歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

芝居のフィナーレのような桜の花びらが舞っていた・・・・

2020-04-28 | その他

矢上川の土手を散歩するのが日課になってしまって、感染症のお陰でのんびりとした日々を過ごしている。

これでいいのだろうか? と、思えるほどにだ。

余りにも時の流れと世間の移り変わりに敏感でありすぎた。

両隣の人々の顔色を窺いすぎてしまっていた2か月前とは大違いだ。

長閑な日常を退屈な日々と固定してしまうのは危険な状況の前触れ。

始まりがあれば終わりはやってくるわけで、終わりは誰の所為でもなく、吹き荒れる風の所為なのだ。

 

いままで、僕の周辺の人々の本当の気持ちも少し理解できてしまうことも喜びの一つなんだろう。

それは、その人を好きとか嫌いとか、そんなことではなく、ただ、そう思うのだ。

そんな思いを心に書き留めておくだけなのだ。

そんなことで、今の今を過ごして少しばかりの未来を見つめて生きていく。

大切なものは一体何?

そんなバカげたことに思いを馳せてしまうのは愚かな欲張りのすること。

木々の緑の葉の一つ一つを見続ければ判るはず。

葉っぱはすでに芽吹いた葉のじゃまにならぬように生えそろう。

それは考えないからなんだろう。あるがままに持って生まれた樹木の持つ生命力の感覚に倣っているだけなのだ。

暮らしの日々のなかで、こんなに静かな気持ちで樹木たちを見つめ続けたことはなかった。

こんな日々に巡り合えたことを記憶の中に留めておきたいものだ。


騒がしい世間に背を向けているわけではないが、どこか馴染みが希薄になってしまっている。

2020-03-25 | その他

コロナウィルス蔓延し始めているとか、そのために東京オリンピックが延期になったとか・・・・

吹く風がよそよそしく、僕の身近で吹いていると思えなくなってしまっている。

感染症は恐ろしい。

でも、恐ろしいのは人間で病原菌ではない。

そんな気がするだけだ。ウィルスだって生きている。

人間が増殖するように、ウイルスも繁殖しまくる。想像を絶するスピードで。

彼らの生きるスピードは人智を超えて宇宙空間へだって行ってしまう。

人々はウィルスそのものよりもウィルスに感染した人間を忌み嫌う。

それも半端じゃなく、感染者を排除し悪魔のように嫌う。

それは単に恐怖心からなのだろう。けれども邪悪な心で感染者を観るまなざしには

弱さを隠す卑怯者の犬のようだ。怯える犬は狂暴で、なり振りかまわず吠え、噛みつく。

抜けるような青い空が広がっていようがお構いなし。

 

普通に、いつもと同じように暮らしている。

外に出れば1メートル以内の人々には気を配り、嫌な気分にさせないように自分の場所を見つける。

家に帰れば丁寧に手を石鹸で洗い、顔を洗い嗽を二回する。

風呂には毎日入るし、食事はできうる限り決まった時間に食べるようにしている。

人と話すときには相手の目を見つめて好きになった事や、好きだった事柄を話し、

嫌いだと思うことはできるだけ話さない。

歯が痛めば歯医者に行き、熱が出れば医者に行き、院内ではマスクをする。診察が終わればマスクを外す。

そして、空を見上げ、深呼吸をする。

ここ数年前から続く天災のおかげで、NHKが言う防災セットを購入し、補充を怠らず日常の消耗品については

余裕を持った買い方をする。

マスクがなくなっているだとか、テッシュがないだとか、

マスコミの無責任な掛け声に踊らない。

ワイドショーのMCほど無責任な人間はいない。

信用という言葉からは、地球と月の距離ほど遠のいている。

 

「絆」だとか「心を一つにする」そんな腐ったリンゴのような標語を叫び続けることに意味があるとすれば

それは、危機感を煽るだけ煽りすべての人々の心を握りしめようとする。

別に一億人が同じ考え方で生きなくてもいいではないか。

鬼気迫る日々が存在すれば、一人ひとりがヤルべき事をやればみんなが安心して暮らせるはずなのだ。

そして、やるべきことが判らなかったり、できない人たちに向かって手を貸すのが礼儀というものなのだ。

決して責めることではないはずなのだ。

 

手を洗う水がなかったり、石鹸が手に入らなかったり、身を守る方法が理解できなかったり、

そんな人々こそ救わなかければならない。

今、自分の手の中にあるものを分けてあげなくてはいけない。

持つべき想像力を獲得して育みながら分けられるほどの力を持たなくてはならないはずなのだ。


愛情がなくなると第6感は働かない

2020-02-26 | その他

以前の会社で社長をしていた。ほんの3年ほどだけだった。

新事務所に引っ越すとメールがやってきて、私物処理のために神保町まで出かけた。

天気予報は外れてばかりいたので傘は持たなかった。

テレビの天気予報士の服のセンスがあまりに悪いので信用していない。

天気の所為ではないけれど、彼に会うのは避けたかった。

先月、別れ際の言葉が胸に引っかかっていて返答しなくてはならない。

どう返事をすれば縁を切ることができるだろうか?

噓をつくのは苦手だし、ましてや喧嘩をする気力もない。

しかし、不思議なもので愛がなくなると想像力は低下してしまうらしい。

鶏の頭脳のように三歩で記憶は遠のくのだ。そして、僕の想像も働かなくなり、

準備していた返答の言葉も永島茂雄の初打席のように豪快に空振りとなった。

まだまだ、未練たらしい言葉を吐かれることを想像していたことが恥ずかしいくらいの気分だ。

 

やっとこ、肩の荷が下りた。

今夜はぐっすり眠れそうだ。

 

 


懐かしさはどこまでも続けられるのだろうか

2020-02-21 | その他
一年ぶりだろうか?彼らと飲むのは・・・
そんなことを考えながら日比谷から人形町までの道を歩いた。
晴海通りを東銀座へ向かい、昭和通りまで出て、日本橋の方向へ歩いた。
昭和通りはあまり好きではないので裏道を歩いた。十数年前とは風景が変わっていて、ドギマギしてしまった。
迷い犬のような気分で永代通りまでたどり着いてスマホの地図を見た。
小雨が降りだして、少し寒かったけれどかまわずに歩いた。
人形町の交差点についたのは午後の6時15分。
約束の時間には十分すぎるな・・・と思いながら僕が指定した店を探しながら路地を歩き回った。5分も経たぬうちに店が見つかってしまった。

彼らに会うのが嫌ではなかった。でも、なんだか気まずかった。
一年という時の流れは人との関係を見直す僕なりの考をまとめる時間だった。
彼らの事、忘れていたわけではない。ただ、恋人の事を思い浮かべるようには思えなかった。
なんとなく、会話が弾みそうになかった。
仮面を被って対峙するにはそれなりの忍耐が必要だと思っていたようだ。
会話が弾むときは決まって自分の話をし続ける僕がいた。
そう、人の話を間延びしたスローバラードのリズムで聞いていられたのに、
最近は8ビートのリズムでしか刻めなくなってしまっていて、相手のリズムにかぶせてしまう自分に気が付いてしまったんだ。
早く言えば、心に2ビートの余裕がなくなってしまったようだ。
間抜けな人の話すことでさえ曖昧な返答ができていた。
会話の決着を早くつけすぎてしまっていたんだろう。

リズムが必要なのだ。会話にだって、なにしたって心地よいリズムってものが・・・必要なのだ。
人類に言葉が生み出される前からコミュニケーションできていたわけだし、ほんとは言葉なんぞ必要ないのかもしれない。
人間関係で大切なことは、たぶんそう言うことなんだろう。
太鼓があれば意思の疎通は充分できていたはずだし、おおざっぱなことの方が人は分かり合えるのかもしれない。






眠りに落ちる瞬間に幸福感が訪れるのは、もう死んでもいいということなのだろう。

2020-02-01 | その他
梅雨のような1月が終わった。
朝、7時30分。ベッドから起き上がる。
何もすることがない1日の始まりは15歳になる前の子供のように美しく逞しい。
しばらくの間こんな朝を迎えたことはなかった。
不安という電車は時間どおりにやってきて、その電車に乗り込むことに躊躇はなかった。
いずれにしても自らが選んだ暮らしぶりだったし、他人にせがまれていやいや繰り返した日々ではなかった。
でも、ポケットに詰め込んだままの札束が邪魔だった。

クロスロードはどんな場所にもあって、迷いなくいきたい方向とは逆の方向を選択してきた。
どうしてなのかはいまだにわからない。
ただ、迷う前に体が自らの意思に反して動き始めるのだった。

もう、あれから8年の時が流れた。
僕は相変わらず、誰かのためなのだと自分に言い聞かせて、
この道を歩いてきた。でも、時々はムカついたりしながらも、
周りの人間の微笑みに忠実に正確に
ベテランのタクシー運転手のように柔和な声で返事をしてきた。
だから、許してもらえるのではないかと、綿菓子のように考えている。

自分の気持ちに正直に、誰も気が付かぬ本物の自分らしく
今持っているエネルギーを使い果たそうとしている。

勇気は使わないと消失してしまうのだから・・・・