歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

繰り返しの日々に耐えるのが修行ならば・・・目的が欲しかった。

2016-08-03 | 旅行

バカを言ってはいけない。

目的はない。

修行に目的があれば修行ではないからだ。

ひたすら自分を「無」にすること。

 

それが目的なんだろう。

不思議なことにルーティンを、限りなく繰り返していると「無」になれるときがあるんだ。

他の人のことはわからないけれど・・・・

大学時代に体育会系に所属していたクラブの春の合宿でその経験をしたような気がする。

当時は全く分からなかったし、感じもしなかったけれど

あの、浮遊感、達成感、充足感はそう何度も経験できない。

 

汗と砂と血と疲労が最高に達した時、一番しんどいことをする。

いや、させられたんだ。

でも、それは思いのほか簡単にできちゃったりするんだ。

完璧に優雅に感動を与えられるぐらいのパフォーマンスになったりする。

 

脳が思考停止状態に陥った時、身体の動きは美しく効率よく動くものなんだ。

 

人は意味を求めすぎる。

まるで価値ある人間なんだと言わんばっかりにね。

もともと、君に、そして僕に価値などありはしないんだよ。

ただ生きているだけなんだからね。

それで、十分なんだ。

 

ただ、自分で何かをしたくなったり、それが仕事だったり遊びだったりしても

ホント、満足したいと思ったら

それなりに覚悟しなくちゃならない。

血反吐を吐くほど身体をいじめ、脳みそが考えるのやめるくらいにね・・・・

 

そこまで行って、初めて見える世界があったりするんだ。

まあ、醒め切った、冷たい脳を持った人には大凡、無理だとは思うよ。

 

できれば10代で経験しておくと

30歳からとても楽な暮らしができると思うんだ。

 

僕の人生もほんの少しで終わってしまうけれど

なんだか怖くはないんだ。

ガキのころに感じた死ぬことへの恐怖とは全然違う思いが湧き上ってる。

とは言うものの別れは別れなんだから

寂しい気持ちで一杯なんだ。


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