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日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 母から曾孫へ・・・ *

2007年03月02日 | 雑感

◆サイネリア  キク科 キオン属  花言葉(紫)悩める思い出・喜び

三日のひな祭りを前に、我が家は少し華やいでいる。
朝届いた田舎からの荷物、義姉からの八朔やネーブルの中に母と兄夫婦からのお祝いに混じって
(幸せケーキ)と書いた赤い箱があった。 開けると明らかに母の手作りとわかるお雛さま。 
お祝いのメッセージも読みながら、ふわっと涙が浮かんできた。
「やっぱりおばあちゃんやな。 こう言うことすんの」 次女が嬉しそうに言う。

「なっちゃんの初節句のお祝いに、教えてもろうて作ったんよ、顔がうまいこと書けんかったけど」
(いえいえ母さん、とってもやさしい顔、私なんてこんなに書けないよ)
「お祝いまでありがとう、そっちの孫もおるんやから、お雛さんだけで充分やのに」
「可愛い曾孫じゃけえ少しでもしてやれることが出来るゆうことは、それは有難いことなんじゃけぇ」 
(はい、私もまねてるよ母さんのその口ぐせ、してやれることは有難いって・・幸せやって)
「母さんのこと、ブログに書いたところやねんよ、ほんまにありがとうね」
次女が「おばあちゃん、幸せって書いた箱に入れてもらってありがとう、お雛さんすごい可愛いね」
「幸せケーキの箱、名前がええけいつか何かのときに使おう思うとったんよ」見たら2003年の印字!



亡くなった父は船乗りだった。 今のように携帯もないから不定期で突然帰宅することがあった。
私が高校のとき母がまだ仕事から帰っていない時間に帰ってきて、片付いていない家を掃除し始めた。
母がもったいないと大切に菓子箱や袋や紐など丁寧に取っておいたものだが、きれい好きの父は、
「片付かんのに、ようけ溜め込んで。 おらん間に焼いちゃろう」と笑いながら庭先で焼いたことがあった。
(うちは知らんで、怒られるわそがなことしたら。 やめとき)止める私の言うことも聞かないで。
案の定帰宅した母は無くなったそれらを「いるのに」と不機嫌になったことが一度あったのを思い出した。

2003年からいつかいつかととっておいてくれたんやね。 そのいつかをなつめの初節句に。
次女の出産が当たり前でなかったからよけいに 「曾孫が幸せに育つように心をこめてね・・」
お祝いの袋に「ばぁちゃんのほんの気持ちです、夏芽ちゃんが益々元気で立派な子供に
成長する様祈っています」箱ひとつにも願いを込め、そしてお祝いの文字にも泣けた。
母からは抱えきれないほどに、いっぱいの精神遺産をもらっている。 
誇りとするそんな母を少しでも見習わなければ申し訳ないと、改めてまた感心、そして反省の私。

雛人形についているひな祭りのオルゴールを鳴らすと、なつめは途端に満面の笑顔に変わる。
ガラスケースの中の人形の艶やかさに目を輝かせ、声をあげながら人形ケースをぱんぱんたたいている。