みゆみゆの徒然日記

日本の伝統芸能から映画や本などの感想、
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私の好きなことを綴っているブログです♪

研究会 『小督』 『山姥』

2009年10月23日 | 能・狂言
10月21日(水) 於、観世能楽堂 

 歌舞伎座で幕見観劇の後は、銀座を少しぶらぶらしてから、地下鉄で渋谷へ移動。7月の『花祥会』以来の松涛です。今日の番組は『小督』と『山姥』。2曲とも今の季節にぴったりの曲です。そして狂言は萬斎さんの『柑子』。狂言のことは何も知らずにチケットを取り、萬斎さんが出るということはつい数日前に知ったので、ちょっとラッキー♪と思いながら(笑)今日は自由席でしたので、開場時間より早くに来て並んでいたのですが、「今日は若い人も多いわねぇ、萬斎が出ているかしら」という話し声がちらほら聞こえてきましたが・・・自分もそう思われているんだろうなぁ(笑)萬斎さんも好きだけど、お目当ては別の御方です~と心の中で返事をしましたが(笑)


能 『小督』 替装束
 先日の十五夜でも書きましたように、今日はこの日のような月をイメージして鑑賞してみました。シテは関根祥人。今日のシテは生身の男性の役なので、能面をつけず、直面(ひためん)で演じられます。これは「駒之段」と後半の舞囃子部分をお稽古したことがありましたが、お能をきちんと鑑賞するのは初めてです(^^;。
 前場は勅使(ワキ)と仲国(シテ)のやりとり。シテは揚幕の付近にずっといるのね。すぐに中入りして、舞台上に片折戸の作り物が置かれます。この戸により、隠れ家の中と外という区別がはっきりとつきます。お能でこのようなリアルな歌舞伎の舞台セットみたいな戸の作り物もあるんだなぁと思いました。と、リアルな作り物とは対照的に、仲国が乗る馬は出てきません。けれど、馬に乗っているという動きというか所作も、お能にしてはリアルな表現というか所作でしょうか?生きている男性で直面というのも、いつもとは違う不思議な感じ・・・。
 
 さて、本日も祥人師の謡は相変わらず素敵すぎる。声の質が素敵というのもありますが、彼が声を発するだけで、能舞台の雰囲気ががらっと変わると申しましょうか・・・惚れ惚れしながら聴いてしまいます。面をかけていないからというのもあるでしょうか、祥人師の声のよさというものをいつも以上に強く感じました。男舞も力強さというよりも、優雅な感じ。でも、作り物があるので、少し狭そうではあるのですが(苦笑)帰っていくときの所作も面白かったです。

 お稽古を実際にしていましたが、意外と自分にとっては新鮮に感じたお能になりました。

 それにしても、小督という女性はすごいと思う・・・・。清盛の二人の娘婿の愛人であったのだから・・・。しかも高倉帝に関しては、中宮徳子が高倉帝を慰めるために紹介したのだから。(現代的感覚とは違うのは重々承知していますが)それだけ美しい女性だったのでしょうけど、清盛を貶めるために誰かが裏で何かしていたのだろうか・・・と思ってしまいました(苦笑)
 あと、あの片折戸は開け閉めとかくぐるのがちょっと大変そうと思ってしまいました(苦笑)

シテ:関根祥人 ツレ:藤波重孝 トモ:角幸二郎 
ワキ:舘田善博 間:破石晋照
笛:一噌隆之 小鼓:森澤勇司 大鼓:国川純

 
狂言 『柑子』
 1月以来の萬斎さんの狂言です。これも初見です。柑子(こうじ)は蜜柑のこと。珍しい三つ成りの蜜柑を主人(破石晋照)から預かった太郎冠者(野村萬斎)が食べちゃったというのは、よくある狂言のお決まりパターン(笑)でも、その言い訳が見所ですね。取り残された3つめの蜜柑と鬼界ヶ島に残された俊寛を重ねて・・・・「“六波羅”の中」という落ち。こういうの私は好きだな~。お間抜けというかいい加減な太郎冠者の出来心の盗み食いとは対照的な、知的な洒落のある言い訳が面白いのです。こんな言い訳されたら私なら許しちゃうな(笑)

 それはおいておいて、狂言で食べ物を盗み食いしたり、この狂言にはないけれどお酒をおいしそうに飲んだりする所作は、本当においしそうに見えますよね。そして、萬斎さんの太郎冠者は飄々とした感じが良いですね!
 
 時間も短い小品ですが、上品にまとまっていて、私好みの作品でした!
 


能 『山姥』 白頭、長杖之伝
 さて、こちらも舞囃子や仕舞などで耳にする(?)ことはよくありましたが、お能として拝見するのは初めてです。

 このお能のあらすじは、山姥の曲舞が得意な遊女が善光寺参りの途中、日が暮れてしまい途方に暮れていると、山の女が宿を貸そうと申し出ます。その女は実は自分は山姥だと告げて、月の夜に謡うならば本当の正体を現そうと言い消えます。やがて、遊女が謡いはじめると、山姥が現れて舞い始め、山姥の山廻りをみせます・・。
 
 後半の山姥の山廻りが見所です。全体的にお囃子も謡も面白く満足。シテの声が若干気になるものの、前シテの面や後シテもこの世のものとは少しかけ離れている存在という感じだと思いました。かなり仏教的観念が盛り込まれていましたので、もう少し予習してくればよかったなと思ってしまいました・・・(^^;。どうしても「やまんば」と言うと、おどろおどろしいおばあさんのイメージがあります。けれど、そういうのとはちょっと違う・・・。山や自然への畏怖とかもあるのだと思う・・・。思ったよりも、ずっと奥が深い・・・。今度再見することがあれば、もっと感じ取れれば・・・と思いました。お稽古もする機会があるかもしれませんしね。

 ところでこの山姥は足柄山で金太郎を育てたという伝説もあるそうです。足柄山ではありませんが、金時山には金時娘がいます。娘といっても・・・なのですが。ふと思い出してしまいました(^^;

シテ:武田宗和 ツレ:坂口貴信 ワキ:宝生欣也 間:高野和憲
笛:寺井宏明 小鼓:曽和正博 大鼓:亀井忠雄 太鼓:助川治

 狂言の後には仕舞『道明寺』『玉鬘』『鵜之段』がありました。

 能二番も狂言とも初見でしたが、それ以上に新たな発見と課題も見つかった充実した舞台となりました。ただ、完全に睡眠していたという状態まではいきませんでしたが、疲れていたこともあるのでしょうか、久しぶりに睡魔と闘っていました・・・(^^;気持ちは見たい・・・と思っても、どうしようもなく(苦笑)心地よいモードになってしまうのも能楽の魅力なのでしょうか?というのは言い訳?!

 『山姥』は季節が不定となっていますが、お能は二番とも「月」がキーワード。残念ながらこの日は月夜ではありませんでしたが、たまには心の眼で見るということもしてみましょうか。