しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

ブドウを作る

2022年03月07日 | 農業(農作物・家畜)

茂平の果物は、桃に次いで葡萄が多かった。
家で出荷していたのはキャンベル(キャンと呼んでいた)が突出し、
それが終わる頃デラウエア(途中から種なしになった)を出荷していた。
他にも、ネオマスカットや巨峰も植えていたが量は多くなかった。

葉たばこ農家がブドウ栽培へ変わる頃、茂平のブドウは駆逐されるように減っていった。
茂平のブドウはほとんどが露地栽培だった。

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ブドウを育てる

ブドウは世界各地で作られてきました。
ブドウは、栽培できる気温の幅が広く、北海道から九州まで栽培されています。
主な産地は、山梨県、長野県、山形県、岡山県です。
高品質の果実を栽培するための施設栽培が盛んで、栽培面積の30%をしめています。
日本では約85%が生食用ですが、世界的にはワインの原料として栽培されています。

ブドウ栽培の特徴は棚仕立てとジベレリン処理があります。
ブドウはつる性の枝をのばすので棚仕立てで作らるのです。

植えた後2~3年で実がなりだし、5~6年で成木となります。
病害虫の防除と天候の変化に対応するために袋掛けが行われています。
次々に新しい品種が作られています、
最近は粒が大きく、甘みと香りのあるものが好まれ、「巨峰」や「ピオーネ」などが多くなっています。
昔から作られていた「デラウェア」もジベレリン処理で種なしになり、収穫が続けられています。
「日本の農業4」 長谷川美典 岩崎書店 2010年発行

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葡萄 

(父の話)

葡萄はよう(品種が)変わる。

談・2000・12・17
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茂平の葡萄は「きゃん」と「デラ」がおもじゃった。

ピオーネ

ネオマスカット
(茂平には)なんぼかネオマスを植えとった人がおるけど、ようなかった。

コールマン
まぁさんがコールマンやっとるけど、一軒だけなんで値よう買うてくれん。
買うほうは量がなんぼかいる。

変わったものをおいとくと、いちいち説明ばぁせにゃあならん。

談・2001年7月23日
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ブドウ畑の柵
(葡萄畑はコンクリート柱をたてらかせ、番線を張りそれに枝をはわす)

柱を立て、それぇハリガネを
ハリガネは主なとこは太いのをし、間にゃあ細いのをしょうた。強いけい朽ちて切れることはなかった。
作る時は骨がおりょうた。

木はええようにつくれば20年でももつ。

談・2001・2・11
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キャンベル

ウチにもキャンはようけい植えとった。
ありゃぁえかった。
病気にゃあ強いし。

新涯の畑にキャンを植えとったら、早ぅでる。
ほれじゃけぃ、ボニに出るけぃえかったのぅ。

おいしゅうのうても、値がえかった。
果物は出る時期によるけぃのう。

袋は底を空けて。

談・2001年7月23日

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花が咲いたらアブランコがくる。葉へ。葉を食う虫じゃ。
食わさんように予防して葉を保つ。

せいから実も食う。実を食わわさんように予防する。せいだけのことじゃ。

(袋掛けをしないと)やっぱり色が違う。掛けといたほうがけっこうな。

談・2001・2・11

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(ぶどうは何故減っていったか
茂平のぶどうはすくなくなったがこれはなぜだろうか?)

茂平もようけい植えとった。
せいが、わりかた安ぃ。
あほうらしい、安いけえ作らんようになった。

談・2002年8月24日

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つくるのをやめた

キャンもようけい植えとったが、次第に相場がやすうなってきて。あわんようになった。
あやぁ作る。
デラ・・の種無し・・も、始めはえかった。
他所からもどんどん出だした。やすうなった。費用ばっかりかかって。
葡萄は昔からつくりょうた、長ぅつくった。

談・2001・2.・25




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「金光町史」

果樹

キャンベル

昭和28年のブドウはキャンベル全盛期で、
その後現われた露地新商品はまだ出現していない。
農協または個人ルートで支柱用材を購入し、町内各地で小規模のキャンベル栽培が行われた。
キャンベルは病害虫に強く、多産で、早く現金化でき、農家には救いであった。
キャンベルは用水が不足すればかえって甘く、8月中旬まで、遅くとも8月いっぱいで収穫を終える特性がある。
キャンベルは昭和40年にはほとんど消えた。
モモに転換した。

 

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葡萄
日本には12世紀に中国から渡来した葡萄を甲州で繁殖させたのが甲州葡萄だといわれている。
大粒な優良な葡萄は明治以降の出現である。
岡山市津高の篤農家・山内善男、大森熊太郎両氏は明治19年に硝子室を建設し、北アフリカ産のマスカット・オブ・アレキサンドリアの栽培を始めた。
「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行



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ブドウ

わが国の栽培は、平安時代の末期に甲斐国で始まったとされる。
江戸時代には甲州は特産地となり『多く作りて江戸へ出すことおびただしく』と述べられている。
明治以後、たくさんの品種が次々に導入された。

岡山県は山梨県と並ぶブドウの産地であるが、
特に温室ブドウのマスカットオブアレキサンドリアは全国生産の90%以上を占めている。
明治以来、百年以上の伝統を誇るマスカットと並んで、近年、岡山のブドウの主要品種に成長しているのが、米国系雑種のニューピオーネ。
昭和50年代以降急速に栽培が拡大し、現在集荷量全国一となっている。
その他、ネオマスカット、コールマン、ベリーA、瀬戸ジャイアンツなど、魅力あるブドウが次々栽培されている。
「岡山の作物文化誌」 臼井英治 岡山文庫 平成18年発行



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何度問われても「わっはっは」しか答えないラジオの野球解説者

2022年03月07日 | 昭和の歌・映画・ドラマ
スポーツのラジオ実況放送は子どもの時から今日まで聴いている。
回数の多い順に、
大相撲・・・NHK・相撲以上に志村正順アナの名調子が楽しみだった。
プロ野球・・NHK・ラジオ山陽・ラジオ中国。今はテレビが多い。
高校野球・・県予選や甲子園を聴いていた。
プロボクシング・・海老原博幸選手の試合。
水泳・・ローマ五輪での山中vsローズやコンラッズ選手。

今でも強い記憶になっているのが、ラジオ中国の金山次郎さんの解説。
解説者というより100%カープ応援へ特化した解説。露骨なカープ贔屓が面白かった。
地域限定放送は、そういう解説でいいと思う。




極めつけは、
何度問われても「わっはっは」しか答えない野球解説者。
この時は聴いていて面白かった。
笑った。
今でも、なにかの拍子に思い出して一人で笑っている。


1986(昭和61)年10月27日 プロ野球日本シリーズ・広島vs西武第5戦 NHKラジオ

勤務中、カーラジオで試合を聴いていた。
広島がリードした場面で、西武が攻撃中。
バッターボックスには3番・秋山(4番は新人の清原)。

その途中、球場の大歓声があがり、アナウンサーの声が聞こえなくなった。
なにがあったんだろう?
「わぁわぁわぁ・・・・・」の歓声の間から、
どうも秋山がホームランを打ったらしいようだった。
しかし、それだけでもない感じで・・・・。
アナウンサー氏「川上さん打ちましたねえ」
解説の川上哲治さん「わっはっは」
アナ氏「起死回生のホームランですよ」
川上さん「わっはっは」
アナ氏「バック転ですよ、川上さん」
川上さん「わっはっは」
アナ氏「どう思われますか、川上さん」
川上さん「わっはっは」
アナ氏「川上さんと同じ、熊本の出身ですよ」
川上さん「わっはっは」
アナ氏「川上さん!」
川上さん「わっはっは」
こんなやりとりが何回か繰り返された。
執拗にも思えるアナ氏と、
返答に困り上げる川上さん、この二人のやりとりは
聴く方にとっては・・・笑うしかないほど・・・面白かった。





川上さんは、どのように返したのがよいのか困っていたが、
後年雑誌によると、打った秋山も苦渋(といっていいのか)の決断だったと語っている。
ベンチがお通夜ムードで、雰囲気を変えたかったことに加え、
清原が入団しスター誕生、今度は自分も存在感をアピールしたいと思っていたこと。
森監督はどう感じるか?心配で、ホームラン後の3塁コーチに許可を得たなどがあった。

今も時にスポーツ誌を飾り、語り継がれている秋山のバック転だが、
自分にとっては、
笑えて、解説者に同情もして、おもしろい記憶に残るラジオ放送だった。


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