しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

街の人糞・田舎の人糞

2022年03月04日 | 農業(農作物・家畜)
尾道では花街の汲み取りが一番高かったそうだ。
茂平では神戸から「糞船」、野々浜では「神戸船」と呼ばれる船が入港していた。

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(父の話)

肥えを積んだ船が茂平に来ていた。
神戸から来とった。
船の真中辺に肥えを積んどった。

それを金を出して買おとった。
浜に入った船に荷車にニ荷積んでしんがいの畑の野つぼに移し、せえから、また船に行って買おて今度は他の畑にうつす。
そわあなのは戦中から戦後まで3~4年続いたじゃろうか。

(人糞肥料はどんな野菜や果物に適していたのか?)
何にでも効きょうた。

談・2001年4月22日

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肥船

昔は肥料屋が船に肥を積んで売りに来た。
肥船はタンカーのような構造の船だ。
神戸の方からも来ていたから「神戸肥」とも言っていた。

この船が野々浜の港に入り、肥を一荷(いっか)幾らで百姓をしている者に売る。
この時は浜の方の家の者は、臭くてかなわなかった。

「野々浜むかし語り」  福山市野々浜公民館  1991年発行


(野々浜むかし語り)

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(父の話)

人糞と牛糞の違い・町の人糞と田舎の人糞の違い


(人糞と牛糞はどちらが良かったのか?)
そりゃあ、人糞じゃ。
食いもんが違う。
窒素が違う。
人間はええものを食べる。ええものを食べりゃあ、それだけ成分がようなる。

人糞も。田舎よりは町の人のほうがええもんを食べるんで、町のひとのほうがええ肥になりょうた。
(田舎の)梅干ばぁ食びょうるんじゃあ、ええうんこがでん。町の美味しいものを食びょうる人のほうがよぅ効く。

談・2002年10月14日

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(父の話)
野壺

腐ってきたら、そりょおつかようた。
すぐはきちぃけいの、つぐには使えん。
談・2001年7月23日

今は野壺を使ようる人はおらん。
昔は肥坪をみなしょうたが、今はおりゃぁせん。
ウチにも新涯(の畑に)に大きな野壺をこしらえとった。

談・2002年5月26日

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ツボキの話し

(母の話)
畑にツボキをこしらえて、それからまにまに持っていきょうた。
ちかまでそうしょうた。
今は持たんなあ。便所屋がとりにくるけえなあ。
キミさんは死ぬるまでだしょうた。
のうなった畑が多い。

談・2005・2・5


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「食の歴史と日本人」 川島博之 東洋経済新報社  2010年発行

窒素肥料

苦労して落ち葉や下草を集めても、そこから得られる窒素の量はきわめて少なかった。
そこで人間の糞尿を肥料として用いた。
糞尿には多くの有機物が含まれているが、これが農作物の最長に害を及ぼす。
糞尿を肥料として用いるには、有機物を無機化する必要がある。
これを行う装置が「肥だめ」である。
新たな糞尿を「肥溜め」に入れて1~2ヶ月放置すると、微生物の働きにより有機物が分解される。
有機物が分解される際に発生する熱により、寄生虫の卵などを殺す効果もあった。

窒素肥料を投入すれば生産量を増やせるが環境汚染を伴う。


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街の人の食べる物

2022年03月04日 | 食べもの

汁かけご飯

戦前までわが国庶民の家庭での猫の餌は残飯に残り物の味噌汁をかけたもので、
猫ご飯、猫まんまと呼ばれた。
人には下品なたべものとされたが、
古くからわが国庶民によく馴染み、これが明治以降の
カレーライス、ハヤシライスなどの洋風汁かけご飯の普及を助長した。
「物語・食の文化」  北岡正三郎  中公新書  2011年発行

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向田邦子先生の、”私は数えの八つだった。”、頃と比べて
私の”数えで八つ”時分の朝飯と言えば
「麦飯」に「味噌汁」の”汁かけ”だけの毎朝だった。
しかも、その食材すべてが、家での自給品だ。

向田先生の幼少時は「米の飯」「おしんこ」「生卵」「海苔」の朝食、
これが戦前の2.26事件頃とは恐れ入る。
母は、「昭和11~12年頃がいちばん景気がよかった」と話していたが、それも一因かもしれない。
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「海苔と卵と朝めし」  向田邦子  河出書房新社  2018年発行

二・二六事件のころ、私たちは宇都宮に住んでいた。
私は数えの八つだった。
三十を出たばかりの父は、口ひげを立てていた。ステックとともに当時流行っていたらしい。
生命保険会社の支店次長の父の月給が百三十円。
二百坪の庭がついて二階建ての社宅は、家賃が十七円だった。

私は海苔が好きだった。
おみおつけでまず一膳のごはんを食べ、生卵か海苔、納豆は二膳目でないと箸はつけてはいけないというのである。
子供は二膳目のごはんで大きくなるというのだ。
ごはんも海苔も、ピカピカ光っていたような気がする。
卵も大きく殻は硬かった。
割ると蜜柑色の大きな黄身が盛り上がった。



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