勘三郎さんの訃報があってすぐ記事を書きましたが、改めて勘三郎さんの思い出を綴りたいと思います。
昨日の朝の訃報は、本当にショックでした。午前中は空いていてので、ちょっと出かけようかと思っていたのですが(出かけなくても困らない程度のものですが)完全に頭から離れてしまうくらいショックでした。ワイドショーなどを涙を流しながら見たことなんて初めて。勘三郎さんが好きな祖母も残念がっていて・・・母とも妹とも歌舞伎を見に行った時は(そんなに回数はないのに)必ずといっていいほど彼が舞台にいたなぁ・・・
特別な贔屓というわけではありませんし、中村屋さんメインの舞台はそんなに見ていませんし(見ているには見ていますが)最近は舞台をあまり見ていないので・・・最後に拝見したのが2年前・・・それでもたくさんの舞台を拝見し、楽しませていただきました。私が歌舞伎に興味を持ったきっかけの役者さんは玉三郎さんであり仁左衛門さんですが、もちろん共演も多い勘三郎さん(当時勘九郎)も歌舞伎って面白いと思わせてくれた人の一人です。粋で、茶目っ気があって、踊りも上手で・・・江戸の芝居小屋を再現した平成中村座での新しい試みを始めて・・・伝統を守ることはもちろん大事にされていたのでしょうが、本来歌舞伎の持つ新しいものをつくるといったことをなさっていた方だなと思います。
新作歌舞伎も見たことはありますが、どちらかというと、きっちりと踊っていた古典舞踊や、人情ものの世話物のほうが好きでした。正直に書くと(というか、書いていましたが)過剰なウケ狙いは苦手でしたが、それもファンのことを思って楽しませてくれているからこそ(自分も楽しんでいた?)というのは心から伝わってきました。
追いかけていたわけではないですが、それでもたくさんの舞台の思い出が甦ります。その中でも私が好きだった、印象に残った勘三郎さんのお役(舞台)を挙げていこうと思います。
『沼津』の平作おじいちゃん・・・客席を歩く演出があるときは、ちょうど目の前を歩いてくれたなぁ。当時はまだ40代半ばだったと思いますが、歯が欠けたおじいちゃんの役が可愛くて、人情味があって、最後は泣かせてもらいました。
『末摘花』の末摘花。光源氏が玉三郎さん、末摘花はいわゆる醜女(私のPCはフェミニストなのか「しこめ」が変換できない^^;)すごいメイクでしたが・・・憎めない可愛さがあって、よかった。思わず舞台写真を買ってしまいましたもの。
『鏡獅子』や『連獅子』などの獅子のもの。『鏡獅子』は前シテが弥生で女性で、一人で踊りますし、『連獅子』は親子で・・・なので、ちょっと違いますが、私の中で獅子ものの踊りといえば、中村屋でした。『鏡獅子』は弥生が可愛くて・・でもその後の獅子の踊りがとても凄くて大感激。『連獅子』は、勘九郎(当時勘太郎)、七之助の親子3人での連獅子でしたが、これも凄くて大感激してしまいました。
『籠釣瓶花街酔醒』は2度見ました。そのどちらも玉三郎さんの八ツ橋、仁左衛門さんの栄之丞で。これは、もうラストのあの殺しをした後の表情の目が忘れられません・・・。ギラリと光る目と表情に息を呑みました。舞台でしか味わえない感覚でしょうか・・・。
これ以上挙げたらキリがないし、思い出は尽きませんが・・・平成中村座でも舞台を見ることができたし、俳優祭では勘三郎さんと握手して、少しだけお声をかけさせていただきました。祖母が勘三郎さんが好きなので「祖母が、勘三郎さんのお芝居が大好きなので、また一緒に見に行きたいです」と話しかけると「うん、ありがとうね~、またね~」なんて気さくに仰ってくださる方でした。結局、祖母も自分の息子(叔父)の看病、自分の手術のこともあり東京まで観劇なんていうことはなかなかできなくなり、中村座なんかはちょっと辛いので(座席的に)新しい歌舞伎座ができたら、歌舞伎座までなら東京駅からタクシー乗せればいいし、楽に観劇できるかな・・・なんて考えていたのですが、それもできなくなりました。まさか、勘三郎さんのほうが先に逝ってしまうとは・・・。
勘九郎くんの襲名口上も立派でした。最後に・・「父を忘れないでください」と仰っていたけれど・・・忘れないよ・・・ではないのです・・・忘れられないよ、すごかったから!!!
勘三郎さんは私の親と年齢は大して変わらないし、勘九郎くんと私はひとつ違い・・・そんなことも考えると、親が亡くなったという辛さだけでなく、家を受け継ぐことに対するプレッシャーというものも相当なものだと思います。けれど、昨日の口上を見て、七之助くんと兄弟で力をあわせてがんばってくれると確信しました。
でも・・・まだまだ私の中で“勘九郎”という名前はお父さんのほう。新しい、お父さんを超えるような勘九郎になってね!!同年代として応援しています!!!!
そして・・・決まり文句の「ご冥福を・・・」なんていう言葉はまだ言いたくない。戻ってきてよ!というのが本音です。せめて孫のなおや君と親子3代で舞台を・・・新しい歌舞伎座に・・・なんていうことが叶った後だとしても、早いと思いますが・・・せめて・・・と思ってしまいます。
本当に良い役者、そしてイイ男でした!・・・けど、やっぱりまだご冥福を・・・なんて言えない。
昨日の朝の訃報は、本当にショックでした。午前中は空いていてので、ちょっと出かけようかと思っていたのですが(出かけなくても困らない程度のものですが)完全に頭から離れてしまうくらいショックでした。ワイドショーなどを涙を流しながら見たことなんて初めて。勘三郎さんが好きな祖母も残念がっていて・・・母とも妹とも歌舞伎を見に行った時は(そんなに回数はないのに)必ずといっていいほど彼が舞台にいたなぁ・・・
特別な贔屓というわけではありませんし、中村屋さんメインの舞台はそんなに見ていませんし(見ているには見ていますが)最近は舞台をあまり見ていないので・・・最後に拝見したのが2年前・・・それでもたくさんの舞台を拝見し、楽しませていただきました。私が歌舞伎に興味を持ったきっかけの役者さんは玉三郎さんであり仁左衛門さんですが、もちろん共演も多い勘三郎さん(当時勘九郎)も歌舞伎って面白いと思わせてくれた人の一人です。粋で、茶目っ気があって、踊りも上手で・・・江戸の芝居小屋を再現した平成中村座での新しい試みを始めて・・・伝統を守ることはもちろん大事にされていたのでしょうが、本来歌舞伎の持つ新しいものをつくるといったことをなさっていた方だなと思います。
新作歌舞伎も見たことはありますが、どちらかというと、きっちりと踊っていた古典舞踊や、人情ものの世話物のほうが好きでした。正直に書くと(というか、書いていましたが)過剰なウケ狙いは苦手でしたが、それもファンのことを思って楽しませてくれているからこそ(自分も楽しんでいた?)というのは心から伝わってきました。
追いかけていたわけではないですが、それでもたくさんの舞台の思い出が甦ります。その中でも私が好きだった、印象に残った勘三郎さんのお役(舞台)を挙げていこうと思います。
『沼津』の平作おじいちゃん・・・客席を歩く演出があるときは、ちょうど目の前を歩いてくれたなぁ。当時はまだ40代半ばだったと思いますが、歯が欠けたおじいちゃんの役が可愛くて、人情味があって、最後は泣かせてもらいました。
『末摘花』の末摘花。光源氏が玉三郎さん、末摘花はいわゆる醜女(私のPCはフェミニストなのか「しこめ」が変換できない^^;)すごいメイクでしたが・・・憎めない可愛さがあって、よかった。思わず舞台写真を買ってしまいましたもの。
『鏡獅子』や『連獅子』などの獅子のもの。『鏡獅子』は前シテが弥生で女性で、一人で踊りますし、『連獅子』は親子で・・・なので、ちょっと違いますが、私の中で獅子ものの踊りといえば、中村屋でした。『鏡獅子』は弥生が可愛くて・・でもその後の獅子の踊りがとても凄くて大感激。『連獅子』は、勘九郎(当時勘太郎)、七之助の親子3人での連獅子でしたが、これも凄くて大感激してしまいました。
『籠釣瓶花街酔醒』は2度見ました。そのどちらも玉三郎さんの八ツ橋、仁左衛門さんの栄之丞で。これは、もうラストのあの殺しをした後の表情の目が忘れられません・・・。ギラリと光る目と表情に息を呑みました。舞台でしか味わえない感覚でしょうか・・・。
これ以上挙げたらキリがないし、思い出は尽きませんが・・・平成中村座でも舞台を見ることができたし、俳優祭では勘三郎さんと握手して、少しだけお声をかけさせていただきました。祖母が勘三郎さんが好きなので「祖母が、勘三郎さんのお芝居が大好きなので、また一緒に見に行きたいです」と話しかけると「うん、ありがとうね~、またね~」なんて気さくに仰ってくださる方でした。結局、祖母も自分の息子(叔父)の看病、自分の手術のこともあり東京まで観劇なんていうことはなかなかできなくなり、中村座なんかはちょっと辛いので(座席的に)新しい歌舞伎座ができたら、歌舞伎座までなら東京駅からタクシー乗せればいいし、楽に観劇できるかな・・・なんて考えていたのですが、それもできなくなりました。まさか、勘三郎さんのほうが先に逝ってしまうとは・・・。
勘九郎くんの襲名口上も立派でした。最後に・・「父を忘れないでください」と仰っていたけれど・・・忘れないよ・・・ではないのです・・・忘れられないよ、すごかったから!!!
勘三郎さんは私の親と年齢は大して変わらないし、勘九郎くんと私はひとつ違い・・・そんなことも考えると、親が亡くなったという辛さだけでなく、家を受け継ぐことに対するプレッシャーというものも相当なものだと思います。けれど、昨日の口上を見て、七之助くんと兄弟で力をあわせてがんばってくれると確信しました。
でも・・・まだまだ私の中で“勘九郎”という名前はお父さんのほう。新しい、お父さんを超えるような勘九郎になってね!!同年代として応援しています!!!!
そして・・・決まり文句の「ご冥福を・・・」なんていう言葉はまだ言いたくない。戻ってきてよ!というのが本音です。せめて孫のなおや君と親子3代で舞台を・・・新しい歌舞伎座に・・・なんていうことが叶った後だとしても、早いと思いますが・・・せめて・・・と思ってしまいます。
本当に良い役者、そしてイイ男でした!・・・けど、やっぱりまだご冥福を・・・なんて言えない。