ともいい、応永年中(1394~)安原宗範の築城といわれる。<成海城址・・・天神社> 永禄3年(1560)桶狭間の戦いでは、今川方の猛将岡部元信がこの城に配され、義元が討たれた後も最後まで立てこもって奮戦。 その後、佐久間信盛、正勝らが城主となり、天正18年(1590)廃城となる。」とある。 後世「鳴海城址」として史蹟に指定する。<その説明> 城の鎮守として斎かれた天神祠はそのままこの地に遺り、世俗成海神社御旅所と称え、祭礼の日古例に則り御神幸あり。 崖下扇川畔にて御東征の遺意を伝える「御船流神事」 が斎行せられる。 <成海神社御旅所竣工記念碑> 古事記に、「景行天皇40年皇子日本武尊東夷を征す」とある。<倭武尊の歌碑> その節鳴海浦のこの地にお立ちになった尊は対岸の火高(現大高)丘陵の尾張氏館を望見して、「奈留美良乎 美也礼皮止保志 比多加知尓 己乃由布志保尓 和多良部牟加毛」「鳴海浦を 見やれば遠し 火(ひ)高地(たかち)に この夕潮に 渡らへむかも」とお詠みになった事が『熱田神宮寛平延喜』に記されている。<成海神社由緒><芭蕉句碑> 芭蕉句碑の句は、 「杜若 われに発句の おもひあり」 。
名古屋市: 成 海 神 社 芭蕉初秋の句! 2023-10-18 10:32:27 | 日記 令和5年10月18日(水)名古屋市: 成 海 神 社 <鳥居> 朱鳥元年(686)、草薙神剣が熱田に還座された時に、日本武尊の縁由により鎮座。 日本武尊を主祭神に祀り、妃神の宮簀媛命とその兄神である建稲種命を配祀している。<社殿> 熱田神宮の東に位置することから「東宮大明神」と千三百年の間親しまれる。<芭蕉句碑>芭蕉句碑の句は、「初秋や 海も青田の 一みどり」 。
半田市:常楽寺 その2 芭蕉句碑とぽっこりと逝くという地蔵! 2023-10-17 10:22:43 | 日記 令和5年10月17日(火)半田市:常楽寺 その2 芭蕉句碑は、本堂松の下にある。<芭蕉句碑> 句は、「花の雲 かねは上野か 浅草か」。 常楽寺の山門に安置されている像は仁王像ではなく、四天王のうちの広目天と増長天。四天王のうちの二体が安置されている門を、「二天門」と呼ぶそうだ。 一番山門よりにある塔頭「真如院」。 私は、国道247号線沿いにある参拝者用駐車場に駐車。 塔頭である「来迎院」境内を通過して常楽寺の境内に向かう。 薬師如来が安置されている薬師堂。 まるで鐘突き堂があったかの様な石垣の上に御堂が造られている。<薬師堂> 「生きている時は健康で、死ぬ時はこっとり死ねるように」と、この人生至上の願いを「こっとり地蔵」に託すという地蔵は、朱塗りの六面祠に入っている。 また、法然上人の稚児像も安置されている。 稚児名は、「勢至丸」。<法然上人の幼い時「勢至丸」像> 利発そう。 その表情や、祈る態度をしげしげと眺め、邪念なし。 流石と納得!
半田市: 常 楽 寺 家康ゆかりの寺と芭蕉句碑 その1 2023-10-16 09:29:56 | 日記 令和5年10月16日(月)半田市: 常 楽 寺 文明16年(1484)に天台宗仏性寺を改修。 空観栄覚によって開基された西山浄土宗の寺院。<仁王門> しかも、尾張藩初代藩主の徳川義直から「浄土宗西山派知多一郡の総本寺」とお墨付を得た寺院。 第八世住職の典空顕朗は於大の方の妹の子で、徳川家康と従兄弟にあたる。 このことから、家康が永禄3年(1560)の桶狭間の戦いや天正10年(1582)の本能寺の変、天正17年(1589)の上洛の際にも立ち寄っており、徳川家康ゆかりの寺として有名。<阿吽仁王像> 大正13年(1924)、火事に遭い多くの建物を焼失。 昭和15年(1940)に再建。 昭和62年(1987)、老朽化した山門も再建。<本殿> 主な所蔵品には国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来立像(1263年円覚作)の他、徳川家康から贈られた鐙や鞍がある。 芭蕉句碑は、本堂松の下にある。~つづく。