(元豊浦分校跡地)笠岡市北木島町豊浦
「北木小学校豊浦分校百年史」
北木国民学校豊浦分校
元職員 M男(昭和13~17まで勤務)
昭和13年9月、時あたかも日支事変勃発の翌年で、日本全体が戦争態勢になりつつあった年です。
5ヶ月間の死戦を越えての厳しい軍隊生活を終え、聖なる教壇に情熱ある若き教師として豊浦分校へ赴任したのであった。
校舎は、浜近くの小さな土手に面し、枇杷の木があり、片方は八幡様と小道一つ隔てていた。
校舎も窓枠は腐り、冬の授業は寒い季節風との戦であった。
10分間の休憩は楽しいひと時出であった。教師も生徒も輪をつくり大火鉢に枯葉を燃して暖をとったものです。
その間にいろいろな会話が生まれ、これが自然な教育かとも思ったものです。
春から秋にかけては、授業中も渚に打つ波の音、鳩の声、虫の音、のどかさがあって離島ならではの感もしばしばでした。
授業は二人の教師が各々二学級を持つ複式授業、
児童は純朴であり父兄側も協力的であった。
大潮の時は潮干狩り、陸釣り、沖釣り、漁火、砂浜での遊び、山登り、木の実取り、秋の貝ほり・・・。
村も戦火の拡大につれて応召者も多く石材の生産も減少し、
壮年、青年が一人、二人と減り親兄弟を亡くす家庭も増え、学徒動員、女子挺身隊の軍需工場に狩りだされ、召集兵の送還、送迎が忙しく、
学校教育も戦時色が強く、奉安殿の建設、二宮尊徳の勤勉力行、愛国戦士の崇拝となり、
音楽も、軍歌、愛国が巷にあふれ、のどかな平和教育はどこにもなかった。
通学もモンペ姿、困難耐乏の時代であった。