ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
現在、 フジロック ブログ と化しています。

ジョン・クリアリー@渋谷クアトロ

2008-10-19 10:10:37 | ソウル、ファンク
JON CLEARY / MO HIPPA

08年10月15日、英国生まれのニューオーリンズ・ピアノマスター、ジョン・クリアリーのライヴを観てきました。場所は渋谷クアトロ。途中15分の休憩を挟む2部構成。7時半に開演し、終わったときは10時を回っているという大盤振る舞い。ニューオーリンズをベースに、ソウル、ファンク、ブルース、ラテンまで、まさにガンボな一夜でした。

ベレー帽を被って登場のジョン・クリアリー。現代の“プロフェッサー・ロングヘアー”とも評されるだけに、流石にキーボードとグランドピアノを弾き分けながら、躍動感たっぷりの鍵盤捌きを披露してくれました。そしてソウルフルな歌声にも痺れました。

またバックのアブソリュート・モンスター・ジェントルメンが凄かった! メンバーは、ヒップ・ホップなファッションで決めたCornell C. Williams (b)、巨体のDerwin "Big D" Perkins (G) 、ドレッド・ヘアのEddie Christmas (Ds)の3人。バックと言うよりジョン・クリアリーを含めたバンドといった感じで、4者4様ながらの息の合ったプレイはもう百戦錬磨な勢い。これは現代の“ミーターズ”か?

とにかくファンキー! 跳ねるドラムに、その隙間を埋めるがごとくぶっといグルーヴを演出するベース。そしてそれに絡みつくように細かいカッティングで心地よい流れを生み出すギター。3人のプレイがカチッとはまり極上のノリを生み出します。そして細かいブレイクやユニゾンがビシバシと決まる。あまりにタイト過ぎて泥臭さは希薄に感じましたが、ハネながらも重心の低いノリはやはりニューオーリンズ。

演奏曲では「Go To The Mardi Gras」や「Tipitina」、ミーターズの「Just Kissed My Baby」などでニューオーリンズ色を濃厚に振りまきますが、案外、オリジナル曲の「Sometimes I Wonder」、「Help Me Somebody」、「Cheating On You」辺りはアダルトな大人のソウルといった感じで、英国人らしいスタイリッシュな感性を感じさせます。また古き良きリズム&ブルースな「Those Lonely, Lonely Nights」も良い味わいでしたし、ブルース・ナンバー「Port Street Blues」も良かったです。

また「Tipitina」では中盤、ラテンなノリで盛り上がったり、「Help Me Somebody」ではDerwin "Big D" Perkinsのディープになりすぎずムードを保ちながらブルースとジャズの挟間をたゆたうような長尺ギター・ソロが素晴らしかったり、でもやっぱり「Mo Hippa」のようなファンキー・ナンバーが一番格好良かったかな。もちろんジョン・クリアリーの鍵盤にも酔いしれました。でも実は、一番前に陣取ってしまったせいか、ピアノはよく聞こえたものの、キーボードの音はあまり聴こえなかったんですけどね…。でもファンキーな曲ではその振動が伝わってくるほど足をずんずん踏み鳴らしてキーボードを弾くジョン・クリアリーは目茶苦茶ソウルフルで格好良かったです。

また、15分の休憩時間には、ニューオーリンズ名物のカンボ・スープが売り出されたり、終演後にサイン会があったりと、ライブ以外もお腹一杯のコンサートだったかも。

ちなみに今回、ジョン・クリアリーは単独では15年振りという来日公演だったそうです。招聘したのはバッファローレコード。来年もいくつかライヴを企画するとのことでしたので、今後の展開が楽しみです。ちなみに私、アンケートの今後呼んでほしいアーティスト欄に、グレイス・ポッターとサニー・ランドレスの名を書いておきました。あ、グレイス・ポッターってもうバッファローじゃなかったんでしたっけ?

さて、10月19日には、渋谷タワーレコードで17時より、ジョン・クリアリーのピアノ・ソロによるインストア・イベントがあるそうです。これは絶対に行かねば!!!!!



終演後のサイン会で頂いたサイン。上がジョン・クリアリーで左がベーシストのCornell C. Williams。私は英語がダメなのでサインと握手だけでしたが、他の方は話で盛り上がったり写メールを撮ってもらったり、かなり盛況でした。

ジェリー・ウェクスラーを偲ぶ

2008-10-17 12:26:37 | ソウル、ファンク
ARETHA FRANKLIN / RARE & UNRELEASED RECORDINGS FROM THE GOLDEN REIGN OF THE QUEEN OF SOUL

08年8月15日、アトランティック・レコードの中心人物の一人として一時代を築いたジェリー・ウェクスラーが、米フロリダ州の自宅で心疾患のため亡くなられたそうです。享年91歳。

ニューヨークで生まれ育ち、早くから黒人音楽に魅せられていたウェクスラーは、ビルボード誌のライターをやっていた時代、“レイス・レコード”という差別的な呼び方をされていた黒人音楽に対し、新たに“R&B”という呼び名を生み出しました。そう、今私達が普通に使っている“R&B”とういう言葉の生みの親が、実はこの人なのです。

そして53年にアトランティック・レコードへ入社。アトランティックは47年にアーメット・アーティガンとハーブ・エイブラムスンの二人が立ち上げたレーベルで、この二人の共同経営者の一人、エイブラムスンが徴兵された穴埋めにウェクスラーが招かれたそうです。いきなり重要ポストへの就任って感じですが、これがウェクスラーにとって運命の転職となるわけですし、この人事にはアーメットのウェクスラーに対する期待感と同時に、この当時まだアトランティックが小さなインディ・レーベルに過ぎなかったことが伺い知れます。

50年代のアトランティックはジャズにも力を入れていましたが、何と言ってもレイ・チャールズでしょう。レイ・チャールズがアトランティックを一つの軌道に乗せたといっても過言ではないと思います。他にもルース・ブラウンやジョー・ターナーなども居ましたし、ウェクスラーも嬉々として仕事に励んだことでしょう。しかし59年にレイ・チャールズがCBSに移籍。これはアトランティックにとって大打撃だったと思われます。しかしここからがウェクスラーの真骨頂な訳です。

07年3月号レコード・コレクターズ誌のアトランティック特集において、この後の生き残りを賭けた経営について『メインストリーム志向(白人ロック)のアーメットとダウンホーム志向(黒人R&B)のウェクスラー』と評されたごとく、60年代のアトランティックはこの2大路線を突き進んでいくわけですが、このダウンホーム志向を振り返れば、それは南部サウンド歴訪の旅と言えるものなのです!

アトランティックは61年にスタックス・レコードと配給契約を結びますが、そのもそもの始まりは、ウェクスラーがカーラ・トーマスの歌声を聴いたことからだったとか。カーラの1曲からスタックスとの契約にまで話しが進む辺りはどこかドラマッチックですし、ウェクスラーの音楽及び仕事に対する計り知れない情熱を感じます。そしてここからオーティス・レディング、サム&デイヴ、エディ・フロイドなど、珠玉の南部ソウルがリリースされていく訳です。さらにウェクスラーはウィルソン・ピケットなどアトランティックのアーティストをメンフィスに送り、スタックスのスタジオで録音させヒット作を作るという、ある種の“型”を作り上げます。

66年にウェクスラーは、コロンビアが手放したアレサ・フランクリンを獲得します。コロンビアでは成功を掴めなかったアレサでしたが、そのゴスペル仕込みの歌唱方はウェクスラーの南部ソウル路線にぴったりとはまり、一躍トップ・シンガーへと駆け登ります。そしてこの時、スタックスに変わってウェクスラーが目をつけたのはメンフィスはマスル・ショールズのフェイム・スタジオでした。

スタックスの次はマスル・ショールズですよ! 彼のおかげで南部ソウルは全国区になり、さらに日本にいる私のようなものの耳にまで届いたと言っても過言ではないでしょう。オーティスやアレサの素晴らしい歌声はもちろん、スタックスのブッカー・T&ザ・MG’Sや、マスル・ショールズのロジャー・ホーキンスにデヴィッド・フッドと言った地元のミュージシャン達。そしてマイアミのクライテリア・スタジオも然り。我々がこれら南部サウンドに酔いしれることが出来るのも、ウェクスラー様々な訳です。

さて、先ほどアトランティックについて『白人ロックvs黒人R&B』的なニュアンスの表現をさせて頂きましたがが、その黒人R&B志向のウェクスラーも南部派の白人ロックには愛着を持っていたようです。

98年8月号レコード・コレクターズ誌のスワンプ・ロック特集では、ウェクスラーが売り出したロニー・ホーキンスやデラニー&ボニーを引き合いに出し、スワンプ・ロックの成り立ちについて、『「スワンプ・ロック」という言葉を生み出し、その名のもと、ある種のスタイルを持った音楽の売込みをはかったのは、ジェリー・ウェクスラーだった。』と論じられています。

アトランティックからはデラボニやドミノスはもちろん、ドニー・フリッツやロジャー・ティリソン、ジェシ・エド・デイヴィスなど数々のスワンプ・ロックの名盤がリリースされています。どれもこれも私の琴線を刺激しまくる名盤達です。そしてそれらにジェリー・ウェクスラーの趣向と愛着を感じぜずにいられないのです。

また、ウェクスラーはスワンプ以外にもダグ・サームの「DOUG SAHM & BAND」やドクター・ジョンの「GUMBO」、さらにウィリー・ネルソンのマスル・ショールズ録音「PHASES AND STAGES」なんかも手がけていますから、ホント凄い人です。


さて、アトランティックというインディー・レーベルは67年にワーナー傘下へ入りますが、これを提案したのは以外にもウェクスラーだったそうです。音楽業界が巨大になるにつれ、インディ・レーベルが生き残っていくための手段として苦渋の選択だったと思われます。もちろんその決断には賛否両論あると思います。でもアトランティックは生き残りましたからね。そしてウェクスラーは75年にアトランティックを去ります。そしてアトランティックがアトランティックらしかった時代も幕を下ろすことになります。


02年にエンジニアのトム・ダウド、06年にプロデューサーのアリフ・マーディンと創設者アーメット・アーティガン、そして今年、ジェリー・ウェクスラー。近年、アトランティックの黄金時代を築き上げた立役者達が次々と亡くなられてしまいました。あの時代のアトランティックの音楽が大好きな私にとっては寂しい限りですが、こればっかりは仕方が無いですね。

ジェリー・ウェクスラーさん、安らかに。


写真は昨年発売されたアレサ・フランクリンの究極レア音源2枚組アルバム。このアルバムにはメチャクチャ興奮させられました。そしてこれを編纂したのがジェリー・ウェクスラー。まさに晩年の大仕事! また愛情溢れるライナーも執筆しているそうなのですが、英語がダメな私が買ったのは輸入盤なので残念ながら読めてません…。





チャック・カーボを偲ぶ

2008-10-08 17:36:50 | ソウル、ファンク
CHUCK CARBO / THE BARBER'S BLUES

08年7月11日、ニューオーリンズの愛すべきリズム&ブルース・シンガー、チャック・カーボが亡くなられました。82歳だったそうです。どちらかと言うとマイナーなアーティストかもしれませんが、その独特な艶と気品のある柔らかい歌声は「ニューオーリンズの声」とまで評された偉大なシンガーなのです。

私が初めてチャック・カーボの歌声を聴いたのは、96年にEMIから4枚組みでリリースされたニューオーリンズR&Bのアンソロジー盤「CRESCENT CITY SOUL THE SOUND OF NEW ORLEANS 1947-74」。これはニューオーリンズ音楽好きの私にとってバイブルみたいなもので、今でも良く聴きますし、各曲ごとにプロデューサーやバック・ミュージシャンまで記載されたライナーも含めて貴重な資料として重宝しています。ここに THE SPIDERS というコーラス・グループの曲が4曲収録されていますが、そのリード・ヴォーカルがチャック・カーボなのです。

THE SPIDERS は50年代に活躍し、当時のニューオーリンズで最も成功したコーラス・グループと言われています。代表曲となる54年の「I Don't Want To Do It」はR&Bチャートの3位まで上がったそうです。他にもデイヴ・バーソロミューのプロデュースによる「I'm Slippin' In」や「Witchcraft」などのヒット曲があり、後者は後にエルヴィス・プレスリーにカヴァーされています。

この頃から既にチャック・カーボの歌には、飾らないながらも惹きつけられずにはいられない“まろやかさ”と“なめらかさ”があり、そこにある種の色気を感じるような、そんな魅力を放っています。アップ・ナンバーも素敵ですが、スローな「You're The One」で聴かせる低くダンディな声も堪りません。ちなみにこのグループにはチャックと兄弟のチック・カーボもシンガーとして在籍していました。

しかしこの後のチャック・カーボの足取りが私にはよく分かりません。60年代には既にソロ・アーティストへ転向していたのは間違いないようですが…。

昨年発売されたニューオーリンズのレア音源集「THE SOUND OF NEW ORLEANS」。ここにおそらく60年前後と思われるチャックのソロ曲が3曲収められています。マック・レベナック(ドクター・ジョン)のプロデュースによりエイス・レコード系に吹き込まれたもので、これが“もっちゃり”としてどこか“のほほん”としたいかにもニューオーリンズR&Bな味わいで最高なんです。作者クレジットは“Carbo”となっているので、おそらくチャック・カーボの自作曲なんでしょうね。もちろん歌も最高です。

そして一連のニューオーリンズ・レア・グルーヴ発掘の波に乗って数年前にリイシューされた「EDDIE BO'S FUNKY FUNKY NEW ORLEANS」。こちらはタイトル通りエディ・ボーがプロデュースしたレア音源を集めたもので、68年から71年の録音集。このアルバムのトップに収められたのがチャック・カーボの2曲、「Can I Be Your Main Squeeze」と「Take Care Of Your Homework」。ヴードゥー・ファンクな前者の格好良さも特筆ものですが、ファンキー・サウンドをバックにチャックの歌心が冴える後者もなかなか。

残念ながらこの後しばらくのチャックの活動が全く分かりません…。一時期、音楽活動から遠ざかっていたのでしょうか? ですが90年代に入ってラウンダーから「DRAWERS TROUBLE」(93年)、「THE BARBER'S BLUES」(96年)という充実作を発表しています。ニューオーリンズをベースにジャズやブルースをブレンドさせた、近年の作品らしい仕上がり。声には多少のしわが感じられるようになりましたが、それもまた魅力的で、どうにも人を惹き付けてしまうようなチャックらしい魅力は健在なのです。

ですがおそらくこの「THE BARBER'S BLUES」が最後の作品になってしまったようです。彼の声を聴いていると、その優しいソウルが胸に染みますね。特にジャズ・スタンダード「The Very Thought Of You」の味わいは格別。

ニューオーリンズならではの歌心を持ったシンガー、チャック・カーボさん、安らかに。





アイラ・タッカーを偲ぶ 2

2008-10-04 20:22:12 | ゴスペル
THE DIXIE HUMMINGBIRDS / DIAMOND JUBILATION

前回からの続きです。

08年6月24日に亡くなられたアイラ・タッカー。享年83歳。伝説的なゴスペル・カルテット、ディキシー・ハミングバーズのリード・ヴォーカリストでした。

その全盛期は、ゴスペル・カルテット黄金期と呼ばれる50年代か、さらにグラミー賞を受賞した70年代辺りまででしょうか。ですが今回は晩年と言える03年の作品を紹介します。それは結成75周年記念作「DIAMOND JUBILATION」(写真)。実はこれ、私が大好きなアルバムなのです。

もちろん、創設メンバーのジェイムズ・デイヴィスや、屈指のベース・シンガーだったウィリアム・ボボなど、初期メンバーはもう居ません。ですがアイラ・タッカーはまだまだ健在でした。この時既に70代後半。ですがほとんどの曲でリード・ヴォーカルを務めています。そして彼を支える4人(5人?)のメンバーも流石の歌声。男性コーラスの魅力を存分に堪能させてくれます。

しかもこのアルバムの魅力はそれだけではありません。バック・メンバーが魅力的なんです。リヴォン・ヘルム(ds)、ガース・ハドソン(key)のザ・バンド組と、ラリー・キャンベル(g)、トニー・ガーニエ(b)、ジョージ・レシル(per)のボブ・ディラン・バンド組。ある意味、新旧ボブ・ディラン・バンドの共演な訳であります。そして“ゴスペル meets ルーツ・ロック”とも言えるコラボレーション。コアなゴスペル・ファンの方々には薄味に感じられるのかもしれませんが、私は大歓迎です!

ラリー・キャンベルのマンドリンが軽快にリズムを刻む1曲目「God's Radar」。ガース・ハドソンのアコーディオンが入ると一気にケイジャン風味を増します。枯れた味わいの中にも力強さの宿るアイラ・タッカーの歌声がまた素晴らしい。そして間を埋めるかのように挟まれるラリー・キャンベルの土っぽいエレキ・ギター・フレーズがまた格好イイ!

ラリー・キャンベル作の4曲目「Someday」は彼のアコギ・テクニックも光りますが、アイラ・タッカーのキレのあるヴォーカルと、それを後押しするハミングバーズのコーラスワークが素晴しい。たとえメンバーが変わってもゴスペル・カルテットのトップ・グループである地位は揺るがないでしょう!

そんなハミングバーズの魅力はキャンベルのギターのみをバックに歌われるスピリチュアルな5曲目「When I Found Jesus Christ」で最も光ります。こういう曲は本当に素晴らしい。男性コーラスならでは低音の魅力は荘厳ですらあります。

つづくブルーズン・ソウルな「When I Go Awey」では他の曲とはまた違うタッカーのコクのある歌声が楽しめます。またブレイク部分でのコーラス・ワークはカルテットの腕の見せ所。そしてこの曲でエレピを弾いてるのはドクター・ジョン。

そしてやっぱりなボブ・ディラン曲「City Of Gold」。ハミングバーズのメンバーがリードを繋いでいくスタイルで歌われ、それぞれソウルフルで美しい喉を披露。そんな歌声をバック・アップする幸福感が溢れるような演奏も最高。特にガース・ハドソンのオルガンが堪りません。ちなみにこの曲は映画「MASKED AND ANONYMOUS(邦題『ボブ・ディランの頭のなか』)」のサウンドトラック盤にボーナス・トラックとして収録されました。

さらにキャンベルのスライド・ギターが冴えるカントリー・ブルース・ゴスペルな「Nobady's Fault」も格好良いですし、暖かい質感の「I Bid You Goodnight」ではいぶし銀のタッカーのヴォーカルに心が和みます。そしてゴスペルらしいシャッフルのアップ・ナンバー「Rasslin' Jacob」がラストを締めます。

総評として、まずプロデューサーを務めたラリー・キャンベルに拍手。ゴスペル・カルテットの魅力を芳醇な南部フィーリングで見事に纏め上げました。そして土っぽくも躍動感溢れるノリを演出するリヴォン・ヘルムとトニー・ガーニエのリズム隊にも拍手です。そしてもちろんアイラ・タッカーを中心にした人間味溢れるハミングバーズの歌声! バックの演奏に見事に溶け込みながらも圧倒的な存在感です。それはバック・ミュージシャンのハミングバーズに対するリスペクトと、早くから様々なコラボを経験してきたハミングバーズの経験値のなせる業でしょうか。さらに当たり前ながら米ルーツ・ミュージックって地続きなんでだな~、としみじみ思ったり。そしてやっぱりゴスペルって良いですね! 名盤です。

あ、ちなみにディキシー・ハミングバーズはこの後、07年にアルバム「STILL KEEPING IT REAL』がグラミー賞「Best Traditional Gospel Album』部門にノミネートされましたが、残念ながら受賞は逃しています。


アイラ・タッカーさん、安らかに。