【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

京の町を歩く(京都東山方面)2021-11-26

2021-12-06 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク=せいか365健康プロジェクト
行程:蹴上駅~日向大神宮~田辺朔郎銅像~南禅寺~円山公園(解散)約7Km

インクライン




蹴上インクラインは、南禅寺の近くにあり、全長582mの世界最長の傾斜鉄道跡で、高低差約36メートルの琵琶湖疏水の急斜面で、船を運航するために敷設された傾斜鉄道の跡地です。 
1891(明治24)から運航し、舟運の衰退とともに1948(昭和23)年に役割を終え、現在はその廃線跡は京都市の文化財に指定されています。

インクライン・運輸船




この木造船は、明治23年に竣工した琵琶湖疎水で使用されていた運輸船を復元したものです。
当時は船ごと、インクライン(傾斜鉄道)の台車に載せてこの坂を昇降させていました。
★蹴上インクラインは、平成8年に国の史跡に指定されています。
この木造船(三十石船)は、京都滋賀県人会創立50周年を記念して、平成22年3月に寄贈されました。
田辺朔郎とはこちら
    
義経大日如来


 「蹴上(けあげ)」の由来
源義経は16歳になったときに、金商人の金売吉次に伴われて奥州平泉へ旅立ちました。粟田口から九条山の坂に向かっていた時、平家武者、関原与一重治(せきはらよいちしげはる)とその従者9人がすれ違います。
すれ違いざまに、彼らが乗っていた馬が水溜りの水を蹴り上げ、汚れた水が義経にかかってしまいました。義経はこれに激怒し、従者9人を即座に切り捨てたという言い伝えが残されています。そこから、この場所の名前が蹴上と呼ばれるようになったということです。
切り殺された9人を村人たちが弔い、石仏が祀られました。9体の石仏が祀られた場所は九体町(くたいちょう)と呼ばれるようになります。現在の「御料岡町」辺りだそうです。石仏は9体ありましたがそのうち6体は消失してしまい、残り3体が現在でも残っています。
そのうちの一体が、「義経大日如来」として、「蹴上」の地に祀られています。
カッコいい、英雄的な人物として描かれる源義経ですが、若いころは血気盛んで非常に激昂するタイプだったのでしょう。彼はこの出来事を後で思い返したときには悔んだりはしなかったのでしょうか?
この事件を現代に置き換えてみると、いわゆるところの「泥はね運転違反」ですね。車両を運転中に水溜りの汚水や泥水を飛散させて他人に迷惑をかける行為です。
【道路交通法第71条1号】
★ぬかるみ又は水たまりを通行するときは、泥よけ器を付け、又は徐行する等して、泥土、汚水等を飛散させて他人に迷惑を及ぼすことがないようにすること。
交通違反の区分でいえば「一般違反行為(白キップ)」なので、行政処分はありません。反則通告制度によって、反則金 6,000円(普通自動車の場合)を納めないといけない違反です。

日向大神宮(ひむかいだいじんぐう):京のお伊勢さん


「日向大神宮」は、京都最古の宮の一つ。歴史は顕宗天皇の代(五世紀末ごろ)に日向から勧進されたのが始まりという、大変由緒ある神宮です。その昔は「京の伊勢」と呼ばれ遠い伊勢神宮の代わりに参拝する人で賑わったといいます。

日向大神宮には「内宮」と「外宮」があり、
内宮


上にある内宮には、天照大神と
三女神【多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)】

外宮


下にある外宮には瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、天之御中主神(あめのみなかぬし)が祀られています。また、内宮外宮のほかに数多くの境内神宮があります。

境内神宮のひとつ、「戸隠神社」は、くぐると厄がはらわれるという「天の岩戸」。

結構勇気がいる感じの雰囲気を放っていますが厳かな気持ちでくぐりましょう。


紅葉の隠れた名所
日向大神宮は不便で分かりにくい場所にあるため訪れる人は少なく観光地化されていない静かな雰囲気が宮の神聖さをいっそう高めていてとても素敵です。特に紅葉スポットとして隠れた名所として知られています。















ねじりまんぽ こちら


ねじりまんぽは、蹴上インクラインの下を通り、南禅寺に向かう歩行者用トンネルです。渦を巻くような形で螺旋状にれんがが積まれているのは、上部のインクラインを行き交う船を乗せた台車の重さに耐えられるようにするためだと言われています。「まんぽ」とはトンネルを意味する古い言葉で、南北の出入口には北垣国道による扁額「雄観奇想」(ゆうかんきそう)、「陽気発処」(ようきはっするところ)が掲げられています。


東照宮


東照宮というと日光が最も知られているのですが、徳川家光の進言等により、全国の大名が競って建立、各地に数百あったそうです。その中で徳川の公式文書に残っているのは久能山、日光、そして金地院だそうです。
東照宮:徳川家康の遺言で建立されたもので、家康の遺髪と念持仏を祀っています。作庭で有名な小堀遠州の作といわれています。
「久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て後下野の国日光山へ小堂を営造し祭奠すべし。京都には南禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」 家康の遺言です。

京の都を歩いてきました。
南禅寺・金地院


 

青蓮院門跡


知恩院


丸山公園

円山公園で解散でした。

八坂神社




南座顔見世興行


「まねき上げ」こちらは、京都市東山区にある南座で年末に行われる顔見世興行に出演する歌舞伎俳優の名前が書かれた「まねき」と呼ばれる板を劇場の正面に飾る伝統行事です。 25日午前9時から作業員が足場にのぼり始め、人間国宝の片岡仁左衛門さんの名前が書かれた「まねき」が上段の右端に掲げられました。
京阪祇園四条から家路に 歩数計は13914カウントしてました。

文中、画像の説明文は『いきいき健康ウォーク』スタッフさん手作りレジュメを一部分参考にさせていただきました。

~馬見古墳群と季節の花々を楽しむ~2021-10-21

2021-11-01 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク=せいか365健康プロジェクト

コース:近鉄新祝園駅⇒大和八木駅(乗り換え)⇒五位堂駅(下車)→かつらぎの道→横峯公園→三吉石塚古墳→竹取公園→馬見丘陵公園(昼食後現地解散・各自自由散策)
帰路は、池辺駅または箸尾駅(帰路不案内の方はスタッフが案内します)
歩行  約8.5Km 約1万3000歩

お花を撮りに馬見丘陵公園に行ったときは近鉄田原本で田原本線に乗り換えて池辺駅から・・・
今回はいきいき健康ウォークです、五位堂駅からウォーキングで馬見丘陵公園まで。
久しぶりのいきいき健康ウォークです、道中歩きながらおしゃべりに花が咲いてるグループも、しかし、大声でのおしゃべりは控えましょう、マスクの着用は必ず・・・っといったことを確認。

馬見丘陵公園までの途中に立ち寄った場所は
三吉石塚古墳(県指定史跡)


生駒山が遠くに

ほん近くに二上山も見えてました


新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径41.4m 高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いている。周囲に馬蹄形の周濠が掘られ、さらに外堤があり、堤を含めた全長は62mとなります。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬがさ)、短甲(たんこう)、家形埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石(★)が施され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の東南隅には張り出し部が設けられ、周濠幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉の築造と考えられている。
(★)葺石 とは?こちら

竹取公園


「竹取公園」という名前から、昔話の竹取物語やかぐや姫を連想される方も多いと思われますが、まさにこの竹取公園のある場所はその舞台とされている場所です。かぐや姫が描かれた竹筒のトイレもユーモアがあります。園内には花とせせらぎ広場や古代住居広場、学びの森、ちびっこゲレンデ、みんなの広場など、様々な施設があります。
👆参考:出発時にスタッフさんから頂いた、手作りパンフレットより

馬見丘陵公園



馬見丘陵公園に到着すると、いったん集合して「ここからは、皆さん自由行動で宜しくお願いします、お弁当は三々五々食べてもらって、集合は『花見茶屋』に1時50分にお願いします」
みんなで固まっての食事は密になるということで・・・
Uさん、みかちゃん、わんちゃん3人で行動を共にすることに。

コキアの群生が見事でした。



写真を撮ったりしながらコスモス、ダリアなど楽しみました。
コスモス(学名:cosmos)は、キク科コスモス属の総称。また、種としてのオオハルシャギク chrysanthemum を指す場合もある。
アキザクラ(秋桜)とも言う。




 

 



 



ダリア(英語: dahlia、学名:Dahlia)は、キク科ダリア属の多年生草本植物の総称。
「ダリア」 (dahlia) の名は、スウェーデンの植物学者でリンネの弟子であったアンデシュ・ダール (Anders Dahl) にちなむ。
和名は、花の形がボタンに似ているため、テンジクボタン(天竺牡丹)と呼ばれた。

 



 

 

 

「わんちゃん。この花はなんちゅう花なん?」


カワイイお花でした、スマホで撮って検索するもいっぺんでは覚えられない、横文字の長い名前でした。ウチに帰ってもう少し丁寧に調べると、どうもディアスキアらしいです。初めて聞く名前。
ディアスキアは、ゴマノハグサ科ディアスキア属に属する植物です。っと載ってました。原産地は南アフリカ 

大和平野のほぼ中央にある馬見丘陵は、わが国でも有数の古墳が集中している地域です。そして、これらの古代の遺跡をつつみこむように、豊かな自然が広がっています。
馬見丘陵公園は、こうした歴史と文化の遺産や素晴らしい自然環境を、憩いの空間として広く活用していただくことを目的に整備された都市公園です。
馬見丘陵公園にはたくさんの古墳が存在します。
馬見古墳群公園の古墳こちら

馬見丘陵公園へはチューリップのころこちら
ダリアのころこちら

香芝市マンホール:汚水管マンホール:

市の花・スミレと市の木・樫。樫の木にはドングリも描かれています。

広陵町マンホール蓋:汚水管マンホール:

「竹取物語」は、広陵町にある讃岐神社の讃岐造をモデルに造ったと伝承されていることから、
「かぐや姫の町」の文字と竹を描いています。

広陵町マンホール蓋:雨水管マンホール:

町の花ヒマワリのカラーデザイン。「こうりょう」「うすい」の表記。

園内マップ こちら


馬見丘陵公園園内マップのある一角に、わんちゃんの目が釘付け
南エリア
国の特別史跡に指定されている巣山古墳に隣接した、静かで安らぎのあるエリアです。
「春待ちの丘」には早咲きの河津桜が植えてあり、一足先に春の訪れを告げてくれます。
桜ダイスキのわんちゃんにとって・・・・・・



平城旧跡~いにしえの平城旧跡を散策~2020-10-20

2020-10-25 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク

平城旧跡~いにしえの平城旧跡を散策~
コース:近鉄平城駅⇒佐紀神社⇒大極殿⇒遺構展示館⇒東院庭園⇒平城宮いざない館⇒朱雀門⇒平城旧跡資料館12:30頃解散予定 約7Km. 約一万歩
平城駅前広場で輪になって準備体操(ストレッチ)、出席者点呼、そして出発

佐紀神社



平城旧跡に到着、案内図をパチリ

大極殿




遺跡発掘作業


宮内省復元建物


この時代の事務関係を司った建物
遺構展示館の中こちら





東院庭園 



平城宮跡・東院庭園内にあります隅楼。



誰もが知る平城宮跡ですが、この隅楼の建てられた意図は現在分かっていないそうです。
鮮やかで美しい造形の隅楼の屋根の上に佇む一羽の金色の鳳凰像が、その優美さをより一層際立たせています。

棚田嘉十郎翁像


棚田嘉十郎
平城宮跡の保存に尽力した奈良の植木職人
明治の終わり頃、奈良に棚田嘉十郎という植木職人がいました。
嘉十郎は奈良公園の植木を手入れしながら、観光客から平城宮址の場所を尋ねられると、「法華寺あたりがそうだ」と答えていました。
ところが(※)都跡村(みあとむら)の知人から、都跡村が平城宮の跡だと教えられ現地に行ってみると「大黒の芝」や「十二堂の芝」など宮殿ゆかりの地名が残っているものの、平城宮の跡には田畑が広がり、かつての首都であった平城宮は見る影もありませんでした。
それから、観光客から平城京の場所を聞かれるたびに、なんとかして平城宮の跡をきちんとした形で残していかなければならないと思いました。
そんな時、建築史家である関野貞こちらは北浦定政こちらを研究し、田んぼの中にある小高い芝生の段を発見。
明治40年(1907)「平城京及大内裏考」を奈良新聞に発表。この論文に後押しされ、嘉十郎は私財を投じ、平城宮址保存に残りの生涯を賭けることになります。さっそく跡地の買収にのりだしましたが、すでにそこで生活している農民たちから土地を買い取ることは容易ではありませんでした。さまざまな人の協力を得ながら、平城宮址保存に奔走していましたが、大正10年に彼の信頼していた仲間に裏切られることとなります。実直だった嘉十郎は、身の潔白を示すため割腹自殺をはかり、その生涯を閉じました。その後、彼の支持者によって引き継がれたこの運動は、大正11年に平城宮跡は「史蹟名勝天然紀念物保存法」となり実を結びます。そして、国の史跡として保護されることになりました。
(※)都跡村(みあとむら)は奈良県北西部、生駒郡に属していた村。現在の奈良市尼辻・西ノ京の一帯。奈良時代に都が置かれた平城京の一角だったことから名付けられた。

朱雀門辺り

平城京天平祭2020秋 〜天平花絵巻〜概要こちら

ススキの風景

ススキの向こうに大極殿と青空

ススキの向こうの方に若草山

ススキの向こうの方に生駒山

平城旧跡から西大寺駅の方へ歩きベーカリーカフェでランチして、ちょっと用事を済ませて平城駅まで歩きました。地名が山陵町。御陵がありました。



成務天皇
狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)
マンホール


国際文化観光都市として、観光シンボルである「奈良公園の鹿」と「市章」を中央に配置し、周囲には、平安朝の女流歌人伊勢大輔歌「いにしえの奈良の都の八重桜けふここのへに匂いぬるかな」(歌詩集)によって知られる「八重桜」を図案化しています。これにより、古都奈良のイメージを表現しています。


名古屋市型の規格蓋に市章入り、穴あきで受枠に模様のあるタイプ、雨水管マンホール蓋

道中、お花もちょっと。
ミゾソバ(溝蕎麦)タデ科



可愛いお花、大好きです。葉っぱが牛の顔のようなんで、ウシノヒタイとも。お花が集まってるからコンペイトウバナなどと呼ばれてる。

サクラタデ(桜蓼)タデ科


「ミゾソバの続きに群生してました、撮りたかったのですが植物観察会ではないです、健康ウォーキングなんです、ミゾソバをパパッと撮ったけどサクラタデ撮れなかった心残りやわぁ」っとUさんに話すと、ちょうどその同じ日に植物観察会に参加したUさんが「サクラタデ、お花をちょっとだけもらってきたのでお裾分け」っと。
ずっと以前、ウチの近所の休耕田にサクラタデが群生してたことがあったけど、今は宅地に造成されててアキマセン。「サクラタデ、ホンマにかわいいわぁ。」

キンモクセイ(金木犀、巌桂)モクセイ科



和名の由来は、この樹皮がサイ(犀)の足に似ているため中国で「木犀」と名付けられ、ギンモクセイの白い花色に対して、橙黄色の花を金色に見立ててキンモクセイ(中国名:丹桂)と言う。中国南部原産。日本には江戸時代に雄株が渡来し、これが挿し木で北海道と沖縄以外の日本中に増やされた。栽培北限は、東北南部(太平洋側は宮城、日本海側は秋田)。日本には自然の分布はなく庭などに植えられている。
平城旧跡にはキンモクセイが満開中。良い匂いがしてました。
この日の歩数計は19,561



まほろばの古都 ・ 山の辺の道から安倍文殊院を訪ねる 2020-1-14

2020-01-17 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク  せいか365健康づくりプロジェクト

行程 : JR三輪駅→大神神社→山の辺の道→平等寺→金屋の石仏→仏教伝来の地碑(昼食)→桜井伊勢街道→安倍文殊院→JR/近鉄・桜井駅(解散)14:3 約8km・約1万2千歩
「わんちゃん、大切なお知らせ忘れてた、明日はJRなんよ、9:45発の木津行きに乗るからね、近鉄とちゃうんよ」
「ハイ!Uさんからメールもらってて9:12下狛発に乗ろうねっと約束してる、ご親切にありがとー」
JR祝園の改札内から参加受付の手続き。
JR三輪駅前の広場で柔軟体操、点呼後出発

大神神社





巫女さんが神楽舞を・・・


祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
当社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山(みわさん)に祀(まつ)られることを望んだ(のぞんだ)とあります。また、『(「)日本(にほん)書記(しょき)』(」)でも同様(どうよう)の伝承(でんしょう)が語られ(かたられ)、二神(ふたがみ)の問答(もんどう)で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮(しず)まられたということです。
この様に記紀(きき)の神話に創祀(そうし)の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神(さいじん)の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。 「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代(だいじゅうだい)崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀(まつ)られました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観 (じょうがん)元年(859)に最高位の正一位 (しょういちい)となりました。延喜式(えんぎしき)の社格は官幣大社 (かんぺいたいしゃ)で、のちに大和国一之宮(やまとのくにいちのみや)となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。中世には神宮寺であった大御輪寺 (だいごりんじ)や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵 されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社(かんぺいたいしゃ)となりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。





大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が蛇に姿を変えたお話は、同じ『日本書紀』の雄略天皇(ゆうりゃく)のところにも出てきます。大物主大神が顕現(けんげん)される一つの形が蛇体であったということで、この物語は蛇神の信仰の古さを伝えています。大神神社で蛇は「巳(み)さん」と親しみを込めて呼ばれており、福徳をもたらし霊威として崇められています。境内の各所に卵がお供えされていますが、これも巳さんの好物の卵をお供えしようという崇敬者の信仰の一つの表れです。

平等寺






明治の廃仏毀釈で完全に廃絶した。明治13年に翠松寺として旧平等寺の山門付近に再建され、昭和52年にもとの「平等寺」に復している。本堂、不動堂のほか、江戸時代の仏足石などがある。

金屋の石仏


金屋の村はずれにある収蔵庫に蔵められている2体の石仏。いずれも高さ2.14m、幅83.5cm、
厚さ21.2cmの2枚の泥板岩に釈迦如来像(右)弥勒如来像(左)が浮き彫りにされている。平安時代でも後期の造立と考えられている。
なかの様子は格子戸越しに覗き込んでみるけど、どんな風になってるのか分からなかった。

仏教伝来之地碑


欽明天皇の時代に百済の聖明王の使節が訪れ、釈迦仏の金剛像一躯と経論若干巻等を献上し、日本に仏教を最初に伝えたといわれている所。また、拓榴市観音堂を含むこの一帯を日本最古の市のあった海拓榴市跡と呼び、山の辺の道の南の起点。
ここで御弁当タイム。
川べりの遊歩道の階段に腰かけてお弁当したのですが、お弁当タイムが終って歩き始めてその川の橋を渡る時ふと見ると「大和川」
わんちゃんが子供のころ住んでいたのは大阪市住吉区(現在、住之江区)で大和川がすぐ近く、夏にはシジミをバケツ一杯に・・・父や弟はハゼ釣りに興じたことも、その大和川の上流なんやわ・・・・・ちょっとカンゲキでした。

安倍文殊院






大化元年(645)に創建された日本最古に属する寺院。華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高く、
御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大(約7m)・快慶作の国宝である。
永禄六年(1563)松永弾正の兵火を受け一山ほとんどが火災で焼失、約 100年後の寛文五年(1665)に現在の本堂(文殊堂)が再建されました。本堂は入母屋造りの七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えています。
日本最大約7mと伝わる文殊菩薩(国宝)を御本尊とする安倍文殊院は、創建以来すでに1300年以上の
時を経ていますが、現在も常に人々の信仰を集める祈祷寺としてその法灯が守られています。
また、日本三文殊の第一霊場「奈良県・大和安倍の文殊」(京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)としても知られています。








合格門

境内には弁財天、奈良時代の遣唐使・阿倍仲麻呂、平安時代の陰陽師・安倍晴明がお祀りされている方位災難除けの金閣浮御堂や特別史跡の古墳、安倍晴明が天文観測をしたと伝わる展望台などあります。人々の願いを叶える場所として、たくさんの方が訪れ、信仰を集めています。
また、一年を通して様々な花を楽しむことができます。
★★記事中の解説は「いきいき健康ウォーキング」スタッフさん作成の案内書を参考にさせていただきました

玄関魔除け札


★御自宅・会社等の玄関や勝手口の内側にお貼り下さい
 (お札の裏側に両面テープが付いています)
★ご家族の皆様がそれぞれにおまつりの場合は並べてお貼り下さい。
★おまつりされる際には、お札の下側に貼られた年月をご記入ください。
★玄関魔除け札をおまつりされたら、同封のハガキをお送り下さい。
 当山に届き次第、本堂にて貴家の方位除災御祈祷を厳修し、一年後には、新しい玄関魔除札をお送り致します。
 日本三文殊第一霊場 御祈祷の寺
 別格本山 阿倍文珠院

桜井市マンホール

桜井市のマンホールは「桜の井」に因んだ名前で、市章も桜の花弁を図案化したもの
汚水管マンホール蓋

中央に市章

履中天皇(17代400年即位)の稚桜による説話とともに桜井の地名は 「桜の井」とよばれる井戸にはじまるといわれています。 それに因んで桜の花弁を図案化し、中心より大きくひろがった花びらは若さと発展する桜井市を表しています。
上記とデザインは同じだが、上は亀甲柄の中に6個の○が見えますが、こちらは○がありません。
汚水管マンホール蓋

メタセコイア並木の歴史の森を散策・大阪市立大学理学部付属植物園2019-11-27

2020-01-07 | いきいき健康ウォーク
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク
行程:JR祝園駅~JR河内磐船駅~天田神社~大阪市立大学理学部付属植物園~園内散策~同園職員によるガイドツアー~昼食~現地解散

JR河内磐船からウォーキングは始まります。
天田神社⇒こちらにお詣りです










歩いて大阪市立大学理学部付属植物園(以下、市立大学植物園)に到着。


注意事項
園内、植物の持ち込み、持ち出しは固く禁じられています。枯れた草木の一本、木の実、松かさの類も持ち出し禁止ですのでご注意ください。
尚、喫煙も所定の場所以外は禁煙となっていますのでルールを守り楽しい園内散策をして下さい。こちら
登園は昭和25年に大阪市立大学理工学部附属の研究施設として発足し、以来、植物学の基礎研究の対象として多くの植物の収集と保存に努めてきました。なかでも、日本産樹木の収集に力を注ぎ、野外で生育可能な約450種を植栽し、もってわが国の代表的な11種類の森の型(樹林型)を復元しています。
近年、これらに加え今日的課題である絶滅危惧植物の保護育成にも積極的に取り組んでいます。
植物園は研究の場であるとともに、皆様方の自然学習や生涯学習の拠点として広く一般にも公開しています。(大阪市立大学理学部附属植物園 概要より)
ガイドツアーに申し込んでいただいてて、全員参加することができました。
市立大学植物園のスタッフさんの説明をお聞きしてナルホドの世界。
ちょうど、メタセコイアの黄葉が見ごろの時でなぜここにメタセコイアが居るのか?
1941年に元園長である三木茂博士(元大阪市立大学の教授/大阪市立大学理学部付属植物園の三代目園長さんでもありました)が化石植物として命名したのがメタセコイアで、もう絶滅してしまった植物と考えられてたものが中国湖北省にまだあるとわかり、生きた化石といわれている植物になりました。
その後、三木博士の尽力により、1950年にメタセコイアの苗木100本が日本に届きました。
(他に1949年に苗木が昭和天皇に送られ、まだ現存しているそうです。それとは別に東京の小石川植物園にも1949年に植えられているのでそれらが日本で一番古いメタセコイアになるようです)
1950年に送られた100本の苗木から日本でもメタセコイアが全国各地でも見られるようになっていくわけですが(例えば、滋賀県高島市マキノ高原のメタセコイア並木なんかも有名ですね)。
なんとその苗木が、大阪市立大学理学部付属植物園でスクスクと育っているんです。
日本で2番目に古い苗木が大阪市立大学理学部付属植物園に現存しています。参考:交野タイムズ
100万年前まで大阪平野に生育していてもう絶滅した植物だったと思われていた植物、メタセコイア。




実は我が住む町精華町にもメタセコイア並木があるのはすでに・・・・
こちら
ラクウショウ(ヌマスギ)の不思議な根っこに遭遇



 不思議な気根こちら

園内で昼食お弁当の後、ブラリ園内を散策、桜が咲いてました
 

 

ホトトギス          トベラ
 

ここの植物園でカタクリの群生に出会えることを知りましたこちら

現地解散でした。
Uさんが「私ね星のブランコには行ったことないねんよ、近くなんよね行ってみない?」
「行こ行こ」っと言うことになりわんちゃんたち3人は星のブランコへ向かいました。






星のブランコ
星のブランコを渡りながらの谷筋の紅葉がキレイでした。



この日の歩数計は24282カウントしてました


唐古・鍵遺跡と田原本町内を散策 2019-9-26

2019-10-12 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
せいか365健康づくりプロジェクト:いきいき健康ウォーク

行程:田原本駅~①浄照寺~②唐古・鍵考古学ミュージアム~④唐古・鍵遺跡史跡公園~⑤道の駅~⑥今里の蛇巻き~⓻鍵の蛇巻き~⑧安養寺~⑨中街道~⑩鏡作神社~田原本駅(午後3時頃解散予定)=約8Km・約12,000歩



浄照寺⇒こちら








慶安四年(1651)平野長勝によって創建。この地には教行寺が所在したが、平野氏との支配権をめぐる争いから退去を命じられ、跡地に浄照寺が建てられた。本堂は県の指定文化財となっている。
山門を入った右側に大きな銀杏の樹があった、いっぱいギンナンの実が生っているのが見えた。
田原本御仏33ヶ所巡礼⇒こちら

唐古・鍵考古学ミュージアム⇒こちら




ピンク卵⇒こちら


唐古・鍵遺跡史跡公園⇒こちら


5道の駅


この日のウォークでとても楽しみやったんは
道の駅「レスティ唐古・鍵」の「イタリアンジェラート」
『奈良県産のいちご「古都華」や「ほうじ茶」をはじめ、季節に応じて田原本産メロンジェラートなど旬の味をお届けします』ッと言う。
わんちゃんはメロンジェラートをいただきました、あっさり味で美味しかったです。
「『ほうじ茶』もおいしかったよ」とかダブルで2種類の味を楽しんだ方も居はりました。
食べるのに夢中になって撮るのを忘れたわんちゃんです。

6今里の蛇巻き



7鍵の蛇巻き



鍵と今里の大字で、豊穣祈願のため毎年6月の第一日曜日(古くは旧暦5月5日)に「蛇巻き」の行事が行われる。13歳から17歳の男の子たちが参加する豊穣祈願と共に男の子の成人を祝う農耕儀礼である。同時に、矢部地区では、5月5日に「綱かけ」の行事が行われる。

安養寺⇒こちら




寛永十年(1633)の創建と伝えらる。本寺に所蔵される阿弥陀如来像は、快慶の作品とされる国の重要文化財に指定されている。拝観は要予約。

9中街道



10鏡作神社










正式名称は鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいますあまてらすみたまじんじゃ)。天照大神が天の岩戸に隠れた際、八咫鏡(やたのかがみ)をつくったと伝わる石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天照国照日子火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、天糠戸命(あめのぬかどのみこと)、など三神が祀られている。
古くから鏡づくりの神として信仰を集めてきた。美の神として技術向上を願う美容師や鏡業界の関係者の参拝が多い。境内には、朱塗りで三間社春日造の本殿や摂社の天照大神社などが立つ。また、鋳鏡を洗い清めたといわれる鏡池もある。社宝として三神二獣鏡(非公開)を所蔵している。

マンホールの蓋


田原本町は奈良盆地の中央部に当たる沖積地に位置し、豊かな田園風景が広がる町です。 北部に所在する「唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡」は、国内屈指の規模を誇る弥生時代の環濠集落で、当時の生活や文化に関連する土器や石器、木製品が多数出土しています。 中でも、弥生時代の高層建築である「楼閣」を描いた絵画土器は有名で、この土器片を元に復元した楼閣は田原本町のシンボルタワーとなっています。 本マンホール蓋は、この復元楼閣と町の花「すいせん」で構成されており、町の玄関口である近鉄田原本駅から唐古・鍵遺跡まで続く道に設置されています。

 

『大和・山の辺探訪物語』には『山の辺』『水の辺』『唐古・鍵』ゾーンがあって、田原本には『水の辺』『唐古・鍵』ゾーンがあります。
唐古・鍵ゾーンのルートは近鉄橿原線田原本駅をスタートして浄照寺ー本誓寺ー田原本町役場ー鏡作神社へと進み、道の駅「レスティ唐古・鍵」のそばを通り、唐古・鍵遺跡史跡公園 北端から『はせがわ展望公園(ながめの丘)』をゴールとする約4kmです。

ちょっとだけお花も撮ってました
ヤハズソウ                 イボクサ
 
ツユクサ


この日 わんちゃんの歩数計は17054歩カウントしてました。

初夏のなぎさウォーク(大津から膳所:ぜぜ)へ 2019-5-14

2019-05-19 | いきいき健康ウォーク
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク
コース
JR大津駅→曳山展示館→なぎさ公園→義仲寺(ぎちゅうじ)→JR膳所駅解散
曳山展示館を訪れました。こちら












このミニチュアは、故中谷広次さんが15歳(昭和13年)の時に夏休みの宿題として作製された物です。

大津まつり
わんちゃん的には祇園祭とちょっと似てるかな?っと思いましたよ、曳山を引くのに順番を籤で決めるとか、ちまきをまくとか・・・のところがね。
2019年大津まつりの日程はこちら

なぎさ公園でお弁当タイム
観光船ミシガン、ビアンカが停泊中

「琵琶湖はホンマに大きいなぁ・・・」


琵琶湖からの心地よい風に満足しながら、同行の友とおしゃべりしながら楽しく歩きました。

義仲寺(ぎちゅうじ)こちら

木曽義仲のお墓はもちろんだけど芭蕉のお墓があるとも聞いたこちら
なるほどね、バショウの木があった


最も耐寒性のあるバナナの一種、地上部は枯れるが、関東以南では戸外で越冬。
まれに7センチほどの果実がなり、黒い種子ができる。俳人松尾桃青は、江戸深川に庵をかまえ、庭に茂るバショウから号を芭蕉に。原産地は不明。日本には平安時代に渡来。『古今和歌集』物名歌に「ばせを」の名で初出。
朝日新聞:花おりおり二巻

「このお花は?」

「マユミですよ」

「コレは?シャリンバイかな?」


シャリンバイ(車輪梅)
この木は海岸(東北南部以南)に生えてて乾燥や強い日差しに強い。その特性を生かし、中央分離帯にも植栽されている、わんちゃん的には高い街路樹の根元にず~~っと一列に植栽されてるのを見かけたことあったなぁ・・・
JR膳所駅で解散後わんちゃんたち3人は京都駅そばのカフェ・ベローチェでお茶会して帰路に就いた。歩数計は16904カウントしていた。


「湖上を渡り艱みし蜻蛉に寄す」 岩野泡鳴

昔ながらの琵琶の海、
浪平らかに風和ぎて、
治まる御世の面影を
天に向つて示せども、
青き底なるうろくづに
菱の網目の迫るごと、
しげき悲みまつはりて、
渡り兼しか水とんぼ。
水より出でし物にして、
その水故に艱むとは、
世に生れ来し人々の
この世苦む如くにて、
尊とき釈迦が御教の
約束ごとか、如何なれば、
浅瀬の葦を飛びかはで、
この大わだに溺れけん。
比叡の御山は西にあり、
近江の富士はその東、
周囲七十五六里の
岸辺は遠きたヾ中や、
(1901年刊 『霜じも』より)

道草さん、ありがとうございます。

【おまけ】
岩野泡鳴(いわのほうめい)とはこちら
艱むとはこちら
蜻蛉とはこちら




松尾芭蕉:義仲寺(ぎちゅうじ)

2019-05-15 | いきいき健康ウォーク
NHK「偉人たちの健康診断」という番組がある。
松尾芭蕉が取り上げられていた。
何とはなしに観ていたら、つい最近「精華町いきいきウォーク」で歩いたとこのお寺(義仲寺)がどうのこうのと・・・
木曽義仲はもちろんのこと芭蕉さんにもなんか深い縁があるとか・・・
お寺の境内では撮影フリーとかでいろんなとこパチパチ撮らせていただいた。

芭蕉は旅先の大阪で生涯を閉じました。
その墓は意外なとこにあります、琵琶湖のほとりにたたずむ小さな寺「義仲寺」

芭蕉のお墓⇒松尾芭蕉の本墓


「なぜ?芭蕉は琵琶湖のほとりに眠っているのでしょう?」
それは奥の細道の旅を終えた47歳の時のこと、芭蕉は琵琶湖を訪れ旅の疲れを癒そうと大津の弟子が用意してくれた庵に入ります。この時、琵琶湖の広々とした景色に心を打たれました。



「かりそめに入った山だが、もう二度と下りたくないと思い始めた」
美しい景色に安らぎを覚えた芭蕉、そんな芭蕉を優しく迎えてくれた近江の人々。

こんな句を残しています。


『行春(ゆくはる)をあふミ(おうみ)の人とおしみける』 芭蕉桃青(ばしょうとうせい)
人生という長い旅を終えたらここに眠りたい
遺言で芭蕉は弟子たちの手で琵琶湖のほとりに葬られました。
芭蕉の魂は今も俳句という文学の中に生き続けているのです。
(NHK「偉人たちの健康診断」ナレーション一部抜粋)

義仲寺にある芭蕉像。

芭蕉は普段でも僧のような姿をしていたのだろうか。
杉風(さんぷう)の作。芭蕉の実物像に近いといわれている。

芭蕉さん愛用の杖


翁堂(おきなどう)


芭蕉天井絵図:伊藤若冲筆四季花卉(かき)の図


芭蕉翁は元禄七年(1694)十月十二日午後四時ごろ、大坂の旅舎で亡くなられた。享年五十一歳。遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、去来(きょらい)、其角(きかく)、正秀(まさひで)ら門人十人、遺骸を守り、川舟に乗せて淀川を上り伏見に至り、十三日午後義仲寺に入る。十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。門人ら焼香者八十人、会葬者三百余人に及んだ。
其角の「芭蕉翁終焉記」に「木曽塚の右に葬る」とあり、今も当時のままである。墓石の「芭蕉翁」の字は丈艸(じょうそう)の筆といわれる。
芭蕉翁の忌日は「時雨忌」といい、当寺の年中行事で、現在は旧暦の気節に合わせて、毎年十一月の第二土曜日に営む。
(義仲寺案内より)


京都城南宮の枝垂れ梅をたずねて 2019-3-1

2019-03-10 | いきいき健康ウォーク
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
せいか健康づくりプロジェクト・いきいき健康ウォーク

コース
桃山御陵前⇒御香宮神社⇒西大手筋⇒東高瀬川堤防⇒京都パルスプラザ(昼食)⇒城南宮⇒北向山不動院⇒安楽寿院⇒竹田駅(解散午後3時頃予定)約8キロ

「今の時季城南宮は枝垂れ梅が満開や、ウレシイな。前に行ったことがあったわ。」
こちら
車でピュッと行ったんですが、今回は「いきいき健康ウォーク」なので近鉄桃山御陵前で下車してウォーキングです。

御香宮神社を訪ねました。








大きな樽を一生懸命お掃除されてる方がおられました。「あの、酒蔵にあるあれですか」「そうです、あれです、雨樋の受けに使ってます、時々掃除をしないとゴミとか埃で詰まってしまうんですよ」「ふ~~ん、そうなんですか、ご苦労様です」
“あれ”は???(記事の最後に【おまけ:御香宮にある大きな木製桶】追記してます。)
御香宮由緒こちら

大手筋を歩きます、両側にお店が続いてます。

大手筋を抜けて東高瀬川の堤防を歩きます、

あれはレンガ造りでしょうか?

立派な建物の酒蔵が見えました。


京都パルスプラザで昼食。
「隣の京セラ美術館が面白いですよ、行ってみませんか?」っと、スタッフさんのオススメで京セラ美術館へ移動。こちら

城南宮に着きました。

城南宮由緒こちら
境内をぐるりと見事な枝垂れ梅を撮りまくり













城南宮で春・秋に2回「曲水の宴」ぜひいっぺん・・・と思うわんちゃんです。
北向山(きたむきざん)不動院



境内の様子こちら


安楽寿院


竹田駅まで歩いて帰路につきました。
歩数計は17017カウントしてました。
城南宮にはヤブツバキも可憐な花を咲かせてました、いろんな椿の花あるけれど、わんちゃん的にはヤブツバキがダイスキ。


そのヤブツバキが枝垂れ梅の根元に散ってました。









【おまけ:御香宮にある大きな木製桶】
月桂冠株式会社にお尋ねしました。
・おたずねの桶は「天水桶」と呼ばれるものです。
・御香宮神社では桶に雨水をため、防火水槽として利用されています。
・弊社では、過去に、酒造りに使用していた高野槇製の桶を手直しして神社へ
奉納しました。
雨水の貯留の具体例として、御香宮神社での事例を、弊社のホームページで紹介しています。
こちら

月桂冠お客様相談室 御中
ご丁寧なお返事ありがとーございました。








植田から菅井へ。美しい里をめぐる。河井寛次郎の足あと。2019-1-17(木)

2019-01-26 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク

植田から菅井へ。美しい里をめぐる。河井寛次郎の足あと
精華町役場⇒釈迦の池⇒来迎寺⇒豊川稲荷⇒天王神社:菅井の井戸⇒畑の前公園遺跡の杜⇒稲植神社⇒蓮台寺⇒精華町役場

釈迦の池


植田地区の中にある池。
河井寛次郎が足しげく通った精華町一帯のなかでも、お気に入りの場所であったことが日誌からうかがえる。
河井寛次郎(1890-1966)について
陶芸家。大正9(1920)年、京都市五条坂に住居と窯を持ち独立。生涯にわたり作品を発表している。大正末期より「民藝運動」の中心メンバーとしても活躍。昭和19(1944)年7月発表の機関紙「民藝」の中で、精華町植田にある釈迦の池の美しさを紹介。また、著書の『火の誓い』では、菅井や新祝園駅まで歩いたことを書いている。
こうなると、河井寛次郎さんの記念館に行ってみたい気がしました。

鳥さんたちゴキゲンさん
マガモの番(つがい)がほっこり日向ぼっこ

潜ったり出たり






カワウ

傍の田んぼの畦道ではタネツケバナが


民家の塀の外にロウバイ(ソシンロウバイ)

思わずニッコリのわんちゃん。
植田区の中を歩いて来迎寺に移動です
来迎時


天平勝宝元年(749)行基が開いたと伝わる。
江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作家の近松門左衛門が書いた『心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)』で有名な、お千代と半兵衛の墓がある
主人公、お千代が、地元の植田村(作品では上田村)の大百姓、嶋田平右衛門の二女であったことから、墓石が置かれている。

お墓は3人一緒に一つにされてます。


通月融心信士:つうげつゆうしんしんし(半兵衛)
離身童子:りしんどうじ (五ヶ月の嬰児)
声応貞現信女:せいおうていげんしんにょ(お千代)
『心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)』のあらすじこちら

来迎寺の梵鐘


梵鐘は、女性的で響きも良いことから、お千代鐘といわれる。ちょうど近松門左衛門が活躍した江戸中期のもの。鐘楼は平成9年に新築。
梵鐘 - 貞享元年(1684)の銘がある。大晦日にこの鐘の響きを聞くと、借金取りも引き上げたという伝承がある。太平洋戦争中の金属類回収令によって一度回収されたが、材料として溶かされる事なく終戦を迎え、当地に戻された事から、延命鐘との別称がある。

寺にある大クスノキは幹回りが4.6m

精華大通りに出ました、菅井区を通り抜けて・・・

左向うの方に堀池川堤の桜並木が見えます、
田んぼや畑の中に赤い鳥居が見えました
豊川稲荷こちら






田園風景の中に奉納された赤い鳥居が立ち並ぶ光景は、鮮やかな色彩がひときわ目を引く。社殿の手前には、牛頭天王(ごずてんのう)神社御塚跡と彫られた石標がある。
鳥居の数を数えてみた二十基と一基
田んぼの中の道を西へ歩き菅井を抜けて踏み切り二ヶ所と府道を渡り天王神社へ

天王神社:菅井の井戸

 



本殿


菅井の井戸


昔、コンコンと清水が湧き、清々井戸と大切にされたが、時が経ち菅ノ井に名が転じたという説。もうひとつは、菅原道真が京都に上る道すがら、清ノ井の水を愛飲したので、菅ノ井になったとも言われる。
ちなみにそぉ~~っと竹で編んだ蓋をずらすと、鉄板の蓋がありました。
神社の裏手から薮を拓いた道を歩き精華大道りに出ました。

畑ノ前公園遺跡の杜こちら










弥生、古墳、奈良の3時代にわたる複合遺跡。弥生時代の竪穴式住居跡、古墳時代後期の横穴式石室をもつ円墳7基、奈良時代の23棟分の掘立柱建造物群などが見つかっている。





わんちゃん
精華町畑の前公園に居ました、今日撮った鳥です。
「そよ風のなかで」のマイフォト:鳥⇒こちらで「イソヒヨドリ:オス」に似てるような気がしますが、違うような気もします。教えてください。
そよかぜさんより
イソヒヨドリのオスにまちがいありません。
磯の岩場の鳥でしたが、最近はビルなどの凸凹した人工物を岩場にみたてて営巣場所にし、どんどん海から離れた場所にも進出しています。
わんちゃん
ありがとーございます。

畑の前公園から精華台1丁目の住宅街を抜けてすぐの
稲植神社





稲植神社は、南稲八妻・植田両地区を氏子として建立された神社で、御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。
口伝承によると、元祇園(京都八坂神社の元)といわれるほど、古い歴史を持っています。
最初は、牛頭天王社(ごうづてんのうやしろ)として祀られ、のちに祇園社として祀られたという記録も残っており、記紀神話のなかでは特別に豊かな性格づけがなされています。
源平の戦いや応仁の乱などで焼失し、一時期衰微していましたが、再建され、両地区の氏神として祀られています。

なお、末社として、
八幡宮,天満宮、熊野宮、八王子社、





四ノ宮があります。
精華町HP稲植神社より。

南稲区で電信柱に注目


民家の庭に「冬の薔薇」


蓮台寺





裏山から向こうに精華町役場が・・・

文禄2年(1593)寺号を青蓮奄から蓮台寺に変えた伝わる。境内の薬師堂には町指定文化財の薬師如来立像が、本堂には四宮神社ゆかりの延命地蔵菩薩立像が安置されている。
寛次郎の日誌にも登場「ここで、弁当を食べた」とある。
蓮台寺の山門前階段下でフウセントウワタに出会いました。

フウセントウワタこちら
フウセントウワタ(風船唐綿) ガガイモ科 

1月17日 1月25日


精華町役場北駐車場で解散でした
「ランチやけど、マンションの1階でカフェがあってみんなが噂してはんねん、いっぺん行ってみたい」っとMちゃんが言う「『ここらく』やね、行こ行こ」
Mちゃん、Uさん、わんちゃんと3人で同じメニュー「今週のランチ」いただきました。

『ここらく』でのサラダの出方


逆さまにサラダボウルに移します


ふかしたさつまいも、キュウリ、リンゴ、ヤマイモ、赤・黄パプリカ等々の賽の目といろいろな豆がトッピングになるという仕掛けです。
歩数計は16816歩カウントしてました。
各史跡の解説文は「いきいき健康ウォーク」スタッフさん手作りのパンフレットからの一部分引用させていただきました。

その日のコース地図


京都北山方面の古寺・自然をたずねる2018-11-19(月)

2018-11-24 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク


コース
近鉄新祝園駅 9:34発(京都行き急行乗車~竹田乗り換え 10:29市営地下鉄国際会館駅 着)
市営地下鉄国際会館駅→宝が池公園(昼食)→妙満寺(拝観)→圓通寺(拝観無し)→深泥池→北山駅(解散・14時ごろ)
歩行:約8.0km 約13,000歩

宝が池公園(老若男女が水辺に憩う)
江戸時代に造られた、周囲約1.8kmの人工池。宝が池公園として桜並木の散歩道や貸しボートなどが整備され、市民の憩いの場になっている。
わんちゃん的にこの池は2011年に鳥撮りに行ってるんですこちら
またここは桜の名所でもあります。ここで、お弁当タイムでした。

キレイ

 撮影:Aさん 









妙満寺(インド風仏塔が建つ「雪の庭」の寺)
インドのブッダガヤ大塔を模した仏舎利塔がそびえる顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山。
妙満寺HP




 撮影:Aさん 






安珍・清姫伝説の鐘(道成寺由来の霊鐘)


「鐘に恨みは数々ござる」で知られる紀州道成寺の霊話は長唄、歌舞伎等の芸能に取り入れられています。その物語に縁あるこの鐘は数奇な運命で当山に伝わりました。
正平14年(1359)3月31日、道成寺では安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳し鐘供養を盛大に営みました。すると、その席に一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消してしまいます。その後、近隣に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れられた鐘は山林に捨て去られました。
それから200年あまり経った天正年間、その話を聞いた「秀吉根来攻め(1585)」の大将・仙石権兵衛が鐘を掘り起こし京都に持ち帰りました。そして、時の妙満寺貫首日殷大僧正の法華経による供養で怨念を解かれ、鳴音美しい霊鐘となったと伝えられます。 (由来詳細はこちら)
当山では、例年の春に鐘供養を営み安珍・清姫の霊を慰めており、道成寺を演じる芸能人はこの鐘に芸道精進を祈ります。

仏舎利大塔

 撮影:Aさん 



圓通寺の門前


「不許酒肉五辛入門(しゅにくごしんにゅうもんにいらず)」の石碑が建っております。
いわゆる結界石で・・・酒も肉も、にんにくなどニオイのきついものを食すのを禁じるということ。酒や臭の強い物を持ち込んでは修行になりません、心構えを持ってお寺にお入りください。・・・
つまり五辛(ゴジン)とは
『梵網經』に説かれる四十八軽戒の第四食五辛戒の中に
「若佛子。不得食五辛。大蒜革葱慈葱蘭葱興蕖。是五種一切食中不得食。若故食者。犯輕垢罪」よりで、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)。

妙満寺から圓通寺の前を通り深泥池へと歩きました。
深泥池(みぞろがいけ):浮島が浮かぶ伝説の池
この池には氷期のとされる ミツガシワが自生しています。
他にジュンサイ、ヒメコウホネ、タヌキモなど珍しい水生植物(天然記念物)が見られる。
周囲約1.5Kmの池。大蛇伝説など、魔界、心霊スポットとしても有名。
わんちゃん的にはここにも何年か前に鳥撮りに来たことがありました。
地下鉄北山方面に向かって歩きまもなく解散でした。
「ちょっとお茶しよか?」ッということになり、すぐ近くの「進々堂」で反省会となりました。
「おっ!いきいき健康ウォークのスタッフさんも焼き立てパンを・・・」でした。



文中の解説は「いきいき健康ウォーク」スタッフさん手作りのパンフレットから部分的に引用させていただいたのもあります。

マンホール


京都市の紋章は、昭和35年(1960年)1月1日に制定されたもので「京」の字を図案化したものに御所車を配し、金色と古都を象徴する紫色の2色を用いています。 
略章は、明治24年(1891年)10月2日に制定された京都市き章を、 紋章の制定に伴い略章として用いているものです。

橿原市・新沢千塚古墳(にいざわせんづかこふん)群公園から今井町 2018-10-24

2018-10-31 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク

近鉄新祝園駅9:42(橿原神宮前行き急行乗車~10:20着)⇒近鉄・橿原神宮前駅
⇒久米寺⇒新沢千塚古墳群公園⇒新沢千塚ふれあいの里(昼食)⇒橿原神宮⇒神武天皇陵⇒今井町(午後3時ごろ解散)
橿原神宮前駅からスタート駅前で人数確認、ほぼ円になって順番に番号を言うていきます。
1・2・3・・・・・・29・30・31⇒参加人数


駅前に黄色のポストが珍しいかな?

久米寺





西国薬師四十九霊場(さいごくやくししじゅうくれいじょう)第七番霊場
久米仙人像


多宝塔


聖徳太子の弟である来目(くめの)皇子の創建。眼病のご利益があるとされるご本尊の薬師如来像は、胎内に金銅薬師如来が安置されている。境内には京都・仁和寺より移築された重要文化財の多宝塔があります。毎年5月3日には久米寺練供養が行われます。また、6~7月には境内のあじさいが見ごろとなりあじさい祭りやあじさい祈願が行われます。
もう一つの久米寺
久米仙人は伝説上の仙人。大和国の竜門寺にこもり空中飛行の術を体得したが、吉野川で衣を洗う女の白い脛(はぎ)⇒向こう脛・ふくら脛に目がくらんで墜落。その女を妻として世俗に帰った。のち、遷都の際、木材の空中運搬に成功して天皇から田を賜り、久米寺を建立した。「今昔物語集」「徒然草」にみえる⇒わんちゃん的にはこちらの方を教えていただいた記憶があります。

新沢千塚古墳群






そこから見えた畝傍山


新沢千塚古墳群公園




平成24年度から整備を進めてきた新沢千塚古墳群公園も平成30年7月15日(日) 龍の広場がついにオープン!
公園の南群では龍のモニュメント(ミストの噴き出す)やコンビネーション遊具、ビオトープ、芝すべりなどが整備され、子ども達が楽しめる龍の広場としてオープンしました。と、言う場所でお弁当タイム

橿原神宮




神武天皇陵


畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接する神武天皇陵は、円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。
日本書紀、古事記によると、初代天皇とされる神武天皇(在位:前660年~前585年)は日向(宮崎)地方から、瀬戸内海を東に進んで難波(大阪)に上陸しましたが、生駒の豪族に阻まれたため、南下して熊野に回りました。そこで出会った3本足の「八咫烏」(やたがらす)というカラスに導かれて、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力も従えて、大和地方を平定しました。そして、紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位し、初代の天皇になりました。

今井町で解散となりました



電線が地下に埋設されています。

「今朝、狛田の駅でお会いしてますよね?」と、話しかけられました。
お話をしてて分かったのですが、住んでるところがお互いにちょっとばかり近所だった。旧知の友達のようにお話が弾み解散後はその方が「展覧会の案内状をもらったの、よくよく見ると今井町なのよ、なので展覧会と同じその日の『いきいき健康ウォーク』に参加したの」と言うことでその場所を案内状のハガキの地図で探し一緒に 行って来た

「日々の暮らしに絵の悦びを」藤田千代の向日葵 


大きな10号のキャンバスにいろんな向日葵が描かれている、









いっぱい元気をもらえたような気がした、そんなタッチの向日葵だった。


展覧会会場のお庭に「水時計」が。
その会場は今井町の


絵を鑑賞後、藤田千代さんに近くのカフェを紹介していただいた。

ケーキセットを注文、久しぶりにホンマモンのベイクドキーズケーキをいただいたような気がした。

今井町のマンホール

中央に今井町のシンボルの馬繋ぎの金具、周囲を屋根瓦が取り巻いている。


古い町並みの絵柄。



春日神社(かすがじんじゃ=滝ノ鼻地区)

2018-10-05 | いきいき健康ウォーク
わんちゃんが住んでる精華町には春日神社が三社あります。
9/27(木)のいきいき健康ウォークでは春日神社舟地区・菱田地区の二社を参拝してます。
こちら

わんちゃんの地元、滝ノ鼻の春日神社へ、お参りしてきました:10月3日(水)
春日神社(かすがじんじゃ=滝ノ鼻地区)




奈良の春日社から分祀されましたが、その鎮座の年代は明らかではありません。昭和58年の本殿修覆の際、内陣床下から5枚の棟札が発見されています。そのなかで最も古い年紀は「天和3年(1683)9月13日」と書かれたものです。木津川の堤防から約100メートルのところに鎮座しているため、往古よりたびたびの水害をこうむり、前記の神鏡・棟札・老杉以外その徴証となるものは何一つありませんが、その鎮座が300年以上の昔にさかのぼることは間違いありません。
祭神=春日神(かすがのかみ)
なお、同神社前には、樹齢400年と推定される幹廻り3メートルに及ぶ老杉があり、神社の古い歴史を物語るかのようです。精華町HPより(教育部 生涯学習課)




 
老杉が伸びているのが見えますがどんなんかワカラヘン、ちょっと斜め格子の隙間から覗いてみました。
鳥居はコンクリートになってます、丁度前に二カ所穴のあいた石標のようなものが立ってます、丁度地元のIさんがお詣りされてたのでお尋ねしたところ「鳥居が今はコンクリートになってますがね、昔は木でできてましたんや、鳥居が倒れやんように添える木を通したんですわ」と、説明してくださいました。
地元の写真愛好家の方から
「あんなぁ わんちゃん滝ノ鼻の神社の境内から東の方向いてカメラ構えてたら鳥居の真ん中からお日さん昇ってくるねんよ」



「えっえ~~ソレっていつのこと?ですか?」
「ソレわな、年末からお正月にかけての1週間ぐらいの間やねん」
お正月は何かと忙しいわんちゃんですが元日の朝にカメラもって駆け付けました。
夜明け前境内でウロウロしてたら、何やら祭壇での儀式の準備をされてたお方が
「何してはりますん?神聖な元日の朝のお宮さんで、氏子はんでないんですやろ?」っと睨まれて早々に引き上げました。
元日の朝に行ったのが悪かったんやなぁ・・・反省。
鳥居の真ん中から朝日が昇ってくるのを撮るなら元日の朝や無くて・・・っと思いつつ、まだ撮れてませんのわんちゃんなのであります。

いきいき健康ウォークPART2の日(10/2)とか春日神社:滝の鼻(10/3)にお参りした日とかに農道や田んぼの畦道で撮ったいろんなお花たち

ホシアサガオ
 

ヒレタゴボウ                   
 

アカバナユウゲショウ


イボクサ              
 

ホソバウンラン


ヒメツルソバ              
 

マルバルコウソウ


アレチヌスビトハギ
 

ヨメナ                   
 

チヂミザサ


マメアサガオ
 

ハルタデ                 
 

ニラ


ツルマメ
  
大豆の原種です、花は9/21撮影

ツユクサ               
 

キンエノコロ


 

精華町の古社を訪ねる:木津川堤防沿い 

2018-10-02 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク:2018-9-27(木)

近鉄新祝園駅東口スタート⇒仇討ち地蔵⇒常念寺⇒武埴安彦破斬旧跡⇒郡山街道道標⇒祝園神社⇒木津川堤防からの眺望⇒京都・八幡・木津自転車道⇒無縁仏の石仏群⇒春日神社(舟)⇒春日神社(菱田)⇒狛田駅解散
一つ一つの旧跡をネット検索していたら、なんとわんちゃんがいつも何気に散歩しているコースに点在しているんです、そしてそこらは奈良と京都を結ぶ重要な地点だったり古い歴史があったりしてるんです。もういっぺん歩いてみようと思いました、他に大きな理由が?(コレは最後に)
一つのお楽しみを最後に置いといて、ウチからやと、逆コースがええんですわ・・・
わんちゃんちをスタートは10月2日(火)8:30

春日神社(菱田)

重要文化財 春日神社本殿 室町時代前期



菱田地区の氏神。
奈良市にある春日大社の若宮社殿を移したと伝わる本殿は重要文化財。
拝殿に掲げられている白馬と黒馬は近世初期の絵馬として有名。

春日神社(舟)





下狛地域に三社ある、春日神社の一つで舟地区の氏神。
社殿は昭和54(1979)年に再建されたもので、安永2(1773)年の絵馬が残る。
例祭は毎年10月17日。

無縁仏の石仏群をお参り






京都・八幡・木津自転車道


道路延長:45km(幅員3.0m)
起点:京都市西京区嵐山(渡月橋右岸)
終点:木津川市木津町(泉大橋左岸)
「京都・八幡・木津自転車道線」と「ならクル『せんとの道ルート』(奈良県)」をつなげることで、奈良県飛鳥から嵐山に至る、飛鳥京、藤原京、平城京、恭仁京、長岡京、平安京といにしえの都を巡る約90kmサイクリングルートができました。
自転車・歩行者専用道路となっています。

木津川堤防からの眺望


この辺りの木津川堤防は、奈良の若草山、生駒山、京都比叡山、愛宕山など遠くの眺めが最高だ。
もちろん精華町の里山や、古代に「狛山」と詠まれた対岸地域の山々などの景色も良い。
嵐山~木津間の自転車道をツーリングする人々にも出会う。
木津川堤防から坂道を下り浜の道を通りむくのきセンターへ。

ここで、ちょっとトイレ休憩

むくのきセンター南側から農道を南へ

祝園神社










本殿の西側から北側~東側へ 順番に
西宮神社(事代主命)              天満宮(菅原道眞公)
  

稻荷神社(稻倉魂命)              出雲神社(大己貴命)
             
有功神社(布留御霊大神・道臣命相殿)


祈雨神社:きうじんじゃ             熱田神社(日本武尊)
 

熊野神社(伊邪那岐神)              大神宮(大日要命)
 

1月に行われる居籠祭は、京都府の無形民俗文化財の指定を受けている。2日目に大松明を先頭に祭場へ向かう御田(おんだ)の儀。3日目に竹で邪鬼をかたどった綱をひきあう綱曳き(つなひき)の儀という神事が行われる。

郡山街道道標

江戸時代には、大和郡山藩、小泉藩の参勤交代の行列や伊勢参りの旅人などが往来していた道。
道標には「左 なら(奈良) 右 京(京都)よど(淀)八わた(八幡)」とある。


武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)破斬(はざん)旧跡



常念寺

寺の創建は不明。薬師堂の本尊の菩薩形立像は、精華町で最も古い仏像の一つ。
高さ約169cm,
一木造りで、頭から体部、両手首までを一材から彫り出している。
キゲンよく写真撮っててふと見ると・・・


仇討ち地蔵






郡山街道の仇討地蔵
六部と子供が仇を探してこの地に来た時、仇と出逢い相討ちで三人とも息絶えた。
その霊をなぐさめる仇討地蔵
ここで、いきいき健康ウォークPART2は終了なのであります。
参考資料:いきいき健康ウォークスタッフ手作りパンフレット
【おまけ】
9月のいきいき健康ウォーク9/27(木)は祝園がスタートでゴールは狛田でした、後でスタッフのA子さんからLINEが・・・
「わんちゃん、きょうのウォークどやった?狛田で解散の後ね、スタッフの皆さんと祝園まで歩いたんよ、聖マリア幼稚園の向かいにある『ここらく』でランチして帰ったの。」
わんちゃん的には『ここらく』って?とネットで検索。
A子さんに「『ここらく』って?南都銀行のそばの?」
「そうよ、西隣マンションの1階、この前私が食べたのはハンバーグランチ、¥700これにコーヒーをつけると¥100引きで¥900(税込み)なの、最初に出てくるのが野菜サラダ、コレがねアッと驚く出方なのよね・・・お楽しみに~~」
ホンマにアッと驚く野菜サラダの出方やった。




奥にあるボトルにサラダが入ってる、手前のボウルに移す、底に沈んだドレッシングがうまい具合に・・・
ボトルの底にあった何種類かのサラダ豆&小さく小さく四角く切ったさつま芋(蒸し済)&リンゴ&赤・黄パプリカ等々がトッピングに・・・なるんです。







ピアノがあって、床にはカーペットが敷いてあって小さなお子様連れも??
季節限定のきのこソースのハンバーグ・ランチ 
レジで「ご馳走さまでした」と、美味しかったという意思表示を・・・

この日、懐かしい風景を見ることができました、
うん?稲架掛(はざかけ)?
昔、見たのは田んぼの中に木を組んで立てて竹を渡して稲束が干してあるという光景だったんですが?
上手いこと農道わきの柵に掛けてあります。


2~3日経って散歩の途中で

脱穀済のようですね。






北・山の辺の道、新緑の息吹をたどる 2018.5.22(木)

2018-05-30 | いきいき健康ウォーク


≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫


精華町健康づくりプロジェクト・いきいき健康ウォーキング


スタートは近鉄天理駅から



両側にお店が並んだアーケードの下を歩きます。





酒蔵の看板が見えました。ふと、「酒蔵みてある記:稲田酒造」⇒こちら思い出しました。


アーケードを抜けると左手に天理教教会本部(壮大な木造神殿)誰でも参拝できるとか・・・



石上神宮(いそのかみじんぐう)に到着





神話の時代からの古い神社で神宝を振る特別な神事から布留(ふる)の社とも言われその神宝は『七支刀(しちしとう)』で国宝である




 



 



 



なぜ?鶏さんが居るの??



神代の昔、天岩戸開きの神話に、 常世(とこよ)の長鳴き鳥を鳴かせて、闇を払い夜明けを告げ、天岩戸を開いたという神話により、鶏は神道と大変関係の深い吉祥の霊鳥と言われています。 この謂れにより当宮には鶏を境内に放し御神鶏として大切にしております。 ちなみに、鳥居の語源は、天岩戸開の折、長鳴き鳥を止めた(鳥の止まり木)⇒(鳥の居る木)⇒(鳥居)という説があります。 「落ちずに落ち着いて鳴いたので、夜が明けたとさ」





「布留の高橋」を経て白川ダムに向け歩きます。


ここでお弁当タイム。 さて、「白川ダム」とか「白川溜池」とか言われてます、ダムと溜池の違いは ダムと言うても発電ダムや治水ダムとはちょっと違ってここは農業用ダム、水をせき止める堤の高さが15m未満なら溜池、白川溜池の標高は30.0mなので白川ダム・・・





お弁当の後は北へ(奈良方面)歩きます、弘仁寺や正暦寺の標識が見えましたが、そっち方面はスルー


 


のどかな田園風景の中、おしゃべりもはずみ元気よく歩きます。 山村町バス停で解散、 「バスに乗る?それともJRおびとけ(JR桜井線)からにする?」この路線は30分に一本あるかなしか。「このまま歩いて行って、丁度良い時間の電車に乗れますよ」っとスタッフの方が教えてくれはりました、なるほど、何本かの列車のおびとけ発車時間を調べといてくれはったんやね。みんなで「ありがとうございます」 単線で2両でワンマン列車で・・・奈良で京都行に乗り換え木津で学研都市線に乗り換え帰路につきました。
山の辺の道は何回も歩いてます、季節が違って、同行のメンバーも違って、コースも違えばビミョーな楽しみが毎回あります。
この日のウォーキングのタイトル「新緑の息吹をたどる」まさにその通り、モミジの緑、柿の木林の元気な緑、山々の緑は幾通りもの緑色を見せてくれてます、キモチ良かったです。