季節はめぐる。
桜はソメイヨシノから、色濃い八重の桜に。
そしていよいよ、わくわくする新緑のときがきた。
刈り込まれて丸裸のようだった街路樹、銀杏の木がいつの間にか新芽をふいて青々と茂ってきた。
スーパーへ行く途中にハナミズキの咲く家がある。
おうちの雰囲気、いいなぁ・・お顔は見たことがないけれど住んでいる人のセンスを感じるお宅。
オリーブの木とハナミズキ、いかに思っても正面からは撮れず離れたところからカシャ!
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4日前に、夫の実家の兄嫁さんに電話をした。
私は義父さんの遺影に手を合わせる時、義母さんが穏やかに一日が送れますように、そして義姉さんのことは最後まで
覚えていてくれますようにと願いながら心で言っている。
義兄さんをはじめ、子供たちが分からなくなった義母さんだけれど、「私のことも分からなくなったのよ」と言われた。
絶句だった。 願いが打ち消されたのだ。
365日お世話をされながら、お嫁さんだと言うことが分からないと言うのは精が無いのではと思っていた。
話したいことがいっぱいあるのだろう、当然である。 同じ嫁として離れて暮らしているが、ただ私が次男の嫁と言うことで
皆義姉さんにお任せでいつも申し訳ないと思っている。
「嫁いだ時から、長男の嫁と思ってきたから、なんとも思ってないのよ」 いつもそう言ってくれるが、頭が下がる。
世間では、長男夫婦からの要望でお嫁さんが4人いれば、4人で交代でお世話をすると言う家庭もある中で、
そうして欲しいと言われて当然なのに、何も言われずに義兄夫婦のお陰で、
私たちは遠くから見守っている・・と言うだけなのである。 嫁としてなんら働きをしていない。
義母さんとの日々を想像すると胸が詰まったが、話の中で少し救いだったことがある。
週2回の義母さんのデーサービスのときなど、近所の方が「コーヒー飲みにおいでと言ってくれるのよと言われた。
「たまにね、一緒にカラオケする時があるのよ、歌は駄目だけど私昔から覚えるのはやいのよ」嬉しそうに言われたのだ。
声をかけて下さる方が有難いかった。 そのことに私は、どれだけ救われたか知れない。
義母さんが分からなくなった事はせつないと思ったが、逆に割り切って気を使わず義姉さんも出やすいかも知れない。
同じように親のお世話をした者でなければ、本当のところの気持ちは分からないかも知れない。
義姉さんは畑へ行くこと野菜作りはストレス解消と言っていたが、ほかにやりたいことがあったかも知れないと良く思う。
子育てはもちろん母親は楽しみだし、地域の人たちとの行事やお世話も楽しみかも知れないが、義姉さん自身にとって、
どんなことが楽しみなのだろうといつも思っていた。
高齢化社会、お世話する方も年をとって行く現況の中、やりたいこともあるだろうと思っている。
だとしたら義姉さんにとって、プラス思考で考えたら今少しの楽しみが持てるようになったのかも知れないのだ。
帰省してもお世話をかけるが、連休に新幹線で帰省させていただくこと伺った。
「帰ってきて様子をみてあげて」 聞くよりも、大変であろうことを、目で見ることは大事である。
実家の母がいつも言う。
「長男のお嫁さんは本当にどれだけ大変か測り知れない、心から感謝しないといけない」と。
義兄夫婦への感謝の意を深める意味合いでも帰省しなければ。 連休2泊3日の帰省を約束した。
夫が中々帰ろうと言わないl気持ちも分からなくはない、母親を見るのも辛いのだろうと思う、が私は嫁として
やはり義姉さんを労い話を聞いてあげたい、せめてもと思う。 同じ嫁として申し訳ない、楽すぎる。
3、40分の電話の中で、進んでいく義母さんの様子を聞いたうえで、お世話される中でも出来れば少しなりとも
楽しいことや時間が、どうぞや義姉さんに増えて行きますように・・と祈るような思いである。
「もう1日、デーサービス増やすわけにはいかないの? 義姉さん自身の身体の為にも」
「以前は言ってくれてたんだけどね、手がかかるようになったのでお世話して下さる人に申し訳なくて」と言われる。
ボランティアでしてもらっている訳ではないのに・・。
義姉さんが義母さんを手厚く介護される心は、この辺にあるのだろうなぁと思った。
めぐる季節の中に、湧きたつものが波のようにこみ上げる。 が・・
季節を重ねるごとに・・老いが容態が深まって行く・・せつない現実。
義姉さんに、安らぐ時間が少しでも増えますように。 労い、声をかけて下さる方に感謝である。