昭和19年10月20日、東京の日比谷公会堂で国民大会が開かれ、
壇上、小磯国昭首相は次のような演説を行なった。
「諸君。
我々国民、待望の的であった決戦の幕は切って落とされました。
敵の空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦40数隻を撃沈、殲滅せられたのであります。
古来、戦史にその類例を見ざる、限りない輝かしさであると言わねばなりません」
その話しぶりや表情、しぐさを見るかぎり小磯首相は戦果を信じきっていたと判断せざるをえない。
一国の首相が知らされないとすれば、太平洋戦争中の大日本帝国は
外見は軍部独裁でありながら、その内容は自分の属する組織の利害のみにとらわれて、
ばらばらに行動し、なんの連携も統率もないまま、迷走をつづける奇妙な機械のような国家にすぎなかったのではないかと思わざるをえない。
小磯首相が演説した翌日の10月21日、
海津美治郎参謀総長と及川古志郎軍令部総長は、宮中に召され、天皇から御嘉尚の勅語を賜った。
海軍が戦果の誤りを、ともに戦う陸軍はおろか、首相にも天皇にも知らせなかったとすれば、
ましてや国民に真相が伝えられることはなかった。
真相を国民に知らせかったのは、知らせた場合、パニックがおきることを恐れてのことだったのか、
事態の責任を追及されるのが怖かったのか。
しかし事態はますます悪くなったのである。
国民は疑心暗鬼におちいり、政府や軍部のいうことを信用せず、面従腹背の行動をとるようになる。
そして日本は、いよいよ崩壊への道をたどることになる。
10月22日、レイテ決戦に反対していた山下大将はレイテに兵力を派遣せよという命令を申し渡された。
「幻の大戦果 大本営発表の真相」 辻泰明 NHK出版 2002年発行