歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

いまさらナニを言えばいいのだろう・・・・

2015-12-27 | 日記

人の感情の起伏は時には低く、時には高くなったりする。

なんでもないことに急にムカッ!なんて来ることはなかった。

嘗てはね・・・・

歳を重ねると、どうなんだろうて思うぐらい、怒りのハードルが低くなるのだろうか。

それはきっと、今までに抑圧されていたものから解き放たれたのだからだろうか・・・・

社会的な関わりが稀薄になってしまったからなんだろうか。

そう、守るべきものの為に耐え忍ぶ・・・そんな我慢のしどころを喪失してしまったのかもしれない。

 

喜怒哀楽。

喜びや怒りや楽しさは他人と共有しやすいのかもしれないね。

人の怒りや楽しさは伝染しやすい。特に「怒り」はね。。。

 

同じように腹を立ててくれれば嬉しかったりするものなのだ。

共通の敵を見いだせれば連帯感となって一緒に戦おう!なんて口々に叫びだしたりする。

愉しさも、同調してくれれば高揚度増すばかりだしね。

 

しかし、どうなんだろう?

「哀」は・・・・・・・

なかなか共有するには難しい。

それは「哀」には複雑なパターンがあるし、個人差は大きいしね、

ヘタに慰めようものなら反発を買い、余計に落ち込ませてしまったりする。

厄介なのだ。

応えられないんだ。誰もがその苦しみにはね。

ほっといて!と叫ぶしかないんだ。

ただただジット黙って話を聞いて、頷くしかないんだ。

それでいいんだ。

 

しかし、それを傍観者として観るものには真逆になってしまったりする。

ひたすら哀しむ者だけの気持ちを分かろうとする。

被害者への共感は計り知れない。

そして、共通の敵を互いに見出してしまい

“あいつ”の所為にしてしまう。

実にシンプルな成り行きなんだ。

“共通の敵”となった者の気持ちなど誰も想像したりはしない。

いや、できないのだろう。

その気持ちになってしまったら共通の敵幻想は崩壊するからね・・・・・

 

もう、こんな世界から足を洗うはずだったのが、長居をしてしまったようだ。

そろそろ、この世界とも別れを告げる時が来たようだ。

少し遅すぎた気配。

でも、仕方ないんだ。

誰でも人生の大半は後悔で成り立っているからね。

満足してしまった人生などありはしない。

やはり、最終的にはウソはつかないに越したことはない。

 

憎まれたって、正直でありたい。

嫌われたって、ウソつきにはなりたくはない。

 

もう、最後に近いのだから・・・・