トイチニッキ

旧ドイツニッキ
ドイツ駐在の日々から日本での小さな日々まで

城攻め ~フランス ロワール地方編 1~

2016-05-06 19:16:00 | おでかけ:おしろ

さあ、忘れぬうちに書き留めましょう。
今回はロワール地方の城を片っ端から攻めてまいりました。

シャルルドゴール空港から車で向かい、
一つ目の城は


Château de Chambord



なんと豪華!
ちょっとだけ修復中なのが残念ですが
トレビアーン!!




屋根の装飾が気になる。


最初なので中に入ると



この2重の螺旋階段が象徴的。
しかしこのせいで自分がどちらから来て
どの部屋を見てきたのかがよくわからなくなるぞ。

1519年、フランス国王のフランソワ1世により築城。
狩猟用の離宮だったそうだ。
離宮だけでこの規模!?
贅沢だなぁ、フランス国王。



この人が誰かは知らないけれど
ここにかかっている肖像画の人はみんな
鼻筋が通っていて細面でフランスっぽい顔。
ふむー、ドイツの城主とは違うわ。




こういうお部屋はあんまり興味なし。


気になったのはこの階の壁~天井。



フランソワ一世の王室文字であるFと
サラマンダーというらしい伝説の生き物が彫られているのだが
どうやら彫り師は数人いるようで
それぞれ形が違うのだ。

目に付きやすい所はきっとベテラン職人が彫ったのだろう。
形がいいもの。


一方天井の真上とか、体勢がキツそうな所は




顔がないヤツとかあるし。
新人の作品か? それとも手抜き?


屋上へ出る。

さっきの気になる屋根。



細工がすごいよ。



ここにもサラマンダー。
一番上手な人が彫ったに違いない。




広大な敷地。
シャンボール公園という看板が立っている所から入ってきたのだが
この城に着くまで6㎞あった。
いろんな動物の剥製を飾っていた部屋もあったけど
これだけ広けりゃ敷地内で狩りを楽しめるだろうね。
いや、きっと家来がどこかの山から動物を生け捕りにして
この敷地内に放しておいたのかも。




中庭からの画。



わずかにお堀もある。




帰り道に別の角度から。
なんかもうごちゃごちゃ。



しかし最初から攻め応えのある城に満足。







城攻め ~今頃になっての滋賀県編~

2016-04-24 18:23:07 | おでかけ:おしろ

存在は随分前から知っていた。
michの実家に帰省するたび、
米原へ向かう電車から見えていたから。

だけど所詮「跡」だしー。
そう思っておざなりにしていたのだ。

その後TVで幾度か目にするようになって
よくある城跡なのかただの空き地だか
よくわからないような跡地とは違うとわかり
だんだん興味がわいてきて

先月帰省した際に行ってみることにした。
その名も

安土城


まず入場料の高さにびっくりした。
そして目の前にそびえる階段におののいた。
山の中とは聞いていたが・・・。
これは覚悟が必要だわと、慌てて自販機でお茶を買う。




しかしこんな石垣を見たら
ワクワクしてくるしょ。




まだまだ途中。




おお、野面積み。
ここは石垣や天守の発祥の城である。
最古の石垣をとくと拝見。




苔生す石垣。美しい。




ようやく天守跡到着。
長い道のりだった。

信長はこの山道をどうやって登っていたのだろうか。


そうそう、安土城といえば言わずもしれた織田信長のお城。
1585年に築城。



天守跡には基礎の礎石が等間隔で並んでいる。
ここが地下1階になり、この上に5階建ての城があったそうな。

こんな山の中に5階建て!
すげーな、信長。




さぞかし眺めもよかっただろう。






城攻め ~再びの大阪府編~

2015-08-19 22:53:06 | おでかけ:おしろ
今回もうひとつ攻めたのは

岸和田城




堀なんてあって、思っていたより立派じゃないの。

到着したのが閉園10分前。
荒城の月、そして蛍の光が流れる中、
ひっそりこっそり撮影。



前には枯山水系庭園。



清洲城みたいだなぁ。

石垣が今ひとつフューチャーされていなかったので残念。


1585年、小出秀政が築城。
現在の天守は1954年に再建。



城攻め ~和歌山県編~

2015-08-18 00:12:16 | おでかけ:おしろ

nahe、痛恨のミス!!
城攻めをしようというのに
一眼レフを忘れてきたのだ。

しかも気付いたのが、
出発後9時間、michの実家に着いた時。
帰省の荷物ばかりに気を取られ、
すっかり失念していたわ。

まあ、今回は帰省のおまけで攻めるようなもんだし、
最近買い替えたiPhone6の実力をみるとするか。



そうして訪れたのが
和歌山城



1585年、豊臣秀吉の弟、秀長により築城。
なんとこの時の普請奉行がかの高虎先生。
先生初の築城がこの城のようだ。

その後は家康の息子が改修し
徳川御三家の居城となる。




この石垣、今までにない石。
スジが入っていて古木みたい。


ここは天守閣内だけでなく、
門の中に入るだけで料金が必要。
しかも結構よいお値段で…。



そのわりには薄汚れた壁だったなぁ。

中は鎧や武器などの展示物。
これは殆ど興味がない。

それより大抵の城に飾られている「日本の名城」の写真。
「ここは行った。ここはまだだ」と一枚一枚確認していくのがmichnaheの恒例行事。
かなり制覇したと思っていたが、
まだ見知らぬ城の写真があってびっくりよ。



そして思う。
naheの腕じゃiPhoneでも一眼でも変わらんわ。








城攻め ~三重県編2~

2015-05-26 13:53:28 | おでかけ:おしろ

今回の最後の城攻めは

津城
 
 
あ、ここは堀と櫓だけか~。

誰か立ってる。
 

なんと!
naheが尊敬してやまない
藤堂高虎先生ではないですか!!

高虎先生とは
戦国時代の大名で
秀吉から家康に乗り換えたとか?
その辺の情報は興味ないんでよく知らないんだけど

あの今治城を建てた方なのよ!
築城の名手と言われた方なのよ!
あの高い石垣。
エッジの美しさは高虎か清正かというくらい。


この城、1580年に織田信長の弟、織田信包が築城。
1608年に高虎先生がこの地の領主となり
1611年から城の修築が始まったそう。


では高虎先生の作品拝見。


なんと、写真が上の1枚しか撮っていなかった…。

でもその時思った印象は、
今治のような完璧さはちょっと見受けられなかった。
所詮他の人がつくって
後からリフォームしただけだから?

今思えばこの前の伊賀上野城の方が
高かった記憶。



これはたぶん高虎先生の作品ではないだろう。

さらっと見て終了。




駐車場に戻ったら
管理人のおじさんから城のパンフレットを貰ったのだが

それがどこの城よりも
そう、国宝になっている城よりも
詳しくしっかり書かれておりビックリ。
高虎先生についての資料もついていた。

先生、結構大掛かりなリフォームされていたようで。
城下町まで作ったらしい。

城だけみてサヨナラしてしまった津市。
また行く機会があるかしら?







城攻め ~三重県編~

2015-05-24 23:10:41 | おでかけ:おしろ
人生初?三重県!!

伊賀上野城


奇しくも忍者フェスタ期間中で
駐車待ちをしている間も通り過ぎる忍者達。

忍者には過敏に反応するmichnahe。
なんだよ~、知っていれば
うちらも着てきたのにさ。


しかしその数の多いこと。
多分伊賀市の子供達は
この祭りの為に普通に忍者衣装を持っているのだろう。

そして衣装を着れば
動きも真似したくなるもんだ。



衣装を着てなくても
登りたくなるらしい。



言っちゃわるいが
壁を這うヤモリや虫の集団みたい。



ワンコまで忍者。
決して還暦迎えたおじさんではない。


すっかり忍者に気を取られているが
ちゃんと城も攻めました。








1585年 筒井定次が築城

が、溢れかえる忍者達と
缶蹴り?をしていた中学生達のことばかり思い出され
肝心の城の印象はいまひとつ。
あの中学生達も忍者衣装を着てやってたらよかったのに。




高石垣。
帰ってきてから知ったのだが
こちらはかの藤堂高虎先生の作品。
先生らしいお堀と石垣です。



来年はうちらも忍者で!



城攻め ~島根県編~

2015-05-20 21:35:29 | おでかけ:おしろ
人生初島根!
でもここも城を見るだけ、すぐにサヨナラ。

松江城



大きなお堀。
堀を渡ると




なんだかやたら広い。




満開のナンジャモンジャ越しに天守。



この木、本当に名前がナンジャモンジャと言うそうだ。
(正式名称:ヒトツバタゴ)




おお、黒くてかっこいい!




なんて言うのかわかんないけど
破風(三角の屋根)の内角にある飾り?
この色の廃れ具合にグッとくる。


ここも現存天守なので中に入る。




おおっ、中も広い!
ここは今までの天守よりかなり広々。しかも5階建!
展示物も沢山ある。


いつもは急な階段に顔をしかめて
最上階まで行くことはないんだけれど
ここは階段もゆったりしてていいぞ。

1611年、堀尾忠氏によって築城。





石垣は野面積。

なかなかいい城だ。


ところでこの松江城、
今調べてみたら5日前に国宝になったそうで。
週末の人出が1.8倍というニュース。
うちらが行ったときには
GWだけどそんなに人も多くなく
かなり快適に見られた。
いやぁ、いい時に行ったもんだ。



城攻め ~再びの岡山県編~

2015-05-14 00:40:47 | おでかけ:おしろ
michnaheの城攻めは
まず攻めたい城を選び
その城間の移動時間をGoogleMAPで調べ
勘で混雑予想を立て
タイムスケジュールを組んでいく。

例えば初日の岩国城なら
ロープウェイに乗る分滞在時間を長く見積るとか。

が、実際攻めで持っていくのは
周る順番と到着予測時刻が書かれた紙のみ。
数ヶ月前に立てた計画。
ロープウェイがあるなんてすっかり忘れているわけで…。


この備中松山城もしかり。
近くに来て「あ、ここ山城だったわ」と思い出す。
麓の駐車場に車を停めて
そこからバスに乗り
さらに約20分の登山!?
ををを、心の準備ができてないよぅ~。

山道を歩く。
曇り空で涼しいからと水も持ってこなかったよ。
結構キツい坂道。
早々にバテるnahe。



ようやく着いた。
無料のお茶に大感謝。
しばし動けず、小雨の中休憩。



この石垣の石はどこかから持ってきたのではなく
この山にあったものを切り出したと
ボランティアガイドの人が言っていたような。
なんせ息も絶え絶えだったから
記憶が不確か。

1240年、秋葉重信が築城。
現在の形になったのは1683年のこと。

現存天守なので中に入る。
・・・いつもの感じで。


帰りも同じルート。
小雨が降って足元が危険。
ここを訪れる人は天候に気をつけろ!




帰りはこんな石垣を眺める余裕もあった。
奥の方は天然の崖。
なんと美しいこと。





城攻め ~山口県編~

2015-05-07 19:56:43 | おでかけ:おしろ

人生、初山口!
目当てはもちろん城である。
なので山口の端っこの岩国市にだけ足を踏み入れる。



岩国城



目指すはあそこ。
ロープウェイに乗って山頂へ。






なんかこのくびれが変だ。
唐造(南蛮造り)というらしい。

1601年、吉川広家により築城。
1962年に復元されている。



古式穴太積みの石垣。
竹田城あたりもこれだったはず。


麓へ降りる。
岩国名所錦帯橋までの道は近代的に整備された公園。
城址公園で、こういうの珍しいよね?


錦帯橋へ。
登ってみて気がついた。




こういう橋って、眺めるのが素敵なわけで、
自分が渡ってもなんも楽しくないのね。

別に向こう岸に用事があるわけでもないので
真ん中まで行って折り返す。


山口県、終了~。
でも獺祭が美味しかったのでまた来たいね。