☆・・・[安倍晋三総理大臣、支持します^^(再掲 2006/10/14)]
北の「核実験」で、その話題が消え去ってしまったが、安倍総理の訪中があった。
昨日(10/13)の産経新聞に『検証---日中首脳会談』の記事があり、安倍総理の慎重な外交姿勢が窺えたので、報告したい。
・幻の挨拶
8日夕の中国首相主催の晩餐会の直前、安倍総理は、外務省高官に、あらかじめ用意していた<挨拶文>の修正を請われたそうだ。
それも、「中国側の意向」として・・・。
つまり、外務省は、当然の「外交術」として、かような「リーク」を行っていたのだ。
安倍晋三、総理になって初めて、かようなカラクリを知って度肝抜かれたことだろう。
それが、日本の「外交」の先陣を切るはずの外務省の勇み足なのである・・・。
「それではあいさつはできないな…」
かくして、挨拶の言葉はキャンセルとなる。
おそらく、今までのあらゆる外交局面で、外務省は同じことをしてきたのであろう。
・会談の心得
訪中の二日前、衆議院予算委員会の最中に、麻生太郎外務大臣が、さりげなく手書きのメモを安倍総理に渡してきたという。
それには、「首脳会談の心得」が記されていた。
マンガ好きで知られる麻生外相らしい、ビジュアル戦略でもあった。
1・両手で握手をしない
2・お辞儀をしない
3・政府専用機のタラップを夫人と並んで降りる
安倍総理は、それに応じた。
二人が恐れたのは、中国側による「朝貢外交」の演出であった。
前段の「幻の挨拶」での、外務省の中国への御注進は、そもそもが、日本人特有の他者への「思いやり」が原初にあったはずだ。
だが、それに最大限、追い込みをかけていくのが他国の外交である。
私は、3番が、麻生氏の提案だと知って、非常に感心した。
私は、安倍総理と夫人の姿を見て、「安倍ちゃん、こりゃ、これから先、凄い政治を見せてくれるんじゃないか!^^」と感激したのだ。
しかも、麻生氏の助言にアレンジを加え、手を繋いでいたもんな。
チャーミーグリーンのCMを思い出しちゃったよ^^
安倍総理は、中国の首相への握手に対し、絶対に笑顔を見せなかった。
フレンドリーな笑顔を、「おべっか笑い」とみなすのが、中国との外交である。
睨み合うぐらいが、お互いの「気心」が知れる感情表現なのだろう。
また、首相は、「相手より長く話すこと」を心がけた。
これは、中国の伝統に沿った手法で、中国では、文書を重視する故に、文書に多く発言を残された者こそが優位に見られるのだそうだ。
かくして、安倍総理、首脳会談において、中国の温家宝首相に倍して語った。
日本人は頷くだけだ、の、外交上の負の伝統を打ち破り、外務省の用意した想定問答も破り捨て、日本の歴史認識や靖国神社参拝に対しての中国側の批判へも丁寧に答えた。
最後に、安倍首相は、中国側が【そう答えるしかない】要求をした。
『過去の歴史の問題では、
わが国60年の平和国家としての歩みに正当な評価を求めたい』
温首相 『評価している』
胡主席 『信じている』
・・・安倍総理の、勝利である^^
・共同プレス発表
安倍総理、小泉政権下では滞った訪中を、「行くか、行かざるべきか?」で苦悩していたようだ。
それは、今後の政権運営での、大きな選択となるのが分かっていたからだ。
中国からの招請が9月30日。安倍総理の訪中の決断は10月3日、訪中した日は10月8日。
異例の忙しなさだ。
で、いつものごとく、火事場泥棒のようにどさくさで、中国は、訪中発表の日本側の文言に「政治的障害を排除し」の言葉を求めてきた。
中国の求める「排除」は靖国参拝か?
日本は「反日運動(教育)」こそ排除願いたい。
しかし、目立つは、大きな声の中国の、より具体的なスローガンである。
だが、安倍総理は、訪中中止を匂わしたことで、中国側を断念させ、「排除」を「克服」に変えさせた。
中国が、これまで当然としてきたやり方は、まだまだある。
会談の文書化である。
平成10年の小渕首相と江沢民主席の会談には『村山談話』が折り込まれ、それが文書化され、今も、反日のテキストとされていた。
安倍総理は、その会談の文書化を固辞した。
中国は、毎度、ぎりぎりになってやっと譲歩を始める。
「歴史を鏡に」の決まり文句を「双方は歴史を直視し」に変えた。
日本側の求める「未来志向」「東シナ海問題の協議」「北朝鮮への憂慮」が加えられた。
それでも、安倍総理は、慎重に状況を見定めようとしていた。
だが、中国は、要求もしてくる。
事前の共同プレス発表である。
既成事実を作ってしまえ、との中国側の意図である。
これも、安倍総理、固辞する。
会談次第では、文書の破棄も選択肢になっていた。
かくして、会談後、日中双方、いい結果を得ることになる。
ごり押しされるだけだった対中国外交においての日本政府、当たり前のイーブンの状態に持ってきた。
これは、勝利である^^
思えば、小泉前総理は、偉大であった。
強引、剛情、豪快に、長期政権を保った。
強靭な男であった。
日本人に「日本」を示そうとした。
だが、その中にあって、後継者に関しては多くを語らなかった。
そして、するすると安倍総理が誕生した。
そこには、小泉純一郎の繊細さが見えていた。
安倍新総理は、小泉前総理の「強さ」を受け継ぐと、多くの人に待望されていた。
しかし、安倍新総理が引き継いだのは「細心さ」であった。
それで、日本人に「世界の中の日本」を示そうとしているのか。
安倍「新」総理と記すには、早くも多くの出来事がありすぎた。
・・・激動の時代に突入した!
(2006/10/14の再掲)
北の「核実験」で、その話題が消え去ってしまったが、安倍総理の訪中があった。
昨日(10/13)の産経新聞に『検証---日中首脳会談』の記事があり、安倍総理の慎重な外交姿勢が窺えたので、報告したい。
・幻の挨拶
8日夕の中国首相主催の晩餐会の直前、安倍総理は、外務省高官に、あらかじめ用意していた<挨拶文>の修正を請われたそうだ。
それも、「中国側の意向」として・・・。
つまり、外務省は、当然の「外交術」として、かような「リーク」を行っていたのだ。
安倍晋三、総理になって初めて、かようなカラクリを知って度肝抜かれたことだろう。
それが、日本の「外交」の先陣を切るはずの外務省の勇み足なのである・・・。
「それではあいさつはできないな…」
かくして、挨拶の言葉はキャンセルとなる。
おそらく、今までのあらゆる外交局面で、外務省は同じことをしてきたのであろう。
・会談の心得
訪中の二日前、衆議院予算委員会の最中に、麻生太郎外務大臣が、さりげなく手書きのメモを安倍総理に渡してきたという。
それには、「首脳会談の心得」が記されていた。
マンガ好きで知られる麻生外相らしい、ビジュアル戦略でもあった。
1・両手で握手をしない
2・お辞儀をしない
3・政府専用機のタラップを夫人と並んで降りる
安倍総理は、それに応じた。
二人が恐れたのは、中国側による「朝貢外交」の演出であった。
前段の「幻の挨拶」での、外務省の中国への御注進は、そもそもが、日本人特有の他者への「思いやり」が原初にあったはずだ。
だが、それに最大限、追い込みをかけていくのが他国の外交である。
私は、3番が、麻生氏の提案だと知って、非常に感心した。
私は、安倍総理と夫人の姿を見て、「安倍ちゃん、こりゃ、これから先、凄い政治を見せてくれるんじゃないか!^^」と感激したのだ。
しかも、麻生氏の助言にアレンジを加え、手を繋いでいたもんな。
チャーミーグリーンのCMを思い出しちゃったよ^^
安倍総理は、中国の首相への握手に対し、絶対に笑顔を見せなかった。
フレンドリーな笑顔を、「おべっか笑い」とみなすのが、中国との外交である。
睨み合うぐらいが、お互いの「気心」が知れる感情表現なのだろう。
また、首相は、「相手より長く話すこと」を心がけた。
これは、中国の伝統に沿った手法で、中国では、文書を重視する故に、文書に多く発言を残された者こそが優位に見られるのだそうだ。
かくして、安倍総理、首脳会談において、中国の温家宝首相に倍して語った。
日本人は頷くだけだ、の、外交上の負の伝統を打ち破り、外務省の用意した想定問答も破り捨て、日本の歴史認識や靖国神社参拝に対しての中国側の批判へも丁寧に答えた。
最後に、安倍首相は、中国側が【そう答えるしかない】要求をした。
『過去の歴史の問題では、
わが国60年の平和国家としての歩みに正当な評価を求めたい』
温首相 『評価している』
胡主席 『信じている』
・・・安倍総理の、勝利である^^
・共同プレス発表
安倍総理、小泉政権下では滞った訪中を、「行くか、行かざるべきか?」で苦悩していたようだ。
それは、今後の政権運営での、大きな選択となるのが分かっていたからだ。
中国からの招請が9月30日。安倍総理の訪中の決断は10月3日、訪中した日は10月8日。
異例の忙しなさだ。
で、いつものごとく、火事場泥棒のようにどさくさで、中国は、訪中発表の日本側の文言に「政治的障害を排除し」の言葉を求めてきた。
中国の求める「排除」は靖国参拝か?
日本は「反日運動(教育)」こそ排除願いたい。
しかし、目立つは、大きな声の中国の、より具体的なスローガンである。
だが、安倍総理は、訪中中止を匂わしたことで、中国側を断念させ、「排除」を「克服」に変えさせた。
中国が、これまで当然としてきたやり方は、まだまだある。
会談の文書化である。
平成10年の小渕首相と江沢民主席の会談には『村山談話』が折り込まれ、それが文書化され、今も、反日のテキストとされていた。
安倍総理は、その会談の文書化を固辞した。
中国は、毎度、ぎりぎりになってやっと譲歩を始める。
「歴史を鏡に」の決まり文句を「双方は歴史を直視し」に変えた。
日本側の求める「未来志向」「東シナ海問題の協議」「北朝鮮への憂慮」が加えられた。
それでも、安倍総理は、慎重に状況を見定めようとしていた。
だが、中国は、要求もしてくる。
事前の共同プレス発表である。
既成事実を作ってしまえ、との中国側の意図である。
これも、安倍総理、固辞する。
会談次第では、文書の破棄も選択肢になっていた。
かくして、会談後、日中双方、いい結果を得ることになる。
ごり押しされるだけだった対中国外交においての日本政府、当たり前のイーブンの状態に持ってきた。
これは、勝利である^^
思えば、小泉前総理は、偉大であった。
強引、剛情、豪快に、長期政権を保った。
強靭な男であった。
日本人に「日本」を示そうとした。
だが、その中にあって、後継者に関しては多くを語らなかった。
そして、するすると安倍総理が誕生した。
そこには、小泉純一郎の繊細さが見えていた。
安倍新総理は、小泉前総理の「強さ」を受け継ぐと、多くの人に待望されていた。
しかし、安倍新総理が引き継いだのは「細心さ」であった。
それで、日本人に「世界の中の日本」を示そうとしているのか。
安倍「新」総理と記すには、早くも多くの出来事がありすぎた。
・・・激動の時代に突入した!
(2006/10/14の再掲)