歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

暁までは時間がある。睡魔はやって来ない。

2020-01-22 | その他
ひと仕事終えて剥製師が内蔵を見事に取り除き一息付いているような気分だった。電車の窓からは暗闇しか見えないけれど気分を落ち着けるには程よい暗さだった。何事も起こらない日々よりは面倒でも刺激的な毎日がいいなんて言う奴らは木下サーカスのピエロのように下品な笑いで人生を誤魔化している。猫は見ず知らず家の窓で僕を見下ろすだけで微笑まない。でも、今夜の僕は6時間の手術を終えた外科医の気分。患者の容態など構うものか。生き続ける奴は生き続ける。手術などしないのだ。とにかく満足した顔をした僕を誰かが嘲笑っても怒りは沸き上がらない。
不思議な気分。
人に嫌われることばかり気にしていたって何も終わらないし始まりもしないのだ。

昔誰かが言った。
あんたがどれだけがんばってやったことだって、アンタの悪口は言うのよ。
そんな奴のことばっかり聞いていてはダメよ。まるっきり逆じゃない。それは…ね。

渋谷の駅の銅像になった犬になりたいの?

キツイ一言だった。たけど、やっぱり犬だけにはなりたくないのだ。
そう思い詰めて、生きてきた。

なんだかホントの友達には会えなかったとしてもいいではないか。
いい加減な奴らと口をあわさて生きているより、探し求めて彷徨う方がいいにきまっているのだから。たとえ巡り会うことのない人生だったとしてもだ。

さて、明日目覚めがやってきたとしたらどんな映画を観ようか。


誰もが勝つなんて思っていなかったんだ。

2019-10-04 | その他
ラグビーは下手すりゃ死人が出ちゃう。
そんな野蛮なスポーツなのだ。どちらに転がるかわからない楕円形ボールを奪いあいながらの陣取りゲーム。勝負は時の運。だから戦いが終われば恨みっこ無しで…でも、そんな綺麗ごとなどない。相手を潰さなくてはボールは奪えないし、守れない。

アイルランドに勝てるなんて思わないし、ひょっとしたら…そんな事も思わない。見たいテレビ番組なんてなかった。だから見たと言う人が僕の周りに山ほどいた。俄かファンが悪わけではない。人が殺し合うのを見るのが好きなのだ。過去が証明している。傷つき疲れ果てた選手に勝者の冠は輝くけれど一瞬の輝きに過ぎない。明日は約束などされてはいない。戦いはまだまだこれからなんだ。柔軟な筋肉と俊敏な頭脳。そして強靭な心を持つ者。何よりも運の流れを掴み取る嗅覚さえあれば勝つだけなのだ。ラグビーを見る者とヤル者の差は余りにもありすぎて、残酷。人は残酷が好きなんだろう。
だからこそ、ノーサイド。そんな言葉が必要になったんだろう。


なんという蒸し暑さだ。

2019-09-08 | その他

先日、BSで軍艦島についてのドキュメンターリーを見た。

坑道の中の温度が35度を超える。そんな劣悪な中での石炭採掘作業は

人の命をどれだけ奪ったのだろうか?

そんな想像をしたばかりだった。

だから今日、この蒸し暑さに恐怖を覚えてしまった。

それに閉所恐怖症が重なり合えば、それこそ発狂するに違いない。

 

冷房以外の涼しさが必要だ。

人は誰しもストレスを抱え込み、それが生きることなのだと勘違いしている。

我慢は病の温床。冷気は正気を取り戻す。

とはいうものの、寒すぎるのも暑すぎるのも嫌なだけだ。

 

最近は身近な人たちに言われる。

「短気になったね?」

で言い返す。

「15歳過ぎからず~と、短気だよ。」

周りの人たちを想像以上に僕のことに関心を持ってはいないのだ。

 

そんな想像は自分自身の心の在り方に自然さを呼び込みリラックス感を与えてくれているのかもしれない。

 

とは、言いながら、今、気になるのは腰の痛み。

以前は坐骨神経痛だと整形外科医に診断され、痛みがましていた。

それが、ある知人の紹介してくれた整骨師に直してもらった。

週2日、3か月通い、ひたすら師匠のなすが儘に素直に従った。

邪念。自分の考えを捨て去った。

おかげで、腰痛を気にせずに日々を過ごしてきた。

 

しかし、再発なのか?賞味期限が切れたのか?

病気なのだから、賞味期限ではないか・・・・・

 

そんなに親しい友人でもない60歳の男が大腸癌で死んだ。

昨年のことだ。

診断を告知され僅か1か月のうちに亡くなった。

世話が掛からずに逝ったことが唯一の慰めだ。

 

そして、僕も多分にそうではなかろうか・・・と想像し

とりあえず準備をし始めようとおもっている。

とは言え何から始めるかを考えてみよう。

 


過ぎてしまったはずのことばかりが脳裏をよぎり始めるのは…

2019-06-29 | その他
過ぎ去ったことなどどうでもいいんだけれど、
片隅に、頭や心の中に追いやってしまったことへの仕返しなのか、僕を責め始めている。
 
舗装もされていない道。疎らに、不規則に建つ木造家屋。電信柱の中程に不安げに灯る電球。真冬でもなさそうなのに外套を羽織る中年の男。紛れもなく僕の父だとは分かる。僕に近づいて来る。しかし、待てど暮せど側には到着しないんだ。話しかけているのは分かるけれど聞こえないんだ。
ただ、少し怒っていることは伝わってくる。
でも、何を怒っているのかが分からない。
苛立ちは、いつだってすぐ伝わる。
 
僕も歳を、とったのだ。
脚が遅くなり、階段を登ると3、4段目で息が上がる。
いや、肉体的なことだけではない。
気がつかぬうちに、腹がたってしまう。
意のままに動かぬ身体や心。
コントロール制御不能。
感情が露わになるのは恥ずべきなのだ。
理性と言うより知性が失われていく。
 
老醜
 
そんな言葉に恐れ慄く日々がやって来たんだ。
 
しかし、まあ、それでもいいんだ!と、思える瞬間があったりする。ほんの少しだけだけれどね。 周囲の人間への洞察力が低下しているから、自分の心が納得しやすい原因を想像してみることにしている。
 
若かりし頃、想像していた60代になんかになっていない。詰まらない男になってしまっている。時々は数少ない栄光の時を思い出してもみるが…地下鉄の前の座席に座ってる女の子を頭の中で裸にしてみたりしている。それでは中学生と変わらないではないか…愕然として呆れてしまう。
 
ホントにやりたいことは何か?
そんなことを自問しながら時は、流れっぱなしなのだ。
 
ただひたすら
老醜と呼ばれぬようにしなくては…

悪口を言われるのは慣れてると思っていた。けれど…

2018-10-18 | その他
運河の川面に中途半端な高さものビルが写って夕焼けが優しく包み込んでいた。気持ちは凹んでいて自己嫌悪を立て直す方法が見当たらない。そんな気持ちを見事に隠し切ったつもりでも足取りの重さまでは気が回らなかった。
そんな気持ちを感知せずに「セミナーの席につかせてくれ!」と彼はの賜る。僕は自分でやれよ!と心な中で叫んだ。
上司でも部下でもない関係でこの仕事をやり続けてきたはずだ。そう、一体感はヒエラルキーの中で生まれない。やらす奴とやらされる奴。そんなことはありきたり日常的に繰り返されている。其れを埋め尽くすために給料が存在するし、うまくいけば友情さえも生まれたりもする。
口先だけでいい仕事はできない。

思いは遥か彼方、虹は出なかった。
僕が目にしたものは暮れなずむ運河とそこに映るビルと夕焼けだけだった。

まあ、それで充分なんだけど。