午後から雨は中途半端にふり、夜半過ぎに本格的になった。
中途半端が嫌いなわけではない。白か黒かはっきりしなくては生きて行けないわけじゃないしね。
感染症騒ぎも一段落し、新しい生活を始めろと世間は叫び始めた。しかも、その生活と言うのが関西のお笑いタレントのネタのようだ。マスクをして掌の皮が擦り剝けるまで洗い他人と濃密接触をしないこと・・・・その他諸々となれば、もはや声を出して笑うしかないではないか。
おまけに、“不要不急”などと正義の御旗をかざし始めたから始末に負えない。
だからというわけじゃない。「要」と「急」について思いふけってしまった。特に「要」。
そう、
今までだって、何故働くのか?
そんな馬鹿みたいな質問を投げかけ続けられ、自分自身にも問いかけ、
暮らしを維持する為に必要な金を稼ぐためだし、労働に不条理はつきものだ。
そう答えてきた。そして、残念なことには、やっている仕事にはどんな意味があるか?
そんな問いかけには答えてはいなかった。それは無意味な仕事ばかりをしてきたからだ。
しかし、今頃になって気が付いた。やっている仕事が好きだっただけなのだ・・・・そんな単純なことだ。
好きな仕事だから自分で納得するように考え行動してきた。世間のために役立つのかは分からない。
極端だけれど、別にその仕事が存在しなくても世間は困りはしない。そんな内容なのだ。
限られた人々が多少なりとも笑ったり泣いたり怒ったりしただけだ。
でも、仕掛けた僕はそれでも結構楽しくやれた仕事だった。そして、程々に幸せだったのだ。
そんな事をだらだら考えて過ごしている。
ホントはこの騒動が永遠に続いてくれればいいとさえ思う。
煩わしい人間と会わなくてもいいし、好きでもない酒を酔ったふりしながら飲まなくてもいいし、
ホントに親しい人たちとは人目を忍んで会いに行けばよいだろう。そのうち密会酒場などと言う酒場が出現するだろう。
世の中のルールは大概、破り捨てるために存在するものだ。
やたらと正義を振りかざす人々は“変態“の素養充分で、
人の汚れを忌み嫌わなければ自分の清潔感を満足させられないのだ。
自己満足のためには人を責め苛む必要があるだけなのだ。
バカげた世の中になってしまったものだ。人はいつも多少の罪悪感を抱えていないと、親切心を失くしてしまうのだ。