年が変わって12日が過ぎた。晴れる日が多くて去年の夏の雨降りの日々のことなど思い返しいる。
はっきりとした意味はないながら、一種、淡い哀愁の匂いが漂うのを感じている。
早朝の寒気が全身を包む眠気を追い払って気分が良くなっていくのが判ったりする。今まで感じたことのない感覚。
端の人が見れば「ちょっと、こいつ、おかしいんじやないの?」
そんな笑みを浮かべているんじゃないかと客観的に自分自身を眺めている。
かつては3日間ぐらいの徹夜仕事などへっちゃらにこなしていて、仕事の一段落は真夜中のバーカウンターで吹っ切ってい
た。睡眠は怠惰な証で家に帰る時間は午前零時を過ぎなければ怠け者と罵声を浴びせられる。
そんな恐怖心がいつもあった。
毎日同じことの繰り返しを野良猫のように怯えていた。
そして、今、そんな怯の日々の真っただ中にいる。
しかし、快適なのだ・・・・目的のない一日が、行く当てのない日々、スケジュール表が真っ白であることが・・・
と、言って毎日寝て暮らすわけではない。
決めた時間に目を覚まし、ごみ出しを終え、歯磨き洗顔のあとに家じゅうを掃除する。
多少の疲れが筋肉に叫び声を上げさせた頃、朝食を摂る。そして、ゆく当てのない一日を始める。
一日の全ては思いのままなのだ。猫のように気ままに我儘に行動するだけ。
さて何をしようかと考えたりすることが苦手だったりすると、それは「退屈」な時間となってしまう。
しかし、そうはさせない。風に吹かれながら木々のざわめく声に耳を傾ける。ベンチに腰掛けて耳を澄ましていると風の鳴る音とは別の音が聞こえてくる。しかも、その音は大きくなったり小さくなったりしている。
そうか、この樹木は息をしているのか・・・・そんなことに気が付いたりしている。
まだまだ知らないことだらけなんだ。
知ったかぶりは、もう、やめよう。
けっこう長い間生きてきた。でも、まだまだなんだ僕も・・・・
どんな不幸なめぐりあわせにも、泣いたり絶望したりするようなことはないだろう。
外部の条件によって左右されない。仕合せも不仕合せも自分の内部で処理をし、自分の望ましいように変えてしまう。
幸不幸は現象であって、不動のものではない。