城見小学校の校長先生や教頭先生が、「子供は流行歌を歌ぉちゃあいけん」と生徒によく話していた。
いや訓示していた。
しかし城見小の生徒が流行歌を歌うのを止めることは微塵もなかった。
村の子供たちに一言説教するようなおじさん・おじいさんもいたが、流行歌については、奨めることはなかったが、それを止めということもなかった。
それもあり先生に言われても、子供は学校以外ではおおっぴらに流行歌を歌っていた。
告げ口をする訳ではないが、歌が嫌いな子が流行歌を歌う子に「歌ぉたらいけんが」と言ったときに決まったように返す言葉があった。
それが「こりゃあ流行歌じゃあねぇ」。
その代表が”愛ちゃんはお嫁に”
〽愛ちゃんはお嫁に・・・、と歌うところを〽〇〇ちゃんはお嫁に・・・と変えて歌う。「愛ちゃんはお嫁に」
〽お~~い、船方さんよ~、と歌うところを〽〇〇さんよ~と歌う。「船方さんよ」
(〇〇は村にいる実名の人)
〽お富さん~、と歌うところを〽おトラさん(漫画の主人公)と歌う。「お富さん」
流行歌を歌うことに家族からも、やめるように言われたことはまったくない。
しかし今思えば、「芸者ワルツ」のように大人専用の歌でなかったから許容範囲だったのかな、とも思う。
・・・・・
「童謡の百年」 井手口彰典 筑摩書房 2018年発行
童謡をうたわない子供たち
1952年『婦人公論』12月号では、美空ひばり、江利チエミ、伊達みどり、草葉ひかる、白鳥みずえなどの名前を列挙し、
少女歌手は子供の自然な世界から無理やりひきはなされて大人の世界に放り込まれている矛盾と不幸を見て取っています。
また童謡歌手・古賀さと子は純粋さがあると持ち上げています。
ともあれ、一部の大人たちからどれだけ顰蹙を買おうとも、
美空ひばりの成功によって童謡という頸木から解き放たれた子供たちの歌は次第に社会のなかへと広まっていきました。
その結果、
「童謡は子供が歌うもの」あるいは「子供は童謡を歌うもの」という従来の常識は弱まっていき、
何が童謡なのかをめぐる社会認識にもぐらつきが生じるようになります。
いや訓示していた。
しかし城見小の生徒が流行歌を歌うのを止めることは微塵もなかった。
村の子供たちに一言説教するようなおじさん・おじいさんもいたが、流行歌については、奨めることはなかったが、それを止めということもなかった。
それもあり先生に言われても、子供は学校以外ではおおっぴらに流行歌を歌っていた。
告げ口をする訳ではないが、歌が嫌いな子が流行歌を歌う子に「歌ぉたらいけんが」と言ったときに決まったように返す言葉があった。
それが「こりゃあ流行歌じゃあねぇ」。
その代表が”愛ちゃんはお嫁に”
〽愛ちゃんはお嫁に・・・、と歌うところを〽〇〇ちゃんはお嫁に・・・と変えて歌う。「愛ちゃんはお嫁に」
〽お~~い、船方さんよ~、と歌うところを〽〇〇さんよ~と歌う。「船方さんよ」
(〇〇は村にいる実名の人)
〽お富さん~、と歌うところを〽おトラさん(漫画の主人公)と歌う。「お富さん」
流行歌を歌うことに家族からも、やめるように言われたことはまったくない。
しかし今思えば、「芸者ワルツ」のように大人専用の歌でなかったから許容範囲だったのかな、とも思う。
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「童謡の百年」 井手口彰典 筑摩書房 2018年発行
童謡をうたわない子供たち
1952年『婦人公論』12月号では、美空ひばり、江利チエミ、伊達みどり、草葉ひかる、白鳥みずえなどの名前を列挙し、
少女歌手は子供の自然な世界から無理やりひきはなされて大人の世界に放り込まれている矛盾と不幸を見て取っています。
また童謡歌手・古賀さと子は純粋さがあると持ち上げています。
ともあれ、一部の大人たちからどれだけ顰蹙を買おうとも、
美空ひばりの成功によって童謡という頸木から解き放たれた子供たちの歌は次第に社会のなかへと広まっていきました。
その結果、
「童謡は子供が歌うもの」あるいは「子供は童謡を歌うもの」という従来の常識は弱まっていき、
何が童謡なのかをめぐる社会認識にもぐらつきが生じるようになります。