日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 静から動へ・・ *

2011年02月13日 | 雑感

娘家族が長女夫婦のいる香港へ行っていたとき、私たちは帰省していて・・・
(せっかくの・・)たまには静かな夜を二人で楽しもうと思っていたのに、もう帰国するのです。

夫と関空へ迎えに行く途中、泉大津PA へ寄りました。 きれいで掃除も行き届いて気持ちのいい所なのです。
建物の11階パノラマルームからの360度、大阪湾展望は最高に気持ちがいいんです。 
 

やはり海の見える風景は見飽きない。 この景色を見ながら食事をしました。
献立、以前と違って食べたいものよりも・・カロリーが少なそうなメニューを選ぶのが少し寂しいです。
って言ってもね~結構カロリー高そう、カロリーナビの本を買ってから気になるんですよね。
夫も最近体重が増えているのに、「太ったわ」笑いながらちっとも気をつけようとしない、大きな声では言えません
過去の私がそうなのですから、病名を怖いと自覚しない限り減量は無理でしょう。

11階のパノラマルーム、あちこち望遠鏡がありますがなんとメッチャ大きなカメラマンみたいな望遠レンズを三脚に構えた
いい年齢のおじ様たちの仲間、(何撮ってるんやろ・・) その目は生きいきとしておられました。
「暇(いえ、時間と言いましょう)とお金のあるおじ様たちやね、でもいいよねこんな趣味で人生楽しめるなんてね」
楽しげにレンズを覗いたり離れてガラス越しに遠くへ目をやり・・一日こうやって過ごしておられるのでしょうか。
なんと狙っているのは”はやぶさ”のようです。 壁に”はやぶさ”のイラストや説明が書かれてありましたから。
ひょっとしたら・・この方たちかもしれません、暇とお金が等と言ったら大変失礼です、むしろ敬意を表します。

 一路関空へ・・見送った日の朝は雨でしたが、お天気が良くて良かった~。

夫は車で、私はターミナルで待ちました。 飾ってあった”力士”の人形は何を意味するのでしょう。
ファンにとって大阪場所の中止がいっそう寂しく感じられます。

10度以上の気温差で、半そでで過ごせる香港。 熱を出したらしいかんたが遠くで私を見つけて叫びました。
やっぱり賑やかがいいかな。 一瞬の静から一挙に動!


 * 帰省三日目 or 帰阪 *

2011年02月12日 | 雑感

まるで台風のような風、そしてみぞれです。 橋通れるだろうかな・・

みんなで大三島の塩風呂温泉”マーレ・グラッシア大三島”に行きました。 みんなは2、3度目ですが私は初めて。 
義母は同居の姪っ子がみていてくれて、男兄弟4人、女性は4人。 露天暴風雨ですが、入っておれます。
2年前くらいなら、義母も入れていたと思います。 申し訳ないけれど、塩風呂とても気持ちが良かったです。

帰りのお昼時、国宝もある”大山祇神社”の前にある” せとうち茶屋大三島” 団体さんの観光客も来ていました。
私は鯛飯と天ぷらうどんのセット、天ぷらにワカメがいっぱいと思っていたら、なんと竹炭を使ってある黒いおうどん。
初めて! あさり入りラーメンも大きなあさりがいっぱい、鯛飯も蛸飯もあなご丼も好評でした。
調理師さんや店員さんのフットワークがいいのでしょう、料理も早く出るしいいお店でした。



風みぞれの寒い日です、私たちは温泉で温まっていますが義母は寒かったことでしょう。 

一服して2時に三原へ帰る弟に新尾道まで送ってもらいました。
赤崎にはちょうどフェリーが、朝あんなに荒れていた天気は見事に回復、青空になり。 

生口橋はふるさとへ帰って来た・・また島を離れると言う思いにさせあっれる橋です。
「また帰ってきないよ」何度も涙をためて言う義母の寂しそうな顔が頭から離れません。 
兄夫婦をはじめ5人の子供の顔だけは忘れないでいて欲しい・・嫁はいい、寂しいけれど分からなくても。



新尾道駅は初めて。 今までなら、お土産は瀬戸田へ、これからは母を見舞う意味で、そんな訳にもいかないだろうなぁ。 
小さなお土産売り場、NHKのドラマ”てっぱん”の影響で今はにぎわっていることでしょうが。

帰りは乗り換えなしの”こだま”で。 古いイメージがありましたが前面は意外や新しい! 
夫は干物でビール1本飲んで、ずっと寝ていて、私は義姉とずっと話しながら2時間で新大阪に。
6時には家に着きました。 愛ちゃんとひろと、ゆいちゃんを迎えに行き、家で一緒にご飯を食べました。
母への言葉に出来ない思いのカムフラージュでしょうか、孫を見て嬉しそうな夫でした。

たった2、3日の帰省。 賑やかさがまた普段に戻ります。
見送る兄嫁さんは365日・・せめて今の状態から悪くなりませんように・・胸が痛く申し訳ないと思うばかりです。


* 帰省 二日目は・・ *

2011年02月11日 | 雑感

朝戸を開けてびっくり。 裏の山は雪化粧。 

こちらの朝刊には一面に大阪城の雪化粧写真が載っていました。 せっかくなのに大阪の我が家は不在です。

何年か前の大火で焼失した山の木々、植林で少しづつ成長しています。

お墓参りに行きました。 昨年新しく建造されたお寺。 



墓所から見渡す変わらない景色。



花の好きな兄嫁さん、今咲いているのは山茶花、花の無い冬の庭にひときわ清々しく咲いていました。
義母の部屋から見える様に植えているのでしょうか。

夫は同級生に会いに行きました。 すっぴンでなかったら私も行ったと思いますが、パスしました。
気持ちだけお土産はバレンタイン仕様のものにしました。

午後は実家へ。
実のところ帰る前まで夫と半分喧嘩でした。 「実家へ泊まって来い」「いや、今回は寄るだけにする」
「お母さんもゆっくり話したいやろう、泊まらせてもらったらいい」「ううん、今回は泊まらない」
何度かやりとりしながら、あげくの果て「お父さんには嫁としての私の気持ち分からへんのよ」と言ってしまいました。
義母とは3つ下の母は歩けるしまだ良く分かるし、注文の手芸品も手掛けていて元気なのです。
わずかな滞在、少しでも夫の実家の兄嫁さんのそばにいて話を聞いてあげたいしていたいと思っていたから。

母と話した後気になっていた昨秋胃の手術をした兄の話をずっと聞いていました。
兄の左手に抱かれた2歳の孫は、いつの間にかすやすや寝てしまいました。 兄の一番の癒し良く分かります。
やさしいけれど厳格な兄、病気を患うと少しは・・と思ったが、相変わらずハードルの高さは変わらない。
兄嫁さんの作りたてのケーキを甥っ子のお嫁さんが出してくれる、少しみんなで話した後2人は台所へ。
ゆっくり親兄妹で話をするようにと、気をきかせて下さっているのでしょう。
台所へ行きそんな2人と話していましたが、夕食を食べると思っていたらしくカニすきの準備をしてくれていました。
夕食は夫の実家でを告げると、兄嫁さんは急いで焼きガニを作り夫にはビールを、有難い心遣いの動きです。
このように普段も母は兄夫婦孫たちにも至れり尽くせりなのです。 娘と言えども母には何も出来ません。

見送られ帰る時は母には申し訳ない気がしました、それに写真を一枚も撮らなかったことが残念です。
いつも帰る時には玄関の前で撮る習慣でした、母の姿を子供たちにも見せてやりたかったのに。

夫の実家も一番下の弟が持参したカニすきでした。 兄弟5人揃っての夕食です、義母は嬉しいに違いありません。
人生何が一番かと言うと、親子や兄弟が仲良く交流しながら過ごせて生きていけることだと思うのです。
それが亡きご先祖の思いに生きる、そして子や孫に残し伝えて行く大切な心の流れ、あり方だと思うのですが。
そう思うと、夫の実家も私の実家もお陰さま・・互いに長男を筆頭に長幼の序が出来ている様に思います。
それは親の子育ての答えなのでしょう。  それに兄夫婦が誰をも快く迎えてくれるお陰さま。
本当にまた幸せを感じた二日目の夜でした。


* 帰省の一日目は・・ *

2011年02月10日 | 雑感

お昼で早引きの夫と半ドンの夫のお姉さんと地下鉄で待ち合わせて、新大阪へ。
2時過ぎの新幹線”のぞみ”で大阪を経ち、岡山から”こだま”に乗り換えて帰省の途につきました。
新幹線で帰省するのは、ひょっとして何十年ぶりかも知れません。

子供がまだ小さい頃、いつも混まないうちに夫より一足先に3人の子供を連れて帰ったものです。
ずっと到着まで座れない時もありましたが、子供たちは感心するくらい文句も言わずいてくれた事を懐かしく思い出しました。
今は亡き義父が笑いながら「早いクリスマスじゃのう」とか、「早い盆休みじゃのう」と言っていたのを思い出します。
少し皮肉にも聞こえましたが、嬉しそうでした。 「お前とこの孫が一番ましじゃ」それは密やかな形見の言葉です。

初めての小さな新尾道駅、きょろきょろする間もなく改札口には、夫のお兄さんが迎えに来てくれていました。
いつも穏やかな兄、ほっとします。

車が着くなり兄嫁さんが、義母さんのことを話されます。 毎日お世話される苦労を痛く感じました。
夫が名前を言うと、一呼吸置いて分かったような義母。 もちろん姉は5人兄弟の中で唯一娘、良く分かります。
一番嬉しいのかも知れない。 私は・・分かってもらえなくても残念ですがいい、仕方がない。

帰る度に、細くなった手・・小さくなった身体、一点を見つめる目・・ゲートボールやカラオケに生きいきしていた
義母の面影はなく、TVさえ見なくなった義母・・老いと言えどもせつなくなります。

夕食前に以前夫の会社にいた先輩の家へ行きました、帰省すると必ず訪ねます。 
以前のように楽しみで帰省する訳でなくなったので、写真など気楽に撮れないと思いつつ、海の景色だけは
車窓から撮ってしまいます。

山よりも海、島育ちの私には一番ほっとする風景だから。
なのに磯の香り・・夫は海藻大好きなのに比べ、きつい海藻の香りは苦手な私、子供の頃から良く食卓に並ぶので、
苦手でした。 アサリのおつゆも食べ過ぎて正直嫌いでした、今は好きなのです。

養子さんなのでサラリーマンから一転して、奥さんの実家で農業へ転向です。
初孫さんの写真をいっぱい出してくれて、喜びや幸せに溢れていてこちらも幸せ気分になります。

島はイノブタで柑橘や野菜など大きな被害、大変と言いながら屈託のない明るい奥さんの姿に感心してしまいました。
農業に携わる人はこうなんだろうなぁ、そうでなくては・・忍耐のいる仕事、夫も私も農業は無理でしょう、多分。



夜はすぐ下の弟夫婦も揃って、朝からストーブでことこと炊いていたおでん、兄嫁さん丹精のお野菜や色んな料理で
賑やかな夕食でした。 義母は取り分けそばにいる長女お姉さんの姿に嬉しそうです。

お兄さん夫婦の変わらない歓待のお陰さまで、私たちはいつも気持ち良く帰らせていただいて本当に有難く思います。
兄嫁さんと遅くまで台所で話しました。 私が帰省するのは義母に会うのはもちろんですが、嫁同士だから話せること、
普段の様子やご苦労を聞いてあげること、それが今せめても私にできることがらだと思うのです。
同じ嫁なのに、365日お世話していただいているのですから。 
干しなおしたお布団、かけなおした新しいシーツ、外は吹雪いているのに兄嫁さんの心遣いでとても暖かい夜でした。


* 立春・・ *

2011年02月05日 | 行事

立春を迎えると、便りの書きだしは必ずと言っていいほど「立春とは名ばかりで寒い日が続いて・・」
今年は(大阪)違いました。 立春にふさわしいような、陽ざしの暖かな日が続いていて嬉しい。

とは言っても豪雪地方の方や、新燃岳の噴火で被害に、そして鳥インフル被害など、大変に気の毒であります。
豪雪、噴火、高齢化社会・・作業もままならないお年寄りの方々を思うと何とも言えません。

なのに国会ではいつまでも・・「何のやましいこともありません」を繰り返す方ならばさっさと自ら、喚問でもなんでも
応じればいい潔白を国民に説明する責任を果たせばいいのに、何度も繰り返される尋問の無駄、もううんざりです。
場当たり的な手当てやなんやらもたもた、世間の非常時にこんなんでいいのかと苛立ちさえ覚えるこの頃です。

昨夜のウォーキングが? どうだか、朝なんかの拍子に右足が痛くてかかとをつけて歩けなくなり(2年前の夫と同じ?)
まさか痛風でもないでしょうに。 帰省の為の買い物に行くべしだったのに・・歩くのが不自由で断念、
一歩も家から出ない一日でありました。 「食べたら太るし、痩せなあかんってウォーキングすりゃぁ足が痛い言うし、
もうそのうちほんまに歩けんようになるわ」夫に嘲笑されました。  

梅一輪 一輪ほどの暖かさと言いますが・・私がHP作成したときに買った記念樹の白梅の鉢植え、3輪ほど開花しました。
大安・・早いかも知れないけれど、娘夫婦でなつめのおひなさまを出し部屋が一気に華やかになりました。 
世の中早く明るい春になればいいのに。

大阪の春、大相撲大阪場所も中止でしょう、ここまでくれば当然ですが八百長の事実には腹立たしく思います。 
またかと思いましたがここまでこないと一掃できないのでしょうか、相撲界全体を見直す警鐘にしてはあまりな裏切り行為です。
何かに書いてありました、外国人力士が横綱上位にいて日本人が八百長やってるなんてって。  愚痴になってしまいました。