組織を離れて2年と少しの時間が流れた。
「孤立してしまった。」
なんてことは感じることもなく過ごしてきた。
しかし、知らないうちに「被害者意識」が芽生えていたような気がする。
人と話している時に、他愛もないことで、その言葉は自分を責めているのではないかと思ってみたりする。
例えば、かつての部下かが上司や部下や仕事の愚痴をこぼすと、
なんとなく、
「あんたがしっかりやってなかったから・・・・」
「みんなを置いてサッサとやめちまうから・・・苦労してしまうんだ」
そんな感じで受け取ってしまう。
単なる愚痴を聞き流せなくなってしまう。
そして、誘いに乗らなくなり、距離を置き、妄想が広がる。
心が不安定なときには悪いことしか思い浮かべない。
「あれだけ面倒見たのに・・・」
「あんとき、どれだけ苦しんでいたかなんて、誰も気づかないんだ」
結局はいい時だけ利用したかっただけじゃないか・・・。
そんなところに心を落ち着けてしまう。
たしかに、利用するだけ利用して、助けを求めた時には知らぬふりをする
そんな人たちは大勢いる。
日々の現実では、至極あたりまえのことだ。
想いは届かないし、願いは通じない。
でも、どんなことでもそんなところから始まる。
だから、泣きとおして、笑い飛ばして、耳を澄ませて、心を開いて、受け止めて、
悩みぬいて・・・・・
信頼し合える日がやってくる。
「信頼」は
そう簡単には手に入らぬものなのだ。
「孤立してしまった。」
なんてことは感じることもなく過ごしてきた。
しかし、知らないうちに「被害者意識」が芽生えていたような気がする。
人と話している時に、他愛もないことで、その言葉は自分を責めているのではないかと思ってみたりする。
例えば、かつての部下かが上司や部下や仕事の愚痴をこぼすと、
なんとなく、
「あんたがしっかりやってなかったから・・・・」
「みんなを置いてサッサとやめちまうから・・・苦労してしまうんだ」
そんな感じで受け取ってしまう。
単なる愚痴を聞き流せなくなってしまう。
そして、誘いに乗らなくなり、距離を置き、妄想が広がる。
心が不安定なときには悪いことしか思い浮かべない。
「あれだけ面倒見たのに・・・」
「あんとき、どれだけ苦しんでいたかなんて、誰も気づかないんだ」
結局はいい時だけ利用したかっただけじゃないか・・・。
そんなところに心を落ち着けてしまう。
たしかに、利用するだけ利用して、助けを求めた時には知らぬふりをする
そんな人たちは大勢いる。
日々の現実では、至極あたりまえのことだ。
想いは届かないし、願いは通じない。
でも、どんなことでもそんなところから始まる。
だから、泣きとおして、笑い飛ばして、耳を澄ませて、心を開いて、受け止めて、
悩みぬいて・・・・・
信頼し合える日がやってくる。
「信頼」は
そう簡単には手に入らぬものなのだ。