日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 申し訳ない・・ *

2013年07月26日 | 雑感


午後なつめがお昼寝をしているとき、神戸の夫人から電話が入った。

「孫が4人おるから忙しいのは分かってるけど、電話が無いからもしかして具合でも悪いのかなぁと思って」
(わ・・・)
短縮授業や夏休みで孫の守があるが、「土曜日神戸に行こうよ」と夫に言ったばかりだった。
夫は忙しいらしく、土曜は一日仕事らしい。  行けないので、今日夫人に電話するつもりだった。 でも、そんな言い訳は言えない。

普通に電話で話すとき聞こえにくいらしいので、最近は受話器を両手でこっぽり包んで大きな声で話をする。
それでも話が一方的になることが良くある。  やはり会って話をしないとって思いながら、行けない日が続き気になっていた。
耳が少し遠くなられた精もあるし、いつも声が割れて聞こえにくいと電話の調子が悪いと言われる。
うまく話の疎通が行かなかったりするのでつい延び延びに・・。

申し訳ない、こちらの話をするのではなく、聞いてあげればいいのに・・。

「暑いからこなくていいよ、けんちゃんにも行こうって声をかけんでええからね」
「しっかり、孫のもりしてあげや、4人もおったら大変や」
「ほんまに来んでもいいから、暑いときやしあんたが倒れたらみんなが困るんやからほんまに来んといてや」

来なくていいを何度も重ねる夫人。
申し訳ない・・
来て欲しいのに。  来て欲しいと言う心の裏返しなのに・・。

まだ日は長い、夫が帰宅してからでもいい、お惣菜作って訪ねよう。
そして行けない分、葉書出そう。
そう、今月は文月だし、私はそんな月を送ろうと誓ったはず。

 


* 思い深き 天神祭の日は長い一日 *

2013年07月25日 | 雑感


天満宮は夏祭り、孫たち4人の子守りをしていた頃は、抱っこして獅子舞にr頭を噛んでもらっていたのに、それがなくて寂しい。
いえ、それは孫たちの元気な成長の姿であると言うこと。

おひねりを包み、玄関に入ってお祓いをしてもらう。   


太鼓や子どもたちの掛け声を聞いていると、7年前の今日のことが思い出される。

この時間、おなかの異常で次女から電話、緊急入院、胎盤早期剥離、かかりつけの病院は子供ばかりか母親も助けられないと決断。
厚生年金病院へ連絡してくれ、血の気のひいた次女に看護師さん2人が付き添い酸素吸入、心音を聞きながら救急車で搬送された。
帝王切開をするべき妊産婦の手術が伸びていて、準備が出来ていたところへ運ばれた幸運。
間もなく手術が始まり、なつめが生まれたことを知らされた。 

生まれたのは1時56分だったが、知らされたのは40分後。
それだけ多くの先生や看護師さんたちが関わって下さって2人の命を一生懸命に助けようと力を尽くして下さったのである。
なつめを見たのは、ICUではだかの身体に何本ものチューブをつけ保育器にはいった姿、自分で呼吸もできず泣きもしないし、身動きもせず。
今後の成長の中で、異常があるかも知れない事は否めないとはっきり言われた。
もう30分遅ければ、母子ともに助からなかったと知らされた。  かかりつけの先生の判断が遅ければ・・、命の恩人ですよとも。

そんな奇跡の出産である。 
25日、我が家に神輿が回ってくる時刻、当時が甦り私は胸がいっぱいになり、目がしらがあつくなる。

神輿が通り過ぎて、小学校のプールに行っているなつめを迎えに行った。
もともと色黒な方だが、泳ぎに行ったりでいっそう真っ黒、まぁでも夏は日焼けしたと言うことでごまかせられるし、元気そうでいい。

我が家へ来ると必ず、「ばぁば、コピー用紙ちょうだい」 色鉛筆の束をもって絵や手紙を書く、それが習慣になっている。
明るい、笑っている顔の絵、手紙も色々な人へ書いている。  手紙と言うのは、相手を思えばこその表れである。
大切な思いやりの心、豊かな心。  そうだ、大勢の人の祈りや思いをもらって生まれた子である、色々な人へ書く手紙は、
ひょっとしたら、ありがとうの気持ちかも知れない、まだ分からないだろうけれど。  

なつめがお昼寝をしているとき、お祭りのバラ寿司を作った。  来られない息子のところへは、夕方重箱で届けた。
愛ちゃんやひろとがお祝いのお手紙を書いてくれていた。
「なっちゃん、酢めしをうちわであおいであげるからね」そう言っていたのに、プールで疲れたのだろう起きなかった。


長女が昨夜から作ってくれた飾り。  後は、なつめの家に飾られるだろう。
誕生日プレゼントはみんなで、前より大きめのそして可愛いピンク色の自転車である。

昨年はみんなで天神祭の花火を見に行ったが、次女は仕事だったし今年はTVで見た花火。

孫たち2人の待ち遠しいケーキは、サーティーワンのスティッチのアイスクリーム・ケーキ。
生まれてきた奇跡を思うと、元気でいてくれるだけでも充分なのに、つい期待して頑張って・・と言うことがある。

みんなで天満宮へお参りをする。
なつめとかんた、獅子に頭をガブって噛んでもらった。 厄払いで無病息災、良い子になりますように・・。

7月25日はことのほか思い深く、しみじみと命の尊さを思いながら、新たな感謝の日・・長い1日である。


* 24日と言う日 *

2013年07月24日 | 子供

☆浜木綿(ハマユウ)  

  浜木綿の 風にそよぎて  咲くさまの 優しき姿   君に見せたく     柿本人麻呂


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長男が生まれた24日は土曜日、先生があと100gでも大きかったら帝王切開だった言われた。 
土曜だったので、先生や看護婦さんが何人もついてくれたと言う贅沢な出産だった。 
4キロジャスト。 2日ほど腰が立たなかった。  色々な患者さんを見てきたので、歩けなかったらどうしようと思ったくらい。
生まれるのがあと1時間遅ければ夫は午後会社の慰安旅行に出かけていなかった。  (生まれてなくてもやめはしない)
AM11時、産声を聞き、お互いの実家へ念願の長男誕生の電話をかけているのが分娩室まで聞こえていた。
部屋へもどった私の顔を見るなり、「行ってくるぞ」 嬉しそうに(旅行に行くのが)出かけて行った。 

次女の場合は、大きなおなかをして自転車で診察に行ったら、今から入院して下さいと言われた。
長女と長男を義姉に見てもらって、自転車へ荷物を積んで病院へ行った。  
そんな姿を見た母と同じくらいの年のお隣の奥さまが不安とそれにちょっと呆れていたかも。 3人目、母は強し。
陣痛が中々こなかったが、夕方痛みがきてからは早かった。  
長女や長男の時と違って、産んだ瞬間に私のまわりにバラの花がわーって降ってきたような何とも言えない気持ちだった。

それにしても、長女は2日前の22日で、長男と次女は24日、長女が24日なら3人が同じ日と言うことで、当時やっていた
奇人変人の番組に出られたのに、のちに家族でそんな話をしたことがあった。 ちょっと残念だった。
しかし子供たちにすれば、3回食べられるはずのバースデーケーキが1回と言う不運、かなりな年齢までブーイングだった。

団捨離の時代、物は当然だが思い出をいつまでも懐かしむより、残りのこれからの人生を楽しむことを考えた方がと思うようになった。
が、子供たちが生まれた日・・これは忘れられない財産、大切にしたい思い出である。
私たちは先に逝く。   子供たちのこれからのまだ長い人生、色々あるだろうがいい家庭を作り上げて行って欲しいと思う。
24日と言う日、しみじみと子供たちのことを思う日である。


* 夏祭り ニチニチソウも 元気なり *

2013年07月23日 | 行事

港区では、2日間づつ住吉大社にはじまり、三社神社、そして三津神社が昨日、今日、そして24、25日が三先天満宮。
連日の猛暑のなかでも、ニチニチソウがピンと元気に咲いている。 この時期いつもいつも。

子供が小さかった頃は、次々とはしごしていた。 
夫が麻雀なので長女と外で食事をすませ別れた後、お祭りの提灯を撮りに出た。

時は、もう8時前・・三津神社への神輿の宮入りがまだだった。
神社を前にして、まだ最後の予定地をお祓いしながらまわっていた。 

 

今日は昨日に続き、蒸し暑い熱帯夜。

宮入りを見ようと人々が鳥居の前をあけて待っていた。



なかなか進みそうにないので、終わりにした。
炎天下、猛暑、大人はいいにしても子どもたちごくろうさまと思う。

明日、明後日は我が地域である。


* 22日と言う日 *

2013年07月22日 | 子供


小学校は夏休みに入った。  なつめはプールに通い始める。
プールに通い始めたなつめを迎えに行く。
12時前に終わり、着替えて帰るのでなつめ家で待たず、校門の前で待っていた。
オレンジ色の鮮やかなマリーゴールドの花も、元気になるなぁと眺めながら待った。  

保育園生活から、学校生活・・すぐに5時間授業。  小さな体に大きな重たいランドセル、勉強、宿題。
一生懸命にそれに適応している姿、どの子もそうであって、適応できるようになるものだなぁと感心する。  
と言うより、その対応の変化にいじらしくなってくる。

前になつめと同じ保育園に通っていた近所の男の子が、なつめがきているかとチャイムを鳴らしたことがあった。
何もしゃべらないので玄関へ降りたら、自分ちの前にお兄ちゃんと立っていた。
行って「何か用事やったの?」と聞いたら、「なっちゃんおるかと思って」
「小学校どう? 楽しい?」って聞いたら、「勉強がしんどい」と困った顔して言った場面が頭に残っている。
男の子で一番低くてすることも遅かった、遊戯や何かと言うとなつめのパートナーだった。

なつめを連れて帰り食事をした。  
夏休みの宿題帳をしてお昼寝、私も一緒に(あくまでもなつめを寝かせるために)
真っ黒に日焼け(もともと黒い方)日曜友達家族と一緒に海にも泳ぎに行ったばかり。
一生懸命な日々、寝顔を見ていると(元気によく大きくなったなぁ)と出生時を思うと感慨深いものがある。

今日は長女の誕生日。
私が勤めていた産婦人科で出産、日曜に入院して月曜の早朝4時27分に産声をあげた。
臍帯が2度も巻いていてすぐに泣かなかった。 
宿直だった婦長さんと、通いの助産婦さんが処方を言い合いしていた。  長女は布にくるまれたまま。
(そんなことどっちでもいいから、早く赤ん坊の処置してよ・・)心の中で叫んだ。 
助産婦さんが両足を持ち長女を逆さにし足の裏をパンパンとたたいた(思えば古い!) のち酸素吸入をして、やっと泣いた。
その声を聞いた時初めてほっとし、我が子が生まれた大きな喜びに涙したものである。

院長先生が朝一番に部屋に来て、
「おめでとう、いや~参ったわ、かんにんなぁ」と頭をかき笑いながら言われたのを覚えている。
前日(日曜)ゴルフに行った先で食べた牡蠣があたって食中毒をおこし、出産には立ち合ってもらえなかったのだ。
39年前の今日だ。

初めての我が子、長女出産の22日はこんなだった。