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日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 悲しみを越えて・・  *

2007年03月05日 | 雑感

◆ヒヤシンス  ユリ科 ヒヤシンス属  花言葉:悲しみを超えた愛

しとしと雨が降ったが、結構暖かい一日であった。 
今日は亡き父の弟、叔父の命日である。 桜の開花を待たずして他界された。
父は養子に来たので弟が家の跡を取り、何かと言うと子供の頃から本家へ行くのは私の役目だった。
私の父が57歳、義父が64歳で他界し父親と呼べる人がこの世にいなくなった時から淋しくて、
好きだったやさしい叔父を、いっそう慕うようになった。 その叔父が病に付し亡くなって8年になる。
今年も夜叔父を偲びながら、80歳になる広い家にたった一人で暮らしている叔母に電話をした。  
私が叔父の話をするのに叔母の口をついて出るのは、詩人でありエッセイストであり教師だった息子、
まるで父親の後を追うかのように、叔父の死から3年後教壇で急死した長男の事ばかりである。
突然の息子の死の悲しみから、中々遠ざかれないでいて、いつも悔いの言葉を何度も重ねる。

「でもね、おばさんお茶の先生がテープに入れてくれた、”千の風になって”ゆう歌聞いてからね、
今までは冷たい墓石の下におる思うとったからいつまでも淋しゅうて辛かったんじゃけど、
あれを聞くといつもそばにおってくれとるような気になって、気持ちがものすごい楽になってきたんよ」 
「そうですね、私も急に亡くなった父のこと、あの歌で、淋しいけれど、いつもそばにいてくれている
そんな気持ちになれてとても救われているんです」二人で”千の風になって”の話が続いた。
叔父のことはあまり話さず、あまりにも死を急ぎすぎた息子のことばかりを語る。

叔父の最期を叔父の希望で家での介護だった叔母は、毎夜同じベッドで手を握って寝ていた。 
寝ている間にいつか夫の手が冷たく・・、少しでも夫のそのぬくもりを感じていたいからと。
夫婦の熱い情もさることながら、叔父の命日なのに叔父よりも息子のことばかりを語り続ける叔母。
母親の無念の思いと愛情の深さを改めて感じた。 従兄弟は54歳の若さで旅立ったのだから。
しかし以前よりも叔母の声が少し明るかったのは、”千の風になって”の歌からか、
悲しみを乗り越えようとする気持ちが電話の向こうから伝わってきた。

500ページからなる従兄弟の追悼全集の中に、逝く父親の葬儀の日に詠んだ彼の短歌があった。

 *  添い寝せし 母の手握る 力あり 梅は香りて 臥所に満ちぬ
  *  湯葉食べて 逝く人惜しむ 昼下がり 止まる箸に 悲しみ宿る
 *  眼で笑みし 父の手にぎり 頷(うなず)かむ 天つ国での 再会誓う

高校は違ったがひとつ違いの従兄弟、互いの高校の文集を良く交換したものである。
父親のいる天つ国での再会、それにはあまりにも早く急ぎすぎたのではないか。