しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

最後の日ソ戦・・・その2・米ソ関係

2020年06月15日 | 占守島の戦い
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志著 平成7年 国書刊行会発行 より転記。

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1945年2月のヤルタ協定において、
ソ連の対日参戦の見返りとして千島列島全部がソ連に引き渡されることになっていた。
その後も米軍は艦隊や航空部隊に千島攻撃を反復し、潜水艦はオホーツク海まで進入した。

1945年7月のポツダム会談時の米ソの作戦境界に関する協議で、
オホーツク海は米ソの共同作戦区域、
千島は第四海峡(幌筵島の南の海峡)を米ソの作戦境界で合意していた。海峡の北をソ連、南を米軍。

1945年8月16日、スターリンはトルーマンに
「千島列島すべて、さらに釧路市と留萌市を結ぶ線以北をソ連降伏地域に含める」要求をした。
スターリンは18日に、
「千島の合意」と「北海道北部の拒否」と「中千島へ米軍基地を設ける」回答と要求を受けた。
スターリンはトルーマンへの返事も出さず、樺太・千島・北北海道の作戦準備を並行して行なった。


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