≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング(SKW)
今回は兵庫県宝塚市にある中山寺の観梅を兼ねたウォーキングです。
わんちゃんたちはJR下狛駅から乗りJR祝園駅から乗ったメンバーと合流し、JR川西池田駅で下車です。
駅前広場に建つ 源満仲公の銅像 です。
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銅像の説明には「今から千年余り前、第56代・清和天皇の曾孫にあたる源満仲は、川西の多田盆地に移り住み、天禄元年(970)に多田院(現在の多田神社)を創建し、清和源氏の礎を築きました。川西市は我が国における源氏と武士団発祥の地です」とあります。
ヌートリア
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さして大きくもない川の岸に、ヌートリアの姿が見えました。騒がしく人が通り過ぎるのに結構平気なようでした。
天満(てんまん)神社。
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地元では「西の宮さん」と呼ばれ、東の松尾神社と並んで旧川辺郡山本村の産土神(うぶすながみ)。
例祭は松尾神社と共催で、だんじり祭が行われる。
菅原道真を祭る本殿は一間社春日造で、寛文五年(1665)に再建され、宝塚市の指定文化財になっています
お昼ちょっと前に中山寺(西国三十三所第24番・紫雲山)の山門に到着です。
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阿
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吽
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参道にはツバキやアセビが満開でした。
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境内の休憩所でお弁当タイムとなりました。
昼食後はそれぞれ自由時間となり梅林の方へ期待感いっぱいに散策しましたが、その日(3/2)は、咲いていたのは2株ほどだけでした。今年は何処も梅の開花が遅れていたのでしょうが、今の時季(3/23)はもう散り始めとなってます。
中山寺の「鐘の緒」は、女性の大役である出産の無事安泰を祈る霊跡として、古来よりその伝統をもち、深く信仰されてきました。
ことに幕末には中山一位局が当山の鐘の緒を受けて明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳をたかめ、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を頂きに参られます。⇒中山寺HP
白鳥塚古墳(はくちょうづかこふん)
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白鳥塚古墳(はくちょうづかこふん)は、兵庫県宝塚市の中山寺境内にある古墳。中山寺境内にある事から、「中山寺古墳」と呼ばれる事もある。
巨石で築造された横穴式石室と家形石棺を持つ。
横穴式石室の玄室は長さ6メートル・幅2.5メートル・高さ3メートル、羨道部は長さ9.2メートル・幅2メートル・高さ2.4メートルで、ほぼ南向きに開口する。
床には敷石を敷き、5枚以上の天井石を載せてある。
玄室の中央奥寄りに、長さ190センチメートル・幅115センチメートル・高さ50センチメートルの家形石棺を安置する。石棺はくりぬき式で、蓋には6個の縄掛突起がある。材質は凝灰岩で、播磨龍山の岩を用いたと推定される。
家形石棺の形態から見ると、7世紀初頭の造営と考えられている。⇒Wikipedia
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清荒神(きよしこうじん)清澄寺 に到着です。
阿
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吽
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奉納された火箸など
清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)は、兵庫県宝塚市にある真言三宝宗の寺院(大本山)。摂津国八十八箇所第72番。
896年(寛平8年)に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により建てられた。本尊は大日如来。鎮守社として三宝荒神社があり、竃の神の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称がある。
本尊は大日如来で、国の重要文化財に指定されている。
近隣地域では、「荒神さん」と呼び慣わされ、かまど神の一種として、ここで受け取ったお札を台所の神棚に祀るなどの信仰が根付いている。門前の緩やかな坂道には、屋台を含め200近い店舗が軒を並べて門前町を形成している。⇒Wikipedia
ここで(清荒神)自由解散となりましたが、殆どの人が阪急・清荒神駅まで歩いて帰路に就くッと・・・
わんちゃんたちはJR宝塚駅からっというルートを選んでJR宝塚駅へ向かい歩きました。
よく通った宝塚大劇場が見えてました、懐かしかったです。
川西市
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中央に市の花リンドウを、周囲に市の木の桜の花を配置。12時の位置に↓あり。
汚水管マンホール蓋
宝塚市
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市の花・スミレと周囲は音楽と文化の街のロゴマークである鐘だそうです。
「OSUI」「TAKARAZUKA」の文字。
「<」の模様の受枠にある矢印は下水の流れる方向を示しています。
汚水管マンホール蓋。