歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

愛する女のために危険を冒す男はバカなのだろうか・・・

2019-05-06 | 映画

自己満足の極みと誰もが口をそろえる。

カサブランカのニックの事だ。

単なるお人よしの男にしては骨が在りすぎるし、人の話などハナから聞くつもりもない。頑固者。

愛する女のために、敢えて危険にその身を晒す。

なぜか、

損得で勘定すれば結論は火を見るより明らかだ。

映画の事だから、物語になりやすいのだろう。

愛する女を幸せにするために勝算の低い戦いに臨む男。

この映画が作られた時代では、自己犠牲が町の駄菓子屋で買えた。

ここまでは、映画のネタとしてはよくある話。

しかし、愛する女が他の男を愛していると知りながら敢えて危険を冒す・・・・

更には、他の男を愛していると思っていたが、そうではなく自分を愛している。

そんなことが判ってしまったら、普通ならハッピーエンドで終らなくてはならない。

このカサブランカは、そうではないのだ。

 

誰だって人にバカと呼ばれたくはない。なのにだ・・・・

で、思った。

こんな大馬鹿野郎の話でありながらカッコよく見えるのはボギーしかいないんだ。

よれよれの爺様。ハンフリー。

不精ひげがお似合いのボガード。

 

ラストシーンは明日のことなど全く考えない。行動を起こした後、明日はどうするか考えよう、なんてことは・・

いずれにしても、彼は最初から自分自身を捨ててしまっている。

死に場所を探し求めている老人のようだし精気などという胡乱の気配はないに等しい。

歳をとればこれぐらいの渋さは誰にだって漂うのだろうか?

そう、欲がなくなってしまうのだ。

今更ながらに、ややこしい友人などはいらないわけだし、

女など面倒くさくて付き合ってなんかいられないのだ。

 

孤独死を恐れ、俄かに周りの人々に優しさを振りまくなど、

逆立ちをしてもできやしないのだ。

あきらめる。潔く、何もやらないことだ。

 

この映画を最初、観た時には思ったものだ。

こんな野郎なんてのは、この世に存在するわけがないだろうに・・・と。

リアリティない映画なんて面白くもない。

 

しかし、今は違う。

この映画は何回目だろう、観たのは。

いちいち数えていいないくらいに観てしまっている。

 

迷ったとき、そう、何事か選ばなくてはならない時、

集中して結論を急ぐ時に限って観てきたようだ。

 

バカな選択をすればするほどに、気持ちが安らぐ。

自分自身を愛おしく感じることができたからだ。

自己愛は嫌悪の対象。そう考えていたからだ。

 

そう、自分自身を愛してやらなければいけないのだ。

でないと人生が愉しくならない。

 

そんなことにやっと気が付き始めた。

 

 


少年老い易く・・・とはよく言ったものだが

2019-04-26 | 映画

時の流れの中では感じない事も過ぎてしまえば後悔ばかりが胸を苦しくする。

それは老いた所為ではない。

反省し償いは、幾つになったって悔やむことを実感したときから始めるに限る。

過ぎてしまったことと諦めてはならない。

取り返しの就かぬことばかりの生き方だったとしてもだ・・・・

遠い山並みを見つめて呆然と案山子のように、佇む自分の姿を思い浮かべて見ればいい。

これから健やか眠りに誘われることはないのだから。

 

暗くて黒い眠りはごめんだ。

 

しかし、あの頃には戻りようがない。言い訳を百億個も思いついたとしても

居心地の良い場所など見つけられはしないだろう。

 

「運び屋」を観て、つくづく感じてしまった。

 

何もしなくても時は経過し、人は壊れていく。

肉体はぼろ屑のように風にたなびくし、鏡に映る己の姿は信じようもないくらいの別人なのだから。

そんな姿を信じられれないと言ってみても、嘆く惨めさだけが心を蝕む。

 

だから、立ち向かう。老いと言う現実に抗う。

人の眼差しなど気にしていられない。それほどに罪は深いのだ。

なのに、知らんぷりを決め込み、他人任せしてしまおうとしたりする。

それほど無責任に生きれる鈍感さは何処を探しても見当たらない。

そんな思いを滲ませながらも年老いてしまった主人公は今の境遇、たかが知れた運の良さにホダサレながら

時を過ごそうとしていた。

しかし、歳を重ねた重さが、今までとは違って、最も都合の悪い選択をしてしまう。

 

まあ、それで幸せになると言う訳ではない。映画が続くのであれば過酷な生活が彼にはのしかかる。

泣きながらもその暮らしを受け入れ、

最悪の環境の中でも老齢の知恵を駆使し、

楽しくのほほんとした日々を作り上げていくのだろう。

 

苦虫を噛み潰したような顔で、差別用語を躊躇いもなく吐き捨て、

軟弱な精神を嘲笑い、「糞ガキ!!」と相手を睨めつけ言い放つだろう。

 


ただひたすら虚しいだけ…と思い詰めたところでどうなるわけでもあるまい。

2019-03-27 | 映画

平穏な時を過ごして終わりの時が来るなどと思いはしない。

意のままに時を重ねながら生きて行ける程、器用でもない。

遠くに霞む山の緑が恋しくなっても春はまだ遠く、山並みには白いカーテンが垂れ下がり、草原はブラウンに澱んでる。

遠くの方で鶯の啼く声を聞いたような気がしも空耳としか思えなくてハンドルをにぎる手にもチカラが入らない。

 

さあ、さて何処に行こう。

思い倦ねる僕はアクセルを踏み込む。

メルセデスのエンジンは振動を心地良く僕の身体を揺さぶり、やる気を出させてくれる。

 

フロントガラスには枯葉が溜まっていたけれど、お構いなしにクルマを発車させた。

 

老いを簡単に受け入れてはいけない。

身体の節々の軋む音がしても、やるべき事はやらなくてはならない。

惰性だけで生きてはいけない。ましてや過去のつまらない躓きに心を曇らせたり、早く忘れてしまいたいなどと弱音を吐く暇などないのだ。

時は留まらない。過ぎ去っていく風景を眺めやり過ごし、無いモノとして過去を偽るには罪が重すぎるのだ。

「償う」しかないのだ。何があっても、謝罪の言葉以外で相手に伝える方法を編み出し赦しを乞う。

それが老いたもののすることなんだ。

自分を見つめ直して気が付けば誰だってそうするのだ。

しない事を老いの所為にしてはならない。

 

そんな言葉が頭の中でグルグルまわりはじめた。

 

横浜に戻るか・・・・。

 


問いかけたって返事はなくて、答えは風の中…。

2018-08-08 | 映画

アメリカワイオミング州にその場所はある。
「ウィンドリバー」。
アメリカインデアンの居留地。
そんな場所などは遠い昔かしの世界だと思ってた。
山と草原と川。
冬は、マイナス30度。
そこに暮らす人々の物語。
この物語の主人公はハンター。
家畜を襲うオオカミ、ピューマを射止めるのが仕事。生き抜くためには殺してしまわなければならない。甘さはない。この世界に運はない。そう言い切る男。
そうだ。と、思う。ラッキーは都会にしかない。
やり抜く。生き抜く。強く思う意思しかない。
過酷な自然の中にいるとボーとしている訳にはいかない。自分の立ち位置を安全な場所に定めるまで警戒心をフルスロットルに保つ。
楽しい時はココロの底から笑い。悲しい時は底なしに涙を流す。それが中途半端だと命を失くすことになる。
人の沈黙、夜の完璧な暗闇や静寂。朝陽の優しさに時を感じて繰り返されることに喜びを感じる。
人が暮らすということはそう言うことなのだろう。

この映画はアメリカインデアンの今の話なのだ。
土地に執着心のない彼らには今の世界の秩序や法律は適合しえない。彼らは自由なのだ。閉じ込めておくにはもったいない才能の持ち主達なんだ。

この映画を見ればわかる。




すべては、それは仕方のない事なのだ…と言い聞かせて。

2018-06-08 | 映画
途方もない守銭奴で世界的大富豪の息子と結婚した女。彼女は、パリで貧困生活だと信じてやまない。子供は三人。アパルトメントはそれなりに広い。しかし、金が無いと嘆く。と言うより働かない夫に指図する。優しくだけど、厳しく。彼女の口述で夫は父親に手紙を書く。仕事が欲しい。
一抹の孤独に耐え金儲けだけが生き甲斐の大富豪は嬉しさの余りダメ息子に仕事を与える。
それが全ての始まり。間違いの始まり。
金が全てでは無い。人生の。しかし必要なものの一つに過ぎない。
身の丈で暮らす。それが幸せだと、いまさらながら想う。そんな事をを改めて感じさせてくれた。そんな映画だった。

すべては因果は巡り。我が身に戻ってくる。いい事も。そして最悪のコトも。
特に最悪の経験を、最良の德として活かせる人間はほぼ皆無。ならば、回避しておくのが良い。

危険への察知能力に長けた人間が優しい。
人に優しくできる。
醜さは知れば知るほど、あの邪悪さに魅了され翻弄され悪しき環境へと向かうものなのだ。

なぜなんだろう?

邪悪なコトが人にとって魅力があるからなのだ。

人の困った顔は魅惑的で官能的ですらあるからなのだろう。

しかし、取り込まれてはならない。

その為にぼくは自分を知り、信じなくては…
さてさて、そんなコトが可能なのだろうか?
可能か、不可能か…頭で考えている場合では、ない。

そうするだけなんだ。