懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 行橋機関区

2012年11月23日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県行橋市

行橋機関区は田川線の蒸気機関車の基地であった。
レンガ造りの渋い機関庫であった。
全国でも機関庫はコンクリート、レンガ造り、石造り、木造があった。
蒸気機関車の煙突から火の粉が出るのに木造で火災が起きないものだと思う。
写真のC11型蒸気機関車、横の建物は木造である。
少なくとも外壁は不燃材の建造物にすべきだと思うが、この当時の法律では許されたのであろう。
余談だが私の働いていた工場で消防査察があった緑地帯の芝生が10センチ程度に伸びていた。枯れた芝生は可燃物である、すぐに刈り取るようにと指摘を受けた事がある。

蒸気機関車の写真を撮影している頃、全国の機関区を撮影したいと思ったが昭和47年には本州ではほとんど蒸気機関車は廃止された。その頃は週一日の休日で全国をまわる時間は無かった。大学生の鉄道ファンは夏休みの一カ月、全国の隅々まで撮影している人もいたようだ。

蒸気機関車が廃止されても機関庫は撤去されずに残ったところもある。
津山機関区、和田山機関区、久大線の森機関区は現在も残っている。
森機関区は大分自動車道玖珠I/Cに向かう道沿いにある。
以前は廃墟であった。扇形機関区の周りは草で覆われ機関庫のガラス窓はすべて割られゴミまで放置されていた。近代化遺産や廃墟ブームで森機関区にスポットライトが当たりボランティアで綺麗に掃除され地元遺産として活用されている。津山機関庫も鉄道ファンが訪れる場になっている。

今は近代化遺産選定や廃墟ブームで明治以降の古い建造物が見直され愛好者も増えた。
蒸気機関車の走っていた時代に古い建造物が近代化遺産として評価されるとは思いつかなかった。写真は「未来を予測して未来のために現在を記録するもの」と言われているが未来を予測するためには社会で起きている問題点や社会の変化に関心を持ち感性を上げていく事でしょうか。







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