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2012.10.16 愛媛県西条市「神風特攻記念館」
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「特攻」 栗原俊雄著 中公新書 2015年発行
大西はこう述べた。
「戦局はみなも承知の通りで、今度の『捷号作戦』にもし失敗すれば、それこそ由々しい大事を招くことになる。
したがって第一航空隊としては、ぜひとも栗田艦隊のレイテ湾突入を成功させねばならいが、敵の機動部隊を叩いて、少なくとも一週間くらい、敵の空母の甲板を使えないないようにする必要がある。
そのためには、
零戦に250キロの爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに、確実な方法はないと思うが・・・どんなものだろうか」
正攻法では、米軍にとうていかなわない。そのことは、大西ならずとも知っていたことだ。
連合艦隊のレイテ湾突入は迫っている。
単座で、副座の爆撃機よりも軽量で高速な「零戦」は機動性に優れ、敵艦に突入する可能性が高いとみられていた。
昭和19年10月19日夜10時、
甲種飛行予科練習生10期生23人を集合させた。
「感激に興奮し全員双手を挙げての賛成である。
小さなランプ一つの薄暗い室で、キラキラと目を光らせて立派な決意を示していた顔つきは、今でも私の眼底に残っている」
だがこの時集合させられた一人、の回顧には
思いがけなない話に、返答ができず棒立ちとなる10期生たちに
「行くのか、行かんのか!」と怒鳴ると、
隊員たちは反射的に全員手を挙げたとうのだ。
特攻は搭乗員らの「志願」によったものという証言、記録は多い。
一方で志願ではなく事実上の強制もしくは強制そのものであったという報告も多数残っている。
さらに戦艦「大和」以下第二艦隊10隻の沖縄水上特攻の場合、命令そのものが特攻であり、兵士は参加の意思を聞かれることはなかった。
生き残った者たちには、部下の「自発性」を縷々強調する機会があった。
死んでいった部下にその機会は永遠にない。
1/3は希望していなかった?
強制的であったとしたら、強制した者たちの責任が厳しく問われる。
自発的でなければ都合の悪い者たちがいた。
死へのカウントダウン
編成から出撃までの時間が長いと、士気を維持するのが難しい。
時間を短くするしかない。
命中率
フィリピン戦線では、命中率27%。
沖縄戦以降は8%という統計がある。
戦果とコスト
撃沈合計47隻
航空特攻は、海軍2431人、陸軍1417人 計3.848人
1隻沈めるために81人の兵士が死なねばならなかった。