国道314号線を広島から木次の方に走る。
その道路から見えるところにこの民家はあった。
昭和53年代に島根半島からこの道を走ったがそれは酷かった。
道を間違わないように必死であたりの風景も見ていない。茅葺民家もあったと思うがそれも見ていない。
この道路は斐伊川に沿って走る。出雲の大蛇(おろち)伝説の舞台になったところである。
同じ島根県でも石見の国は石州瓦の本拠地なので茅葺き民家が少ないが出雲地方は茅葺きが残っていた。
何度も一般道で新見市から日南町経由で島根県に入った。1
島根県の訪れる集落には懐かしい風景が残っていた。
その頃は私も健康で自分で運転し斜面を駆け上り撮影していた。
私が歩行に障害の出た頃には茅葺き民家は各地で激減した。
茅葺き民家の職人の高齢化、住む人の高齢化、介護施設、老人ホームへの入居、過疎化、故郷に戻らない人々等が一気に重なった。
この写真の家は小屋も茅で電柱などの障害物もなく田舎の雰囲気の残る民家だった。
その道路から見えるところにこの民家はあった。
昭和53年代に島根半島からこの道を走ったがそれは酷かった。
道を間違わないように必死であたりの風景も見ていない。茅葺民家もあったと思うがそれも見ていない。
この道路は斐伊川に沿って走る。出雲の大蛇(おろち)伝説の舞台になったところである。
同じ島根県でも石見の国は石州瓦の本拠地なので茅葺き民家が少ないが出雲地方は茅葺きが残っていた。
何度も一般道で新見市から日南町経由で島根県に入った。1
島根県の訪れる集落には懐かしい風景が残っていた。
その頃は私も健康で自分で運転し斜面を駆け上り撮影していた。
私が歩行に障害の出た頃には茅葺き民家は各地で激減した。
茅葺き民家の職人の高齢化、住む人の高齢化、介護施設、老人ホームへの入居、過疎化、故郷に戻らない人々等が一気に重なった。
この写真の家は小屋も茅で電柱などの障害物もなく田舎の雰囲気の残る民家だった。
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