夫は樟葉でゴルフ、のはずだった。 現地集合なので、「途中降ろしてやるから城陽のお姉さんとこへ行ってき、
帰りは拾ってやるから」そう言ってくれた。
荷物を持たなくていいのであれこれ用意していた。 しかしどう見ても予報では完ぺきに土曜は雨と言うことで、
キャンセルとなり、次の土曜になった。 あちゃー! 雨の中を・・荷物いっぱい持って行くのか・・。
「送ってやってもええけど、自分が行くとあんたがお姉さんとゆっくり話出来んやろ」 夫なりに気を使ってくれてそう言った。
やむなく大きな旅行カバンに詰めた。 まるで3、4日一人旅でもするかのように。
夜姉から電話で、「旦那が、けんつくさんも一緒にって言ってるさかいに」 と言うことで、お言葉に甘えて2人で出かけた。
(あ~良かった荷物増やせる・・) 9時出発。 便利になった第二京阪道路。
大文字の送り火を見に行った時、はじめて立ち寄った「京田辺パーキング」新しいし色々便利良くしてある。
相田みつをさんの言葉や絵のプレートがあちこちにはめ込んであった。 造花と違い花瓶に入った季節の花はいい。
ここは利用するべし、おトイレが美しいと言うのは、旅の思いをいっそう気持ち良くさせる。
ここから一つ目で、第二京阪道路を出る。
24号線を走る。 城陽市に入ると真っ先に目に入ったのは黄金色の稲穂の風景が広がった。 今年初めて・・。
車の中からなのでタイミング良く撮れないが・・普段建物、ビルが立ち並ぶ所に住まいしていると、田園風景=田舎風景
一瞬にしてふわっと父や母の顔が浮かぶ、懐かしくて郷愁にかられる、なぜだろう。
電話やメールはちょこちょこするが、姉に会うのは昨年のお盆、父の33回忌の時実家で会って以来である。
それに家を訪れるのはもう5年ぶりである。 色々と病気を患い精神的に気弱になったりして病院へは
見舞っても、家に行くことをためらっていた。 女として気持ちは分かるから敢えて訪ねることはしなかった。
雨の中を歩きにくそうにしながら、車を誘導してくれた。 歩く姿に胸が詰まった。
義兄は夜勤のため寝ていたが、愛犬シュナウザーの小麦がお出迎え。 珍客にしばらくは警戒心で尋問される?
何気ない言葉のやり取りでも来ることを了解してくれたことは、自分の身体にいっそう気弱になった精かも知れない。
「みくさん、ちょっとお手伝いしてね」夫を部屋に置いて2人で台所へたつ。
姉が京都の病院へ勤めていたので、高校を出てその病院へ行った私。 その年に姉は結婚した。
それまでに努力家の姉は、働きながら調理師や栄養士、簿記、会計士とか色んな資格をとった、通信教育で。
料理はとても上手で、病院へ住み込みだった私は休日に姉の家で手料理をいただくのが楽しみだった。
私が結婚してからも子供を連れて何度も訪ねたが、季節感あふれた姉の料理には感動しっぱなしだった。
脳梗塞を患い年とったし以前のようには出来ないと言うが、京都らしい賀茂ナスの田楽に4人分たった4本の
ししとうを焼いて飾るさまは昔と変わらない。 炊き込みご飯のおにぎりの下にさっと敷く南天の葉、そんな何気ない
細やかなあしらい、私は大好き、私のこんなことは姉譲りかな。
2人でまさか台所に立って一緒に作ろうとは、話しながらどんなに楽しかったことか。 それだけでも満足だった。
義兄が起きてきてお昼に。 再会と明日10日の私たちの結婚記念日のお祝いにと乾杯した。
夫にビール? (苦い罰金の思い出が~) 断る私に、「ゆっくりして冷めた頃帰ったらいいから」と1本だけ。
どれもこれも実に美味しい。 後で電話やメールであんなに楽しそうに旦那が食事するのは本当に久しぶりよと
すごく喜んでいた。 仕事に厳しく几帳面な義兄は人当たりはとてもいいのだが、家では言葉少なで気難しさもある。
食事の後義兄は寝た。 昨夜は卓球で深夜帰りの夫は隣の部屋で小麦ちゃんとTV見ながらこくりこくり居眠り。
2人でどれだけいっぱい話したことだろう。 (夫は最初、4時頃おいとまして平等院でちゃちゃっと写真でも・・と姉の前で言った。
私が喜ぶだろうとそう言ってくれたが、いや・・)この場に及んで自分の楽しみを持ったらせっかくの再会の感激が希薄になる。
その分姉といっぱい話し込んだ。 最後は電話の母のいつもの口癖をマネして「がんばろうで」笑いながら手を握りあった。
義兄から勤める京都のホテルのクッキーをお祝いにと用意してくれていた。 季節のお菓子に加え、ミントさんのお店でまたまた
お世話になったブラウスは「明るい色やね」「明るいものを着ると、気分も明るくなるよ」 その通り、姉にお似合いだった。
色々お土産をもらって帰りの用意、せめて・・と家の前に広がる風景を撮った。 玄関の前で手を振る姉に見送られ・・
実るほど こうべを垂れる 稲穂・・ このような景色見て暮らせるっていいな。
帰りは止まらずに一直線、枚方付近にきたとき西の空が・・「夕焼けやわ・・明日は晴れるんじゃない?」
大阪市内は雨。 それにしても一日良く降った、その分なつめの初めての運動会、どうか晴れて欲しい。
姉の家を出てちょうど1時間で着いた、早~い! 第二京阪さまさま。
夫の声かけがなければ行くことは無く、もちろんこんな嬉しい時間が過ごせたなんて、夫さまさまである。
「またお姉さんとこ、行かなあかんな」 色んな意味で。 それはまた連れて行ったると言う暗黙の了解である。
次女夫婦が迎えに行き長女と帰っていてた。 娘たちは姉との再会をこのうえなく喜んでくれた。
「雨やまへんなぁ、やんでも運動場びちゃびちゃで中止やろうなぁ」みんなでそんな事を言っていたら、
「いややぁ~、運動会なくなったらいやぁ~」 なつめが大声で泣きだした。 雨もやまないが、なつめも泣きやまない。
13日記
あちゃー! 1本は枯れていたし、もう1本も枯れかけていた。
すぐに行動しなあきません、やっぱり。
でも「また撮らせて下さいね~」て言ったのは、二日前だったのに・・。
赤もそうだけど、白も日が過ぎると汚く無残である。 写真思い切りぶれてるし。
昨年は何本も沢山白が咲いていて、撮っていたらおばあちゃんが「あげるよ」と何本か切ってくれたっけ。
そんな彼岸花をわくわくして撮った。
見ごろは過ぎているもののかろうじて赤いのが3本咲いていたので、おばあちゃんちの彼岸花記念に撮影。
7時前(食事の支度、帰らなきゃ・・)そう思っていたら、以前隣に住んでいた方に会った。
先日思いがけずに会ったんだけど、立ち退きで最近うちの近所へ引っ越してきたのだ。 また縁が繋がるのかな。
「主人が仕事に行ったので、ちょっと歩いてこようかと思って」 「私も歩かないといけないんだけど・・」ふっくらさん同士の会話。
昔文化住宅(いわゆる長屋みたいな)に住んでいて、二階の台所が隣り合わせで、立っている気配がすると窓を開けて
壁をコンコン、「お昆布炊いたのよ」「熊本から椎茸送ってきたから」顔は見えないけど、窓から手を伸ばし空中で物々交換である。
裏も同じような住宅形態で、家が結構詰んでいいて、物干し場が向い合わせだった。
手を伸ばすには離れていて、物干し竿に洗濯かごを通して、送って来たからとお野菜や、作った料理などが
洗濯かごの中でこちらに送られたり、あちらに届けたり・・昔の人の暮らしに出てきそうな人情味のある暮らしだった。
隣近所が仲良くて、料理が行き交って、他人さんの子供へもみんなの目が届いて、人の温かさがあふれていて、
そんないい時を過ごすことが出来た。 沢山いた子供たちも必然的に仲良く育って行った。 今思えば最高の環境だったかも知れない。
越してきて22年、一戸建てが立ち並ぶ場所、挨拶やそこそこのお付き合いはあっても家に上がりこんだり、よそさまの子供の
ことにまで口は出さないし、あたらずさわらず的なおつきあいである。 プライバシーが結構守られているかも知れない。
楽と言えば楽だが、遠くの親戚より近くの他人と言う訳には行かないだろう。
関わりのあるご年配の一人住まいの方には、何かあればいつでも声をかけて下さいねとは言っているのだけど。
おばあちゃんと彼岸花で会話したことも、今の時代貴重な出来事になっている。 来年はもっと早く撮ろう。
明日の土曜、夫は会社のゴルフで樟葉に行く予定だった。 完璧に雨なのでキャンセル、来週に変更になった。
「途中落としてやるから城陽に住むお姉さんに会いに行ったらいい」とやさしいことを言ってくれていたが、
私一人電車で行くことになった。 その旨を電話したら、「2人でおいで、お昼一緒に食べようよ」義兄も歓待の様子。
雨・・落ち着いてゆっくりと話せる。 兄弟が揃うのは段々と、冠婚葬祭になってしまうが、久しぶりにゆっくりと。
思わぬ夫とのドライブ、そして姉妹揃ういい一日が過ごせそうだ。
午前、かんたを連れて近所の公園へ行く。 外で疲れた分お昼寝が長いし。 3組いた親子はお昼時なので帰って行った。
先だっての帰省で、滑り台を一人ですべれるようになったので、かんたにはブームかな? 台が広いので膝に乗せて
何度か一緒にすべった。 何年振りだろう、滑り台。 ばぁば・・の喜びを実感。 膝に乗らなくなって拒否。
「かんちゃんが、かんちゃんが」 一人ですべらせてくれ、ばぁばは邪魔らしい。 台が広いし、靴底がひっかかってスムーズに行かない。
下から補助してなんとか滑れると 「も いっかい!」と、また滑り台へあがって行く。 何度も何度も。 下で受けながら相手をした。
暑いのでこちらの方が先に、「やめよっか」 首を振る振る。 「大きな頭、そんなに振ったら転ぶよ~」
最近とみに好奇心いっぱい、積極的でそして行動派の1歳半。 なつめとは随分違う。 生まれたときから女のこ男のこの本能やいかに。
自分の子育てのときは、現在進行形なので自分がしていることが後にどんな風に作用して行くかなど考える余裕はなかったと思う。
手を差し出すのは簡単だけど、見守ることも大事だし、しかし我が子と違ってもし何かあったら・・と気もつかう。 そこが違う。
しかし、子育てしてきた経験から、こうした方がいいかも知れないのでは・・子守をしながらそんな気遣いを出来ることがいい。
毎日次女がいない間、何時間かを2人で過ごす今、ただ時間が過ぎればなどとゆう著なことは言っておれない。
今やったことをすぐにマネをする、可愛いのだけれどある意味それは怖いくらいに的確にマネをする。
今が、今からがすごい吸収力でもって色んなことを知って身につけてく訳で大変である。
昔ハムのCMに「わんぱくでもいい たくましく育って欲しい」 そんな言葉があったが、幼児期に培われる精神の
大切さを痛感するとき、男のこにはそうあって欲しいと願いながら、子守ばぁばは今日もゆく。 8日記
涼しくなって我が家で一番元気なのは、この花。 ”ペンタス” 花言葉は、鮮やかな行動・願い事
火曜は生協さん、3人集まれば配送料無料なので長女と愛ちゃんと3人で組んでいて我が家が受け取る。
冷蔵庫が二つあるので保存できるし。 夫が麻雀なので夕方次女と孫たちを連れて愛ちゃんのところへ届けに行く。
家を出たところの近所のおばあちゃんの家の前の、雑然と植えた花々の中に白い彼岸花が咲いていた。
このおばあちゃん、下の水やりを二階から洗面器でばしゃ!っとかける。 もちろん人がいないのを見てだろうが、
自転車が急に通ろうものなら、しぶきを浴びることがあるかも知れない危険がある。
旦那さんがお酒ぐせが悪く飲んだくれては喧嘩になり、時々家の前に寝ころんだ旦那さんをポリさん2人が
なだめに来る光景は、近所ならたいていは知っている。 最近旦那さんをみないので、いるのかいないのか・・。
二階でおばあちゃんの顔が見えたので「また写真撮らせて下さいね~」と自転車を止めて声をかけたら、
顔が見えなくなったので「降りてくるんと違う?」 当たり。 「すみません、わざわざ降りて来てくれはって」
「耳が遠くなってなぁ」こう言う人って笑い話ではないが、自分に不都合な話は良く聞こえたり(地獄耳?)
「去年おばちゃんに白い彼岸花もらったんですよ」「そうだったか」「今年も咲いているから撮らせてね」
嬉しそうな顔をした。 「うちは87やけど、あんたのお母さんいくつや? 」「母も87歳ですよ、同じですね!」
「うちは12年生まれ、ねずみはよう動く苦労もんや。 苦労して子育てした年なんじゃで、お母さん大事にしなさいよ」
(あれ~おばあちゃん、12年はイノシシの年やと思いますけど~?) 違うかなぁ、母はイノシシのはず。
私の肩をぽんと叩いて言ったおばあちゃん。 昨年私に彼岸花くれたことなど覚えてはいなかったけれど、
想像もつかなかったおばあちゃんの言葉にはぐっときた。 暑いから昔で言うシミーズを来て(もちろん下はスカート)
降りて来てくれたけど、人は外見ではないなぁ。 少し時間は経ったが、声をかけなければ無かった会話である。
マンションに届けたら、なつめは「ちょっとだけあがって遊ぶ~」 かんたも一緒に愛ちゃんに頼んで、香港にいる
長女夫婦の家に行く。 5分とかからない。 郵便物と花の水やり。 夏場はあまり日にちをおけないが
夏場と違って観葉植物も青々としていた。 屋上には長女がプールにいくつもの鉢をつけているが、水の減りが違う。
秋やなぁ、ほっとする。 あっと言う間に周りは暗くなってきて・・ 秋の日はつるべ落とし・・よう言うたもんです。
次女とマンションに向かいながら、「こんなに兄弟が近くで住んでいるなんてすごいね」「ほんと有難いね」
少しの時間だったが、孫たちは楽しく過ごしたようだ。 なつめのお下がり、ゆいちゃんお似合い。
かんたもひろとのお下がり。 ほんと効率のいい我が家である。 8日記