貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

豊田市: 白 鬚 神 社  可愛い社殿と芭蕉句碑!

2023-10-10 10:21:27 | 日記
令和5年10月10日(火)
豊田市: 白 鬚 神 社 
<鳥居から境内>
      
 猿田彦命を祀る神社。
 慶長6年(1601)に、
神社前の道が開かれ、
時の城主熊谷大膳亮重長により
翌年勧請したといわれる。
 神社をお守りしているのは、
神明町、西町、中町の
祭礼係の方たち。
 境内の広さのわりに、
社殿がミニチュア。
<可愛い社殿>

 説明板を読んで納得。
<その説明>
<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「敦公 
  招くか麦の 
    むら尾花」


豊田市: 挙 母 (ころも)神 社 台座に芭蕉句碑!

2023-10-09 10:16:29 | 日記
令和5年10月9日(月)
豊田市: 挙 母 神 社    
<鳥居>
      
  挙(ころ)母(も)神社は、
豊田市の中心市街地にある。
 旧社格は郷社。
<社殿>

 豊田市には挙母神社の他に、
式内社であり、
三河国三宮の猿投神社、松平東照宮、
足助八幡宮等がある。
 芭蕉句碑は、金次郎を載せたような 
台座にお結びのように
のっかっている。
<しっかりした台座に芭蕉句碑>
<芭蕉句碑>

 句は、 
「木のもとに 
   汁もなますも 
      桜かな」 。
 木の下に広げられた花見料理も
繽粉と散り来る落花に覆われて、
辺りは花のふすまを着せたよう。
 花見の座の艶なる情景の描写
である。
<子守天満宮>

 毎年10月第3土曜日・日曜日には、
例祭として挙母祭りを開催。    
8両の山車や紙吹雪の存在で
知られる、三河地方有数の祭礼。


知立市: 知 立 神 社 芭蕉句「知立は池鯉鮒!」

2023-10-08 10:15:42 | 日記
令和5年10月8日(日)
知立市: 知 立 神 社    
 
<社殿>
 
 景行天皇の頃の創建と伝え、
以来千年以上この碧海地方は
もとより広く篤く崇敬を集める。
 平安時代『延喜式』神名帳に
その名が見え、三河国二宮として
国司の祭祀を受ける。
<石の太鼓橋>

 江戸時代には
東海道三社の一つに数えられる。
 東海道を往来する旅人には
「まむし除け」のご神徳で知られ、
各地にご分社ご分霊が勧請される。

 近代以降においては
皇室の祖神をお祀りするご縁から
国家安寧・家内安 全の神社
として尊ばれている。
<親母神社>
<秋葉神社>

 「ちょっと分かりにくい処なので…」
と巫女さんが直接案内してくださる。
 芭蕉句碑は、
金次郎像と並んでいる。
 親母神社、秋葉社等も参拝!

<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「不断たつ 
 池(ち)鯉(り)鮒(ふ)の宿の        
     木綿布」
 この芭蕉句碑は、
池鯉鮒蕉門の俳人、井村祖風が、
寛政5年(1793)に建立。
<芭蕉句碑の説明>

 井村祖風の句碑もある。
<井村祖風の句碑>

「行戻り  
   小川に暮る
      小鴨可奈」


知立市無量寿寺その2 芭蕉と亀甲と片思いの杜若姫

2023-10-07 11:43:30 | 日記
令和5年10月7日(土)
4月27日から5月26日まで
毎年
「史跡八橋かきつばたまつり」
を開催。
 二度目の参拝。
<芭蕉連句碑と説明>
<芭蕉連句碑>

 芭蕉連句碑の句は、
「かきつばた 
   我に発句の
     おもひあり」
<その説明>

 芭蕉が
貞享2年(1685)4月に、
鳴海の俳人下郷知足の家を訪れる。
 その時、開かれた俳席での作。     
 芭蕉は、知足の案内で
この八橋に遊び、
古に思いを巡らしたのか。
 知足の句は、
「麦穂 
  なみよる 
    潤ひの里」
 「碑を建てたのは、
知足の子孫である下郷学海で、
『安永6年丁酉夏6月』(1777)
とある。
 三河に残る芭蕉句碑の
代表的なものである。」
と 説明板に記載されている。
 八橋古碑(亀甲碑)(市指定文化財)
の碑文は、
<八橋古碑 (亀碑碑)>

荻生徂徠門下の秋本嵎夷が
岡崎侯に招かれて儒官を勤めていた時、
偶々この地を訪れ、
「八橋記事 弄 王孫歌」
と題して
「八橋と業平の故事」
についてまとめたもの。
 書は門人の国分興伯機で、
同門人の由良不淰により
寛保2年(1742)に建立される。
 亀の上に三五七の漢字を刻んだ
碑柱が建ち、
一般に「亀甲碑」と呼ばれている。
(知立市教育委員会)
[左の写真の碑文を
正しく意訳できれば
亀が動きだすとの伝説がある。」
という。
<鶴田池池の句>

 歌碑は、
鶴田卓池(1768~1846年)の
句碑。
 江戸時代の文化から
天保期にかけて
三河の蕉風継承者として活躍した
俳人。
 卓池は、岡崎城下で紺屋を営む傍ら、
20代から松尾芭蕉に倣って
東北を訪れるなどして句を詠む。
 後に、還暦を前にして、
西日本を旅した紀行文『西遊日記』
を残す。
 この中に、長崎の出島の様子などが
事細かに記され、出島の内部を
ここまで記録した、
数少なく、貴重な資料となっている。
句は、
「鳩の鳴く 
   樹ははるかなり 
      杜若」
 古い宝篋印塔が、
杜若姫の供養塔。
<業平への片想い 杜若姫の墓>

 東下りの業平を追って
都からはるばるこの地に
やって来た杜若姫は
小野篁の娘。
 業平に恋い焦がれて
後を追ってきたがつれなくされ、
悲しみの余りに
この地の池に身を投げて
亡くなったという。


知立(ちりゅう)市: 無 量 寿 寺その1  八橋と業平公と杜若!

2023-10-06 10:14:36 | 日記
令和5年10月6日(金) 
知立(ちりゅう)市: 無 量 寿 寺            
 寺伝によると、
慶雲元年(704)慶雲寺として創建。
 弘仁12年(822)
密円が現在地に移転させ、
無量寿寺として整備。
<本殿>

 大正時代、本堂焼失後
4年たって再興される経緯。
 ちょうどかきつばた園の祭。

駐車場、境内やかきつばた園は
人で賑わっている。
<八橋かきつばた園>

 無量寿寺の所在地である八橋は、
平安時代の歌人在原業平が、
「からころも    
  きつつなれにし 
     つましあれば    
   はるばるきぬる 
      たびをしぞおもふ」
と、
句頭に「かきつばた」の5文字
を入れて詠む。
<杜若>

 伊勢物語の昔から知られる
カキツバタの名勝地。 
   
 花札の5月の札
「菖蒲と八ツ橋」
(「杜若に八ツ橋」とも)は
当地がモデル。
<在原業平竹>
<業平公の御汲みの井戸>

 また、
京都の銘菓八ツ橋は
一説にはこの八橋に因むという。
 祭で、京都の八橋が売られ
ており、お土産に購入。
 知立京だな?
 庭園の面積約13,000㎡、
16の池(5,000㎡)に
約3万本の杜若が植えられている。 
 4月27日から5月26日まで
毎年「史跡八橋かきつばたまつり」
を開催。

~つづく。