自然が作ったものではなく、人的な力によって作られたものには畏怖を感じる。
自然にはかなわない。
でも、人が作るものには親しみがあり共感することもあり、ひょっとしたら僕にも・・・と、思う。そな建造物もあるからだ。
少々の努力なんて言わないけれど、ひどく頑張ればできなくはないんだ。
そんな、あと押しをしてくれる何かがあるから・・・・
「グレート・ウォール」
偶然見ることになった。
チャン・イーモウ監督作品。
特に興味深い監督ではないし、でも、高倉健の出ていた「単騎、千里を走る」を見て以来、
なんだか素人くさいけれど丹念な映画を作る監督だなぁ。
そんなことをぼんやり思っていた。
この映画も期待することもなく見てしまっていた。
万里の長城はなぜ作られたのか・・・・?
そんな疑問があったけれど、北方民族の中国首都への接近を防ぐ秦の始皇帝の妄想。
そんなことを小学生の頃に教わった。そんな知識だけで今まで過ごしていた。
なぜ?
疑問の応えは千差万別で、限りないエピソードが生まれてくる。そこが面白い。
この映画もそんなエピソードのひとつを描いて見せただけなのかもしれない。
そして、それは「信頼」することの偉大さを観る者に伝えたい・・・そんな気持ちが溢れていた。
中国の監督だからなんだろうか?
分からない。
「信頼」・・・・人として生きている限り大切であるなんてことは至極当たり前。
そんな当たり前のことを映画にする。
いまさらなが・・・もう、うんざりな感が・・・・僕の中にあふれかえっている。
信頼できなければ、関係は成り立たず、人と人との距離は離れていく。
それでいいじゃないのかな。
信頼関係が保たれる時間はそう長くはない。
時間の流れは過酷。近寄ったり離れたり。つまり「虚ろ」なんだと思う。
中国は偉大な思想を生んできた。でも、すべてを破壊する思想も生んできた。
人の中に「強欲」と言う化け物が住み着いている。
この化け物が誰の心にもあるから人間なのだ。
自分の身は自分の身で守る。これもまた、強欲のひとつなんだろう。
すぐ傍にいる人間を守る。頭のなかでは、誰もがそう思う。
でも、できない人もいる。
その場にある危機に遭遇しない限り分からない。
この映画を観て感じたのはそんなコトだった。
チャン・イーモウが描きたかったのは、いまの中国が必要としていることを示したかったのかな?
僕にはわからない。
いまさら、なに?
分かっていないがらできないことがいっぱいあるんだ。
だから、何をするんだ。何をするべきなんだ。どうするんだ。
人間やめるしかないんだ・・・・・
で、僕はと言えば・・・・・・
環境を変えるしかないんだよね。
そんなことを思う2時間だった。