貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

調布市深大寺②芭蕉句碑と句歌碑コース!

2024-05-16 10:04:31 | 日記
令和6年5月16日(木)
調布市深大寺②
 釈迦堂から坂道を上がり、
元三大師堂、開山堂を見て、
植物公園の下道を散策。
 一福茶屋という蕎麦屋がある。
 延命観音を拝み、
芭蕉句碑を見つける。
<延命観音と芭蕉句碑>

 この広い所でよく見つけたなと
感慨も湧く。
「象潟や 
   阿免尓西施が 
     合歓能花」
という句が彫られていたが、
「阿免尓」と「能花」
 という漢字が当てられて
いたのに喫驚、感嘆かな?
 ゆったりと延命観音近辺を
みとり、深沙大王堂へ向かう。
 深大寺には、
いろいろな人の句碑と歌碑がある。
 それを巡るコースとしての
案内書もある。
 先ず、高浜虚子。銅像もある。
<虚子の句碑>

 句碑には、
「遠山に 
   日の當りたる 
       枯野哉」
という句が記されている。
少し歩くと、
中村草田男さんの句碑が
目に飛び込んできた。
<草田男の句碑>

「萬力(ばんりょく)の中や 
  吾(あ)子(こ)の歯 
    生え初(そ)むる」
<石坂泉泣子の句碑>

 石坂泉泣子の句は、
「菩提樹や
   生涯つきぬ 
       寺清水」
~つづく。

調布市: 深 大 寺① その由緒と深大寺蕎麦の由緒・・・!

2024-05-15 11:09:21 | 日記
令和6年5月15日(水)
調布市: 深 大 寺              
 暖かい一日という予報。
 思い切って出かけることにする。
 二三度お詣りしている
深大寺を参拝。
<山門>

 車では初めてのこと。
 以前は、植物園が目的だったので、
初詣に近し。 
<本殿>

 深大寺という名は,
水神の深沙大王に由来。
 奈良時代,天平5年(733)に
満功上人が開山。
 深大寺に伝わる「縁起絵巻」
によると,満功上人の父福満
という渡来人は、
豪族の右近長者の美しい娘
と恋に落ちる。
 娘の両親の反対にあい
二人は仲をさかれる。
 娘は湖の小島に隔離される。
 そこで,
福満は深沙大王に祈願したところ
霊亀が現れ,
彼を島へ連れて行ったという。
 このことを知った娘の両親も
二人の仲を許し,
そして生まれたのが満功上人。
 上人は父の深沙大王を祀って
ほしいという願いにより出家。
 唐に渡る。  
 法相宗を学んで帰国。
 733年に寺を建立。
それが深大寺。縁結びの神。
 深大寺の北の大地は、
米作りにはむかず、
小作人たちは、蕎麦を作り、
そば粉を寺に納めていた。
 寺では、蕎麦を打って
来客をもてなしたので、
深大寺蕎麦が有名になる。
<深大寺蕎麦店の一つ>

 至るところに、
食したくなる蕎麦屋が林立
という感じ。
 和名「ひとつばたご」という
「なんじゃもんじゃの木」があった。
<なんじゃもんじゃの木>

 4月末から5月始めにかけて
雪を被ったような白い清楚な
花を咲かせるらしい。
<その説明>

~つづく。

新宿区関口芭蕉庵②さみだれ塚・夜寒の碑そして広重!

2024-05-14 11:57:21 | 日記
令和6年5月14日(火)
新宿区関口芭蕉庵②
  さみだれの松は、
1963年9月に枯死。
<五月雨塚 芭蕉墓石>

 さみだれ塚として、
また、
夜寒の松も夜寒碑として
今なお尊ばれている。
<夜寒の碑>

 広重の「名所江戸百景」のひとつに
この芭蕉庵は二つの松
とともに描かれる。 
                    
 その昔は、
早稲田田園地帯であったのも懐かしい。
 芭蕉句碑は、
「古池や 
   蛙飛び込む 
      水の音」 。 
<伊藤松宇の句碑>
        
  伊藤松宇の句は、
「真中に    
   富士聳えたり    
        国の春」。
 ゆっくりとひょうたん池を眺め、

当時の芭蕉の暮らしに
思いを致す。 

 大満足!

 芭蕉庵の出口で、
高田馬場か早稲田の駅へ行く道を
探していると、管理人の方が見え、
高田馬場駅まで徒歩で行く道を
教えて下さる。


新宿区: 関口芭蕉庵 ①芭蕉34歳からの住居とバショウ!

2024-05-13 10:16:17 | 日記
令和6年5月13日(月)
新宿区: 関口芭蕉庵 ①          
 前回は、紅葉の時季の火曜日、
定休日で外観を楽しんだ。 
 今回は、
渋谷へ行く前に近いということで、
急遽採択。
 神田川沿いをえっちらおっちら。
 神田川がこんなにきれいに
整備されているとは、
想像を遙かに越えている。

 こまつか橋のすぐ傍。
<こまつか橋>

 流石に師走後半、
すっかり冬の装い。
<案内図>

 それでもまだ多少色づいた葉が
しがみついているような風情、
もの悲しくもあり、
滑稽でもある。
 暖冬なのだろうか。
<関口芭蕉庵>

 芭蕉庵の脇の入口から入園。
 誰もいない感じである。
 中は流石に風情そのもの。
ゆったりまったり感でいっぱい!

 バショウがすぐ目に入る。    
<芭蕉>
     
 『関口芭蕉庵案内記』によると、
芭蕉が34歳から37歳までの
4年間、
神田上水の改修工事の監督を
していた時の居住地である。
<苑石湖の詩碑>

 芭蕉堂内には、
芭蕉翁と、
高弟の其角・嵐雪・去来・丈草の
像が安置されている。
<芭蕉堂>

 芭蕉の像は、
大津市の義仲寺の翁の墓下の 
土を持って来て、
陶工一瓶が造る。
~つづく。

渋谷区: 宮益(みやますみ)御嶽神社 芭蕉「月不二」の句!

2024-05-12 10:20:54 | 日記
令和6年5月12日(日)
渋谷区: 宮益(みやますみ)御嶽神社   
<宮益坂階段上に神社>

 宮益坂の上り口にある神社。
 階段の前には高層のビル群。
 渋谷駅の近くに
きちんと残されている。
 社内には、
 珍しい日本狼の狛犬がある。 
<社殿>

 この狛犬は全国的にも珍しい
日本狼の石像である。
 延宝年間
(江戸時代1673~1681)の作品。
 原形は損傷が甚だしく、
社殿復興に際修復し、
社務所内に安置。
 社殿前の日本狼像狛犬は、
ブロンズ製で、
原形をモデルに製作した
多田端穂氏の作。
 芭蕉句碑は、
社殿左側に整備されている。
<芭蕉句碑>

「眼にかかる 
   時や殊更        
     月不二」
  出典は『芭蕉翁行状記』
        (路通編)。
 元禄7年(1694)5月11日、
芭蕉は江戸を発って上方へ
最後の旅する。
 文政8年(1825)5月、建立。 
宮益坂は、
別名「富士見坂」と呼ばれる。
 社殿の左に
もうひとつ句碑がある。
<句碑>

 宇田川麗哉という俳人の句。
「名月や 
    御嶽能苑に
       讃え佇つ」 

 お堂の中の石像たち。    
1861年に造られた勢至菩薩、
不動尊、
青(しよう)面(めん)金剛
が祀られている。
<石仏>