しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

戦中・戦後の国民学校①豊浦分校

2020年12月29日 | 城見小・他校

(元豊浦分校跡地)笠岡市北木島町豊浦


「北木小学校豊浦分校百年史」


北木国民学校豊浦分校

元職員 M男(昭和13~17まで勤務)

昭和13年9月、時あたかも日支事変勃発の翌年で、日本全体が戦争態勢になりつつあった年です。
5ヶ月間の死戦を越えての厳しい軍隊生活を終え、聖なる教壇に情熱ある若き教師として豊浦分校へ赴任したのであった。

校舎は、浜近くの小さな土手に面し、枇杷の木があり、片方は八幡様と小道一つ隔てていた。
校舎も窓枠は腐り、冬の授業は寒い季節風との戦であった。
10分間の休憩は楽しいひと時出であった。教師も生徒も輪をつくり大火鉢に枯葉を燃して暖をとったものです。
その間にいろいろな会話が生まれ、これが自然な教育かとも思ったものです。

春から秋にかけては、授業中も渚に打つ波の音、鳩の声、虫の音、のどかさがあって離島ならではの感もしばしばでした。

授業は二人の教師が各々二学級を持つ複式授業、
児童は純朴であり父兄側も協力的であった。


大潮の時は潮干狩り、陸釣り、沖釣り、漁火、砂浜での遊び、山登り、木の実取り、秋の貝ほり・・・。

村も戦火の拡大につれて応召者も多く石材の生産も減少し、
壮年、青年が一人、二人と減り親兄弟を亡くす家庭も増え、学徒動員、女子挺身隊の軍需工場に狩りだされ、召集兵の送還、送迎が忙しく、
学校教育も戦時色が強く、奉安殿の建設、二宮尊徳の勤勉力行、愛国戦士の崇拝となり、
音楽も、軍歌、愛国が巷にあふれ、のどかな平和教育はどこにもなかった。
通学もモンペ姿、困難耐乏の時代であった。




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阿部山の開墾

2020年12月29日 | 城見小・他校
阿部山の開墾


阿部山の開墾は、当時岡山県農業普及員をしていた父も作業指導で行っていた。

現在の浅口市・小田郡矢掛町・笠岡市の中等学校(観生女学校・生石女学校・金光中学・笠岡商業・笠岡女学校・淳和女学校)、
および一部の国民学校高等科。
それに当地の青年団が交替で出向いていたようだ。

父も交替で阿部山に出向いていた。新山に自転車を置いて、歩いて登っていたそうだ。

阿部山は高い山で、標高350~400mあり、開墾場所に行きつくだけで相当スタミナを消耗する。
笠岡女学校の生徒の話にあるように、2時間半かけて登り、開墾作業が40分というのもわかる。


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「鴨方町史本編」鴨方町 平成2年発行

1941年(昭和16)阿部山開墾地鍬入式が横溝岡山県知事により行われる。
1942年(昭和17)阿部山の開墾始まる。


開拓事務所よりの戦線慰問文

伝説と史話に富んだ阿部山は今すべてを昔話として雨の日も風の日も開拓即食糧増産の敢闘が続けらていまうs。
ご承知の通り移住者戸数50、一百余名の鍬の戦士は意気高らかに振り絞る汗に唯一の感激と誇りを満喫しているのでごじます。
作付けは、葉煙草を筆頭に、小麦、馬鈴薯、甘藷、除虫菊、裸麦、果樹、百数十に及ぶの盛況にございます。
馬鈴薯の如きは処女地にて、反当り五百貫を超える収穫でございます。
去る3月末配電工事が完成、電力と電灯の恩恵を受けて文化都市にも劣らぬ動力の響きと煌々たる光が前途を祝福するかの如き輝いております。
天は努力する者に常に栄冠を與え給うの真理を体得して、益々皇国農民に徹すべく念願して止まぬものでございます。



観生高等女学校

昭和17年阿部山で大規模な開墾が始まり移住者が続々と入植した。
地元観生高女をはじめ岡山一中、高梁中、矢掛中、なども動員されて、山頂の荒地に開墾を挑んだ。

観生高女・学徒隊の阿部山勤労作業記録
昭和17.7.31 阿部山開拓勤労奉仕作業
昭和18.4.23 全職員生徒阿部山勤労奉仕作業
昭和18.8.21 阿部山奉仕作業
昭和20.4.21 阿部山開墾作業(全員)




鴨方西国民学校



高等科男子開墾






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「創立90周年記念誌」から

笠岡商業学校






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「もっと勉強したかった」---講演「水島航空機製作所へ学徒動員された女学生」
「岡山の記憶第18号」 岡山.15年戦争資料センター 2016年発行より転記


笠岡高等女学校


勤労奉仕は、わが家が人手不足でも出征されているお家に行きました。
開墾作業もしました。
阿部山というところに、2時間半かかって山の上まで行って、40分開墾してまた学校に戻ってくる。


 
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学徒動員③笠岡男子国民学校・笠岡女子国民学校ほか

2020年12月29日 | 城見小・他校
国民学校の”学徒動員”は高等科に限定され、
期間も短かったようだが、・・・1~2日では邪魔になるだけ。どうだったのだろう。


「百年史」にも、下記の記述のみ。詳細はよくわからない。


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「笠岡小学校百年史」 昭和48年発行より

笠岡男子・女子国民学校



女子も男子と同様に軍需工場に動員された。





昭和19年11.27 動員学徒の壮行式(女子校)
昭和20年6.15 学徒出動(女子校・高等科2年)
    6.28 学徒出動(男子校・高等科2年) 大塚工場へ入所式
    7.23 学徒出動(報国鉄工所)(女子校高等科1年)



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「笠岡市史・3巻」より

19年11月 神島外国民学校・高等科 女子2年 安田工業(淳和=学校工場)

20年1月 金浦国民学校・高等科 2年 小田造船

20年4月 吉田国民学校・高等科 2年 安田工業(淳和=学校工場)

20年4月 北川国民学校・高等科 2年 安田工業(淳和=学校工場)

20年6月 笠岡女子国民学校・高等科 2年 大塚工場

20年6月 笠岡男子国民学校・高等科 2年 大塚工場



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