搭乗員が見たもの
陸攻機長だったTさん(83才)
電探(レーダー)の能力が悪いんですよ。目で見た方が早いの。
「我、燃料なし、自爆する」というような無線がはいりますし、
結局攻撃はできずに沖縄に帰っていたんです。
・・・
どうやって、敵艦隊を見つけることができたのか。
それは、なんと、敵艦が打ち出す対空砲火によってだった。
・・・
陸攻、副操縦士だったOさん(76才)
主砲みたいなのを撃つわけですよ。
青白い光がパーッと出るんですよ。
機銃がザザザザっとこう撃ってきますから、ああ、いるってわかるんです。
空母を攻撃せよというのが至上命令だったです、もしくは戦艦と。
空母は17隻というから、一つや二つはやれるかと思ったけれども、それが全然見えない。
ただ出てくるのはグラマンばかりでしたね。
今思えば、ちょっと考えられない無謀な作戦でしたね。
向こうはレーダーでこちらを捕まえるんですから。
われわれは「行ってこい」と言われれば、必ず行かねばならないですからね。
本来ならば、避けなければならない対空砲火を逆に目印にして、その中に突っ込んでいくことしか敵艦を攻撃できなかった。
しかも米軍の高射砲にはVT信管が装着されている。
一式陸攻は、わずかな被弾でも、すぐに燃料に火がついて「一式ライター」とあだ名されていた。
そういう一式陸攻の群れが、猛烈な弾幕の中に突入したのである。
日本軍機は次々に撃墜された。
鹿屋基地飛行要務士(参謀の秘書役)Aさん(79才)
「われ雷撃す」というような無電が一本入ったきり。
報告する前にやられちゃったの。
無電を打つ前に落とされちゃたのが多いんじゃないですか。
一式陸攻の副操縦士Hさん(当時19才)
鹿屋を出発したのは12時半か1時ごろ、戦場到着が4時半か5時ごろか。
--対空砲火は、かなり激しかったですか。
かなりなんていうもんじゃなかったですね。
想像していたより、もっとひどかったです。
夜間ですから、曳光弾というのが、それが火の玉みたいに尾を引いてずっとつながって飛んでくるわけですよ。
花火の五連発、七連発、あれを何十本も何百本もパーっとやるのと同じような感じです。
その中を機首を上げ下げして、くぐったり飛び越えたりしていくわけです。
考えたら、当たらなかったのが不思議という感じです。
--戦果の確認は。
見ていないですね。仮に命中したとしても、われわれの落とした魚雷であるとかいうことは全然わかりません。
--沈んだかどうか
とても確認できませんよ。
もうそれよりも逃げるが勝ちですからね。
--轟沈
5分以内に沈むのを轟沈だといいます。
まずないと思いますよ。
魚雷一本で沈むほどやわくは(敵艦も日本軍も)ないですから。
参加した搭乗員の大部分は初陣である。
異常な心理状態である。
赤い尾を引く曳光弾や、1分間に10万発と俗にいう、
猛烈な対空砲火の弾幕のなかをくぐりぬけて生還してきたばかりの彼らにとって、あたかも地獄の底から戻ってきたばかりのような心理状態であったろう。
自分たちが見た火柱や水柱の正体がなんであったのか、冷静に判断ができない人がいたとしても不思議ではない。
戦果報告の過程
I機長の報告
空母(推定)を雷撃命中、その他火柱二を確認せり
・・・
その報告書に、新たに二隻の戦果が書き加えられている。
艦型不明の轟沈を認む
艦種不明の轟沈を認む
・・・
高雄の司令部で艦種不詳は空母の算大なりに変化した。
航空参謀と搭乗員のやりとり
参謀「ほかには何か見なかったか」
搭乗員「遠くでオイルタンカーか、空母が燃えていたかもしれません」
参謀「空母だろう」
搭乗員「そうかもしれません」
参謀「空母が撃沈されていたのだな」
搭乗員「そうかもしれません」
こうした一種の誘導尋問がおこなわれていた。
あまりに未帰還機が多く、直協機や隊長たちが帰ってこなかった。
初陣の若い搭乗員とのやりとりをもとにせざるをえなくなった。
夜間の攻撃で目標を誤認しやすい状況下におかれた搭乗員が、
味方機が墜落して発した火柱や対空砲火の火焔などを敵艦の火災や魚雷の命中と見誤り、
それを一種の誘導尋問によって、実際にあげた戦果であると誤断するという経緯のもとに生み出された。
「幻の大戦果 大本営発表の真相」 辻泰明 NHK出版 2002年発行
陸攻機長だったTさん(83才)
電探(レーダー)の能力が悪いんですよ。目で見た方が早いの。
「我、燃料なし、自爆する」というような無線がはいりますし、
結局攻撃はできずに沖縄に帰っていたんです。
・・・
どうやって、敵艦隊を見つけることができたのか。
それは、なんと、敵艦が打ち出す対空砲火によってだった。
・・・
陸攻、副操縦士だったOさん(76才)
主砲みたいなのを撃つわけですよ。
青白い光がパーッと出るんですよ。
機銃がザザザザっとこう撃ってきますから、ああ、いるってわかるんです。
空母を攻撃せよというのが至上命令だったです、もしくは戦艦と。
空母は17隻というから、一つや二つはやれるかと思ったけれども、それが全然見えない。
ただ出てくるのはグラマンばかりでしたね。
今思えば、ちょっと考えられない無謀な作戦でしたね。
向こうはレーダーでこちらを捕まえるんですから。
われわれは「行ってこい」と言われれば、必ず行かねばならないですからね。
本来ならば、避けなければならない対空砲火を逆に目印にして、その中に突っ込んでいくことしか敵艦を攻撃できなかった。
しかも米軍の高射砲にはVT信管が装着されている。
一式陸攻は、わずかな被弾でも、すぐに燃料に火がついて「一式ライター」とあだ名されていた。
そういう一式陸攻の群れが、猛烈な弾幕の中に突入したのである。
日本軍機は次々に撃墜された。
鹿屋基地飛行要務士(参謀の秘書役)Aさん(79才)
「われ雷撃す」というような無電が一本入ったきり。
報告する前にやられちゃったの。
無電を打つ前に落とされちゃたのが多いんじゃないですか。
一式陸攻の副操縦士Hさん(当時19才)
鹿屋を出発したのは12時半か1時ごろ、戦場到着が4時半か5時ごろか。
--対空砲火は、かなり激しかったですか。
かなりなんていうもんじゃなかったですね。
想像していたより、もっとひどかったです。
夜間ですから、曳光弾というのが、それが火の玉みたいに尾を引いてずっとつながって飛んでくるわけですよ。
花火の五連発、七連発、あれを何十本も何百本もパーっとやるのと同じような感じです。
その中を機首を上げ下げして、くぐったり飛び越えたりしていくわけです。
考えたら、当たらなかったのが不思議という感じです。
--戦果の確認は。
見ていないですね。仮に命中したとしても、われわれの落とした魚雷であるとかいうことは全然わかりません。
--沈んだかどうか
とても確認できませんよ。
もうそれよりも逃げるが勝ちですからね。
--轟沈
5分以内に沈むのを轟沈だといいます。
まずないと思いますよ。
魚雷一本で沈むほどやわくは(敵艦も日本軍も)ないですから。
参加した搭乗員の大部分は初陣である。
異常な心理状態である。
赤い尾を引く曳光弾や、1分間に10万発と俗にいう、
猛烈な対空砲火の弾幕のなかをくぐりぬけて生還してきたばかりの彼らにとって、あたかも地獄の底から戻ってきたばかりのような心理状態であったろう。
自分たちが見た火柱や水柱の正体がなんであったのか、冷静に判断ができない人がいたとしても不思議ではない。
戦果報告の過程
I機長の報告
空母(推定)を雷撃命中、その他火柱二を確認せり
・・・
その報告書に、新たに二隻の戦果が書き加えられている。
艦型不明の轟沈を認む
艦種不明の轟沈を認む
・・・
高雄の司令部で艦種不詳は空母の算大なりに変化した。
航空参謀と搭乗員のやりとり
参謀「ほかには何か見なかったか」
搭乗員「遠くでオイルタンカーか、空母が燃えていたかもしれません」
参謀「空母だろう」
搭乗員「そうかもしれません」
参謀「空母が撃沈されていたのだな」
搭乗員「そうかもしれません」
こうした一種の誘導尋問がおこなわれていた。
あまりに未帰還機が多く、直協機や隊長たちが帰ってこなかった。
初陣の若い搭乗員とのやりとりをもとにせざるをえなくなった。
夜間の攻撃で目標を誤認しやすい状況下におかれた搭乗員が、
味方機が墜落して発した火柱や対空砲火の火焔などを敵艦の火災や魚雷の命中と見誤り、
それを一種の誘導尋問によって、実際にあげた戦果であると誤断するという経緯のもとに生み出された。
「幻の大戦果 大本営発表の真相」 辻泰明 NHK出版 2002年発行