なんで繁忙だった年末なのに、書くと言う背景にしたのかと、今更ながら思います。
皆さんからいただいた印刷の年賀状の方がずっとすっきりきれいなのに(昨年は背景を印刷したのです)
今年も遅れ遅れのブログではありますが、続けてと言う声も頂いたり子供たちへ残す伝言でもあると思い
ぼつぼつ・・綴って行こうと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
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今日の一日を追ってみた。
1人で行くのもね・・と迷ったが、6時過ぎに初詣に行く。
毎年紅白が終わり午前零時から天満宮で頂く福銭をもらおうと、氏子さんたちは長蛇の列に加わってお参りするのである。
いつもなら寒さに肩をすくませ、夫と並ぶ行列、1人は寂しいので行くのをやめ、福銭を逃した。
境内には誰もいなかった。 いるのは破魔矢などを売るテントの若い巫女さん2人だけだった。
しかしそれが返って、新年を迎えた私を敬虔な気持ちにさてくれた。
行く前にお賽銭2013円にしよっかな・・と思ったが、分不相応なのでやめた。
破魔矢とお守りをいくつか買って、おみくじをひいた。 大抵中吉や末吉なのになんと大吉である。
毎年買っている細木数子さんの六星占術でも、今年はかなりいい年運びとあり、凶が出た年もあったので気を良くした。
一旦帰宅したが、せっかくだしなぁ(お化粧もしているし) 中央体育館の上、グリーンヒルズでご来光でも・・と向かった。
日の出は7時5分過ぎ。
なんと自転車がいっぱいである。 らせん道路を避けて一気に頂上へ、すでに人がいっぱいで驚いた。
雰囲気を撮りたいと後ろを振り返るのも恥ずかしいので諦めた。 日の出の前には100人は下らなかっただろう。
山の上に雲があったので、瞬間見えにくく出たとしても、丸くうまく撮れなかった。
初日の出・・思わず手を合わせた。
足を運んで拝めたと言うことは清々しく、嬉しかった。
しかし家に帰っても、それを話す主はいない。
後ろから声をかけられた、ブロ友貝ちゃんだった。 公園へ向かう道すがら、話しながら降りた。
8時頃から料理を始める。
お雑煮の用意、海老フライ、から揚げ、ポテトサラダ、焼き蟹、あとはおせちのオードブル風そんなくらい。
料理の最中、香港から電話をもらって、長女夫婦、夫と新年の挨拶を交わした。
12時過ぎ息子と次女一家が揃ってやってきた。
「明けましておめでとうございます」 その言葉がいくつも行きかった。
孫たちも親に教えられた通りに、「おめでとうございます」と嬉しそうに言いながら入って来た。
とりあえず「乾杯!」と息子が言ったので、とっさにカシャ! 今はノンアルコールがあるので助かっている。
アルコールは酒豪の愛ちゃんのみ。 愛ちゃんには、夫の飲む相手になってもらえるので本当に大助かりである。
新年のお雑煮は我が家で祝うのが習慣になっている。 おなかをすかしたみんなの旺盛な食欲は嬉しい。
みんなでいっぱいになる台所の狭さは、お互いを気遣うやさしさであったりする、こんな瞬間不思議と胸が詰まる。
おせちは以前は作っていたが、ここ3年生協さんでとっている。 色々な種類が少しづつそれで充分。
それよりは温かいものがいい。 孫たちがいるので、普段と変わらない料理だが作っている。
焼き蟹は好評だった。 ひろとやなつめもどんどんいける。 美味しいなぁの声を聞きながら焼く嬉しい気分。
かんたもゆいちゃんも、好きなもの一生懸命食べている。
幼児期の成長はまぶしくて嬉しい。
みんなのわいわいと食べている姿に(どうかみんなが今年も仲良く、無事に過ごせますように・・)と心の中で思う。
この賑やかさが、密やかな私の宝ものである。
孫たちが待っていたお年玉タイム。
香港の長女夫婦からあずかっていたし、神戸の夫人からもあずかっていた。 夫からや、息子夫婦、次女夫婦交換、
5つの袋を持って嬉しそうだ。 長女夫婦から、干支のお饅頭もお年賀にとあずかっていた。
残った料理は息子、次女家族でお持ち帰りしてもらった。
普段でも我が家は結構集まっているが、新年と言うだけで気持ちが新たまるから不思議だなぁ。
1人めでたさに浸っていた。 さぁ、今年はどんな一年に・・。
年末近くまで次々と孫をあずかったり、親子が泊まったりでばたばたして、ろくに掃除も出来ていないし、年賀状も書けてない。
夫婦で別々な初めてのお正月は、私にいい時間を与えて貰ったかも知れないと思っている。
朝一番実家の兄より電話をもらって、兄嫁さんや母と挨拶を交わした。 いつも向こうからかかる事は無いのに。
兄嫁さんに「私はこれからみんなが来るけれど、それがなければ誰とも話すこともない、けんつくさんがいないのでしゃべらない一日になる、
これって一日言葉を発しなかったら気が変になりそう・・と言った、神戸の夫人の気持ちを分かりなさいと言う事だったんだと思ったわ」
そう言ったら、「ふ・・ん、そんな風に受けとれるんや。 まぁその人の立場にならないと、本当の気持ちは分からないかもね」
母へのお礼を言ったら、兄嫁さんは
「お母さんがまだ元気でいてくれて子孝行してくれているので、大変に助かっています。 微力ですが一生懸命にお世話させていただきますので安心して下さい」
目頭が厚くなる、もったいない言葉をもらった。 夫がその場にいなくて良かったかも知れない。
息子の顔さえ分からなくて、会うごとに細くなる親の姿は、夫と言えどもせつない思いでいっぱいだろうから。
喜んでくれてはいるが、夫の気持ちを思うと5つ年下の母の元気を手放しで喜ぶ訳にはいかないから。
子供たちが帰ったあとは、1人過ごすお正月。
昨年の嬉しかったことも悲しかったことも、少しゆっくり思い起こすことが出来ると言うのは、必要な時間を与えてもらったのかも知れない。
”一年の計”は、元旦ではあるがまだ確かなものではない。