懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 兵庫県旧千種(ちぐさ)町

2021年12月10日 | 茅葺き民家
46歳になった頃、自分は何かガムシャラに打ち込んだ事はあるかと思った。
定年になり自分は熱中するものがあり、楽しい人生だったかと思い返す時がくるだろう。
私には10年、20年継続する趣味はなかったなあと思った。
自分の住む岡山県だって78市町村走った事もない。
自分が生きた証に今後消えて無くなるであろう物を記録に残そうと思った。

今後、消える物を理由と共にリストアップしてワープロに書き残した。

岡山県78市町村を走った。
次は中国山地の峠をすべて越え周辺の市町村を茅葺民家などを求めて走る。 
次は京阪神へ足を延ばす。
兵庫県や京都府、大阪北部に茅葺き民家が残っていたのは驚きだった。
神戸市など中心地から40分離れたところに茅葺民家がゴロゴロとある。
人間は行動を起こして観る聞く歩くである。体験しないと発見できないものがある。あれから29年沖縄を除き全国各地を茅葺を求め走った。

千種町は兵庫県の北西部 岡山、鳥取に隣接
夕暮れ時に農家の主婦が祠の前を歩いて家路に帰る。
長靴や地下足袋で一日働いたことであろう。
ここから4時間家に帰り着くのは21時。。

農家の主婦は角のない牛と言われるくらいよく働い。


茅葺民家 新潟県川西町

2021年12月03日 | 茅葺き民家
新潟県も山に入ると豪雪地帯で高い家が多い。
雪の多い時は一階部は雪に覆われ梯子で二階から出入りする。
雪国はどの家にも梯子を掛けている。
冬支度で一階の窓には厚い板を落とし込み雪の重みで窓が壊れるのを防止している。
日本海側に雪が多いのは対馬暖流が流れている。寒波の襲来で温かい海から水蒸気が発生し冷やされ雪となる。オホーツクのような冷たい海では雪の量は少ない。

越後は鯉の飼育で有名だ。小さい鯉は夏の間は田圃に放し水中生物を食べ。
成長すると山間の池に放す。冬の間は池に氷や雪で鯉が押しつぶされるのでコンクリートの水槽に移される。
鯉は冬にはほとんど食べない。冬眠状態。

田圃掃除で大きな田螺が繁殖する。鯉の糞などを食べてタニシは成長する。
そのタニシを泥を吐かせ上のコリコリした部分を串焼する。秋祭りに出すと全部売れると言っていた。

茅葺民家 ススキのある風景

2021年11月23日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧奥津町

ススキの向こうに茅葺民家
写真展をした時に、この家が生まれた実家という人が見に来てくれた。
右側の植え込みにモミジがあり赤く紅葉した木と茅葺の写真をくれた。

ススキは茅葺の屋根材ですが薄とか芒とも書く。

働いている時に宇薄という氏名の人がいた。うすずきと読むが読めなかった。
宇は宇宙や屋根をさすそうだ。屋根のススキかと思うと納得。
茅の種類には葦,荻(おぎ)、苅安があるが人名になっている。
茅は東大の学長に茅さんがいた。
葦は芦田や蘆田,芦野さんなど。葦は悪しと取られるので忌み嫌い吉に変えられた。葦岡は吉岡に変えやられた。

梨の実を有りの実と言い替えるのと同じか

荻は荻野など氏名がある。私鉄に荻窪駅があるが荻をホームの片隅に植えてあるそうだ。
苅安は氏名にもいる。黄八丈の黄色い染料にもなる。

会社にいた時に昼休みに社員のメーリングリストで調べた事がある。


茅葺民家 岡山県旧吉永町八塔寺

2021年11月13日 | 茅葺き民家
岡山県は昭和50年代に消えゆく懐かしい郷土を残すためふるさと村を設立した。茅葺民家の残るところや漁村、農村風景の残るところが制定された。

昭和50年代は経済的にも成長期であった。ふるさと村に支援もできた。
しかし、バブルの後は税収も伸びず支援も打ち切られた。

最初の5年は訪れる人もいたが、リピーターが来るほどの企画もなく衰退

過疎地の農村にもどった。女性が農作業 バックに茅葺民家
いずれ茅葺も消えるであろう。

八塔寺の名はここに寺院が八塔あった。山岳修行の寺院があったそうだ。
スケールの大きさでは高野山、比叡山にはるかに劣る。

和歌山の根来寺に行ったが大きな寺院であったのが伺える。
時代劇で根来衆というのがでてくる一度は見たいと行ってみた。
豊臣秀吉に大阪や和歌山の寺院は叛旗をひるがえし焼き討ちにあう。
   

茅葺民家 東京都八王子の民家

2021年11月04日 | 茅葺き民家
息子が大学の時にサークルで荷物を運ぶのに、車がいるので長男の中古を東京まで運んだ。息子に車の運転慣れさせるため私は助手に乗り東京まで運んだ。
駐車場の料金やガソリン代はアルバイトして自分で払えと確約させた。
その時に東京の茅葺民家を撮影する。
八王子の野猿街道沿いに茅葺民家があると息子に教えてもらう。

その茅葺は交通量の多い道路に面していたので、多くの人が目にしたこと事であろう。
立ち入り禁止、無断撮影禁止と立札が立っていた。

駄目で元々、挨拶に行くと文句を言われるかと思ったが、すんなり撮らせてくれた。
関東の茅葺を見るのは初めてだ、西日本、九州の民家しか知らなかった。
西日本には無い兜造りを初めて見た.妻側から見ると武士の兜のように見える。

西日本と軒先の茅の切り方が違う。西日本は45℃の角度で切る。関東は水平に切る、
屋根が大きく見える。
農家の風景は田舎も都会も変わらないと思った。


茅葺民家 黒豆を干す

2021年10月26日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県丹波篠山市(旧丹南町)

茅葺の横で黒豆を干す。
丹波の黒豆はブランド品
10月頃にこの地域を走ると枝豆用の黒豆を売っている。
 実も大きく一度食べると美味しさに虜になる。

夏の枝豆は大豆の早生品種で6月に蒔き8月の半ばに採れる。黒大豆も普通の大豆も6月に蒔き10月でないと食べられない。正月用の黒豆にするには11月に収穫 竹で組んだ馬に豆を干している。たっぷり時間が掛かるので味が濃厚だ。

黒大豆も育てた事がある。素人栽培なのでほっておくと2メートルの長さに成長して倒れてしまう 。地元の人に聞いたら20センチになれば摘心して脇芽を出すように50センチくらいの背丈に抑えると言われた。

正月用の黒豆が黒大豆であるのを知らない人がいる、枝豆が大豆と知らない人もいた。
チリメンやイリコが何の魚か知らなかったり、筋子やイクラ、カズノコが何の卵かも知らない頃ももあった。

茅葺民家 京都府旧美山町長谷

2021年10月15日 | 茅葺き民家
京都府の旧美山町や京北町には今でも茅葺民家が残る。
特徴は入母屋造りで雪が降るので勾配はきつく端正である。

棟に神社の千木や鰹木のような棟飾りが乗っている。
民家の場合はカラス脅しとか鞍と呼ばれている。
江戸時代には入母屋造りは、庶民には禁止していたところもある。兵庫、大阪北部や京都、岡山と鳥取の半分は入母屋。

千木の棟飾りは関西より東(東北まで)では見かけない。

10月、11月に行くとススキの穂は白くなる。冬になると風で飛んでなくなる。
茅葺の材料になるススキや葦、かりやす,荻の穂はすべて白くなり冬の風に乗り種が運ばれる。

茅葺民家 兵庫県丹波篠山市 角屋造り

2021年10月07日 | 茅葺き民家
これを撮った頃は高速道路の山陽道がなく、一般道で帰らなくてはならない。
夕方であった。早く撮って帰ろうと思った。17時にでて21時半まで掛か。。
この民家は角屋作りで記録に残しておきたかった。
奥さんに話を聞くともう壊して建て替えるという。なんとかセーフで撮れた。

角屋造りは兵庫、大阪、京都で見られる。
東北の曲り屋のように別棟がつく。江戸時代には庄屋などの 格式の高い家だったようだ。東北の曲屋は半分は馬小屋と倉庫 角屋造りはすべて居間

茅葺民家 兵庫県三田市 

2021年09月28日 | 茅葺き民家
三田市も南部は団地も多く大阪や神戸に通う人もいる。
電車もJRと私鉄も走っているし高速道路のインターもある。

しかし、山間部に入り丹波篠山に向かうと昔の懐かしい風景が残る。 
互も日本瓦である。
ドンヨリと曇っていたり小雨が降っていて、また来ればと思っていると数年
経過していてトタンを掛けたり撤去されている事がある。

出会った日に兎に角撮ってないと後で悔む。
自分にとっては残る写真が自分の行動の記録である。
各地に出向き目にした光景である。人生の記録でもある。

撮った写真一枚一枚をワードに貼り撮影日、場所、感想やコメントを書いていく。
いい写真はPowerPointで編集し作品に仕上げないと見てくれない。
特にデジタル写真は連番だけしかなく自分以外は場所さえ分からない分からない。

茅葺民家  岡山県旧加茂町の民家

2021年09月14日 | 茅葺き民家
撮影場所 加茂町倉見

お婆さんが一人で住んでいた。杖をついてやっと歩いていた。
要介護1か2の状態だった。この頃は私は歩行に問題なくどこでも歩いていた。

1人で住んでいるのですかと聞いた。
私の会話も押しが弱い、笑福亭鶴瓶のような30秒で相手の心に入り込むところがない。昔の暮らしはどうだったか子や孫、旦那はどんな人だったとか。
息子は愛媛県に住んでいて、何かあると帰ってくれるという。
愛媛だと高速でも4時間、5時間は掛かる。
町や近所も見回りしてくれるのだろう。  

ここには小学校の校舎も残っている。廃校になり、そのあと縫製をする工場になったが働ける人もなくなった。
15年前にはこの茅葺き民家も解体され更地になっていた。
かっては300人が住んでいた。今では消滅集落になりそうだ。