明日は、あいさんの月命日である。
続きの詩集を仕上げるべく、朝から夕方までパソコンに向かっていた。
この頃の詩は、ご自身の病名を聞かされていた。
しかし彼女は知るのが怖いからと、お医者さまからの話だけで病名についてパソコンでは詳しい事は調べていないと言っていた。
そう思って読めば、今まで以上に平静だったり、逆に命を意識してか親しき人々へ残すメッセージのような気がしたりした。
送ったのち、ご主人様から届いたお礼状には、月命日に届くように詩集を投函した今日12日は、お2人の結婚記念日だったそうである。
何年になられるかは分からないが、まだまだお若いのにお1人で迎えられた記念日、寂しい思いでもあられた中に、
詩集の中からあいさんの思いを読みとられながら心が救われましたと書かれてあった。
詩集の中にL判で、1月18日夫と会社のプチ旅行で三田へ行った雪の日、偶然にもかなり近い所にあいさんが眠るお寺があることを
ご主人様よりお聞きしていたので、主人がお墓参りに行こうと言ってくれて、その辺は雨だったが、お墓で手を合わせる夫とお寺の写真などを
1枚にコラージュした写真を同封させて頂いた。
ご主人様のご両親も眠られる場所、そこへ足を運ばれた時のさまざまな想い出が甦り、寂しさが紛れたことを書いてあった。
詩集の冊数が増えて行くのを正比例とするなら、彼女にもっと届ければ良かったとの無念と悔いが反比例して行きつつあるかなと思った。
仕上げで一日中パソコンに向かっていた私。 夫も一歩も外へ出ず、TVとパソコン三昧な一日だった。 付き合ってくれたのかな。
出来あがったのを見てもらった。
「いいんじゃない」
19冊目の詩集の中から・・
*** 感動 ***
あじさいが 咲き始めた
バラも 真っ最中
この前は かきつばたが 咲いていた
その前は さくら 満開だった
四季が 巡るたびに
新たな 花たちが
私の出番と ばかりに
精一杯
自分を 表現して行く
その 美しさに ただただ 感動
わたし達も 今
限られた 時を
自分らしく 生きている
次々と咲く 花に
わたし達が 感動するように
何処かで 誰かが
わたし達の姿を見て
美しい・・・と 感動して
くれるのでしょうか・・・・・
2010年6月4日