しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

こうこ・コーコ(沢庵漬)を作る

2022年03月13日 | 農業(農作物・家畜)

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沢庵漬け

コーコ(香香)といい、米糠と塩をまぜたものを、ひなびた大根にふりかけ、
四斗樽につめる。
毎年秋に、
四斗樽にコーコ2~3樽漬けた。
早く食べる分として、大根の浅漬けを一樽、白菜漬けを2~3樽であった。
漬物は主要なおかずであったので、味噌樽なども数えると10樽は並んでいたという。

「吉永町史」 吉永町史刊行委員会編 吉永町  昭和59年発行


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漬物
庶民にとっては極めて重要なおかずであった。
「糠味噌くさい」というが、家伝ともいうべき漬物の味があり、匂いがあっても主婦の腕のみせどころであった。
「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行


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沢庵漬

笠岡市吉田では秋、畑から抜き取った大根を木にかけて干し、しなびた大根を樽に漬けるのであるが、樽の底に大根をぎっしりつめて並べ,糠と塩をまぜたものをふりかけ、適当に唐辛をむしって入れる。
二段目にまた大根を並べ、糠と塩をまぜたものを、という具合にしながら足で踏みつける。
よく踏みつけておく方がよい。
一番上にはハブサといって大根葉を並べ、その上に板または蓋をして大きな石を置き重石とする。

四斗樽に二・三本漬ける場合が多い。
味噌と違ってコーコはその年漬けた分を食べるのであって、前年のものは古ゴーコといって焚いて食べたりする。

「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行


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捩干し
畑から抜いてきた小さい屑大根を窄るまで稲架または柿の木などに架けておく。
ネジボシとなる。
からからになるまで干す。

大根切干し
主として屑の大根を奇麗に洗って包丁で縦に二つか四つ割にして厚さ一分くらいに横に小さく切って蓆の上で干す。
糸に通して干すこともある。
乾燥した切干は保存しておいて煮つけにしたり雑魚と一緒に煮る。


提灯切り
生大根を俎板の上で、ぐるぐる回しながら包丁で切れ目を入れていく。(笠岡市吉田)
熊山町では大根の両方に棒をあて、これを斜めに切り、再び裏返して斜めに切る。

「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

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ちょうちん切り(大根の提灯切り)

(母の話)
大根切りのいっしゅじゃ。
いっぽん丸ごと切る。
切り干しのことじゃ。

はんぶんはまっすぐに切る。
こんどは斜めに切る。
伸びるんか確かめながら切る。
上手に切らにゃ。

焚いたらおいしいんじゃ。
春先にゃ魚・・サワラやこと・・・といっしょに焚きゃおいしいんじゃ。
大根じゃいちばんおいしいんじゃ。

今頃はひどうするもんがおるめぇ。
賀山(母の実家)にゃああればっかりしょうた。

談・2005.2.5

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(義母の話)

提灯切り(ちょうちんぎり)

春先に筍といっしょに煮物にして食びょうた。
大根を提灯切して竿に干しょうた。
独特の切り方で、
表と裏に二へん切る。
片方は垂直に輪切りして、こんどはひっくり返し半分はななめにして切りょうた。
ほしたら提灯みたいになりょうた。
薄い・厚いがないように包丁がはいっとる。

談・2019年12月22日

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「野菜まるごと辞典」 成美堂出版

ダイコン(大根)

干し野菜
野菜を干すと保存性が高まるだけでなく、水分が抜けてうまみが凝縮されます。
味が濃く、歯ごたえもよくなり、
生とは違ったおいしさ。
切ってザルなどに広げ、太陽に干すだけ。
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ダイコン
細切りや薄切りで干すと、切干大根に使える。
厚めに切ってセミドライいし、煮物や漬物にしてもOK。

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たくあんを作る
 
①ダイコンは洗い、そのまま並べて乾かす。
②③④葉がついたまま2本つづ束ね、風通しがよく、雨がかからない場所に干す。
10日~2週間が目安。
⑤手で曲げて「く」「つ」の字くらいがよい。
⑥柿、ミカン、リンゴの皮をよく乾燥させておく。
⑦ダイコンの葉を切り落とす。
⑧ダイコンを俎板の上でころがし、芯をやわらかくする。
⑨炒りぬか、塩、果実の皮、昆布、トウガラシを器に入れ合わせておく。
⑩容器に⑨を振り、ダイコンを入れる。
隙間なく詰め、中央にはダイコンの葉を入れる。
⑪繰り返す。
最後は残ったダイコンの葉をのせ、中ブタを入れて重石をして冷暗所へ。
重石はダイコンの2倍が目安。
⑫約1ヶ月で漬け上がる。


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糟漬け
沢庵が代表である。
暮れになると大根を抜いて洗い,葉の所を6~7本束ねて稲を干すように竿にかけて干す。
寒い風が吹かないと大根がよく乾かないので冬漬けるのが恒例であった。
塩と糠で漬けるのが基本であった。色をよくするため黄粉を入れる家もあった。
四斗樽に何杯も漬けるために、一年中漬物を買うことはなかった。
「金光町史」


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ダイコンを作る

2022年03月13日 | 農業(農作物・家畜)
ダイコン(大根)
日本の冬野菜の代表各


「日本書紀」にも記されて、古くから食されています。
ダイコンの葉には栄養が豊富です。
もっとも多いのが「青首ダイコン」で、
生のまま浅漬やサラダ、大根おろし、おでんや煮込み、など万能に使える。
全国各地に在来種があり、土地ならではの漬物などもあります。

「野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行






大根

秋大根、夏大根、時無し大根などあって、年中生大根を食べることができるが、
大量に利用するのは秋大根である。
冬季期間食べる分は畑に残しておき、必要に応じて抜いてくる。
輪切りにして醤油か味噌で炊いた大根煮や味噌汁にいれる。
保存用としては干し大根、沢庵漬など大量に行う。

「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行


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(父の話)

大根

ええかげん大きょうなったら抜いて干しょうた。”浸け大根”にしょうた。
ウチで食べるんと市場へ出すんと両方。

ちょっとやおうなった時、いろうてみて、「おっ、こりゃぁもうしゃあねぃ。」思うたら市場へ出しょうた。
(天日棹のを)降れぇて、そうやって市場へ出しょうた。
大根は生食より漬物が主じゃった。ようけいできても、それしかしょうがねぃ。

「葉っぱ」も半分くらい切って、買う人がおるんで束にして出しょうた。

2002年8月5日


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ダイコン

人々は古くから体験的にその栄養と薬効を知っていたのであろう。
ダイコンの料理法の多様さは他の野菜の追随を許さないものがある。
栽培面積も生産高も、わが国の野菜のなかでは群を抜いている。
ダイコンは日本を代表する野菜なのである。
わが国へは中国から渡来し「古事記」に登場している。
ダイコンは品種も多いので、播種期も収穫期もいろいろで、年中栽培することができる。

「岡山の作物文化誌」 臼井英治 岡山文庫 平成18年発行


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大根葉
純農家では大根葉は兎や鶏、牛に与える。
「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

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プーチン氏は料理を食べたか

2022年03月13日 | 令和元年~
2016年12月、安倍晋三首相(当時)がロシアのプーチン大統領と同じ風呂に入り、
その二人の友好関係でもって歯舞・色丹の2島を返還、という事前の報道があった。
ところが、実際は
遅刻して風呂には入らず、島は返還ならず、
国民として、ずいぶんなめられた思いがした。

このとき既に、プーチン大統領は”暗殺”をずいぶん恐れていたようだ。

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「人生の醍醐味」 曽野綾子  産経新聞社  2017年発行
晩餐会---プーチン氏は料理を食べたか

後日の報道で私は、大谷山荘のその夜のメニューも知った。
前菜に蟹の甲羅盛り、御椀は甘鯛に蓮根。
向付はとらふぐの刺身、伊勢海老焼き〆洗い。
焼き物はのど黒、土地の和牛。
揚げ物は鮟鱇の唐揚げと慈姑の素揚げ。以下略。

とにかく心のこもったごちそうであることはよくわかる。
しかし同じ週の「ニューズウィーク日本版」十二月二十日号によると、
バスルームで、生物兵器による危害が加えられる恐れはないか、
エレベーターは安全か。
タオルやシーツや化粧品までロシアから持ってきたものだ。
たとえ国家元首が用意した食材でも、決して口にしない。
それは毒殺を恐れるからである。
「ニュースウィーク」の通りとすれば、
プーチン氏は料理を愛でただけで、ほとんど一口も食べなかったのだろう。


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本の信憑性はおいても、非常に怖がったり、人を信用しないのは本当のように思われる。

ソ連は第二次大戦後、東西の二大大国だったが、ソ連崩壊後大国の矜持が無くなった。
まさか21世紀の世界で、隣国を侵攻するようなことが起こるとは思っていなかった。
世界中にロシアの侵攻は、歴史の汚点として残りそうだ。



(ロシア軍が2022年2月24日、ウクライナへ侵攻。画像はCNNより)



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リンゴを作る

2022年03月13日 | 農業(農作物・家畜)
子供の頃、母に「皇太子(現・上皇)はどんなものをオヤツに食べとるんじゃろう?」、と聞くと
「リンゴやこじゃろうかな」という返事だった。
その当時、わが家にオヤツはなかった。
要るのなら芋でも食べておけ、という感じでふかし芋が常に戸棚の中にあった。

リンゴは都会の上流家庭で食べる物と、その頃は思っていたが
同じようにバナナもリンゴも今では庶民の食べものになった。

茂平でリンゴが栽培されていたとは知らなかった。
母の話にリンゴがでたことはないので、少量だったのか、早く見切りをつけたのだろう。

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(父の話)

りんご

リンゴはウチ等にも植えとったがエエことは無ぇ。
売りょうたけど,相場が良くねぇし、病気はくるし。

ウチにはうつろの畑に植えとった。
”青い”リンゴじゃ。大きさは普通。

赤い大きいのは出来なんだ、やっぱり温度の関係じゃろう。寒いところのほうがええんじゃろう。
作ってみたけど、味も落ちるしの。いけなんだ。

2002年8月5日


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リンゴは秋にすずしいほうが果実の色づきがよく、
冬の寒さに特に強いので、青森県や長野県などの寒い所で、ひろく栽培されています。
秋から冬に収穫しますが、日もちがよいので一年中出回ります。

「野菜と果実」  小学館 2013年発行


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