変わらぬ思い、変わらぬ自分、変わらぬ毎日・・・・
変化に耐えきれなくても変化していく日々。
非日常が突然に訪れれば、人は過ぎ去った日々にしがみつき心を守ろうとするのだろう。
「ものすごくうるさくて、ありえんいほど近い」
そんな映画を偶然に見た。
アスペルガー症候群の少年。
そして、9.11。
博識で寛大な父親、そして、対比されるのが当然のような些細なことにこだわる母親。
多分この映画は、母親・・・「女」の存在について語りたかったんだろう。
ヒトとヒトとのつながりは、複数になればなるほど、
それぞれに役割的な行動をとり、
不愉快な思いをしない様に繋がっていくようだ。
9.11で父を亡くした少年の行動は哀しみだけでは足らずに
身近な人間を痛めつけることで生きていくことのバランスを保っているように思える。
周囲の人の目に映る少年はサディスティックに行動する。
ただ、目的向かって最大限の努力を惜しまず、協力しない人間を蔑む。
さして、孤立へと向かう。12歳という若さで孤独を知る。
知的障害なき自閉症。
父親の残した調査依頼を自己流で解き明かす少年は症状を悪化させる方向へと向かう。
答が自分の望むべき答とは違うものであった時、さらに奈落の底へと落ちなくてはならない。
生き延びるということはその矛盾をどれだけ許容できるかなのだ。
人と人の関係は少年が思うほど単純ではない。
世間とはそういうものなのだ。
最も遠い存在だった人間が最も近く理解してくれている存在だった・・・なんてことはイッパイあるわけだし、
またその逆の方が多いのだ。それが現実なのだ。
調査の旅を終えて、昨日よりも苦しみが倍増したんだろう。でも同じように楽しみも倍増している。
その倍増した楽しみに気付くかどうかだけなんだろう。
いま降り注いでいる雨は、君の頭上だけに降り注がれているわけではないのだ。
そのことを認識するには時の流れが必要なのかもしれない。