肝に銘じます。
昨日の記事では、こう書いた。
「立行司2人と三役格行司1人が停年を迎えるが、特に補充の発表はない。
史上二度目の『立行司不在』と、初の『三役格2人が最高位』となるのだろうか…」
しかし、今日になって行司の昇格人事が発表された。
立行司=3代木村朝之助を35代式守伊之助に(2月10日付)
三役格=木村城之介・9代式守勘太夫・9代式守與之吉
幕内格=5代木村玉治郎・木村恵之助・4代木村善之輔
十両格=3代式守慎之助・木村堅治郎・2代木村要之助・式守脩(以上、3月1日付)
34代伊之助親方は2月9日に、32代木村庄之助親方は12日に停年退職し、やはり庄之助は空位となる。
去年の9月に三役に上がったばかりの11代式守与太夫さんが早くも三役格筆頭になり(しかも次席行司)、三役格4人体制が続く。
1月場所は上位行司の休場で、千秋楽には、幕内格最下位の木村和一郎さんまでが幕内を裁き、立行司以外にも、幕内格以下の動向も注目していたが…。
資格者(十両以上)が4人も増え、ますます付け人は大変そうだ。定員の増加も考えるべきである(退職者の補充は?)。
新・伊之助親方は、昭和30年5月初代木村要之助で初土俵。39年7月政裕、42年1月要之助に戻り、47年1月賢喜、49年1月友一、52年11月十両昇進で朝之助を襲名。式守家は初めてであろう(38年7月のみ「式守要之助」となっているが、はて?)。平成2年1月幕内格、13年1月三役格。
本名は「野澤要一」と言い、初名の「要之助」はここから命名されたようだ。なお、来年3月限り停年退職である。
城之介さんは、昭和37年5月木村順一で初土俵。41年3月純一郎、9月順一、51年3月旬一、55年5月より城之介。59年1月十両格、平成6年1月幕内格。
勘太夫さんは、昭和33年5月式守洋一で初土俵。54年3月太一郎、59年1月十両格、平成2年1月8代與之吉を襲名、6年1月幕内格、13年1月勘太夫襲名。来年7月限り停年予定。
與之吉さんは、昭和39年5月式守敏廣で初土俵。60年1月十両格、平成7年1月幕内格、13年1月與之吉襲名。12年より番附書きの責任者を務める。
與之吉は代々勘太夫を襲名しているので、現・勘太夫退職後は10代目を襲うはず。また、伊勢ケ濱部屋と井筒部屋で交互に襲名するので、現・8代式守錦之助さんが次期與之吉?
玉治郎さんは、昭和51年3月木村雅之助で初土俵。平成5年1月十両格、15年1月玉治郎襲名。
恵之助さんは、昭和52年11月木村裕司で初土俵。54年1月恵之助、60年1月恵乃助、3月武蔵、61年1月恵之助に戻り、平成6年1月十両格。
善之輔さんは、昭和54年11月木村春男で初土俵。55年3月春夫、平成6年1月十両格、7年3月善之輔襲名。
慎之助さんは、平成元年3月木村裕光で初土俵。8年1月慎之助襲名。先代・先々代は錦太夫を襲っているが、既に名跡は埋まっている。さて?
堅治郎さんは、平成2年3月木村紀之で初土俵。6年1月より堅治郎。
要之助さんは、平成2年3月木村真志で初土俵。6年1月要之助襲名。次は朝之助? と考えたいが、新・伊之助親方は高砂部屋で、部屋には幕下格筆頭の木村勝次郎さんがいる。分家・東関部屋の要之助さんの襲名は…?
脩さんは、平成2年5月木村修で初土俵。4年1月式守修一郎、14年3月修、16年3月より脩。
我が銀河大角力協会の行司表は、とりあえず2月13日現在で更新。
人気blogランキングへ
昨日の記事では、こう書いた。
「立行司2人と三役格行司1人が停年を迎えるが、特に補充の発表はない。
史上二度目の『立行司不在』と、初の『三役格2人が最高位』となるのだろうか…」
しかし、今日になって行司の昇格人事が発表された。
立行司=3代木村朝之助を35代式守伊之助に(2月10日付)
三役格=木村城之介・9代式守勘太夫・9代式守與之吉
幕内格=5代木村玉治郎・木村恵之助・4代木村善之輔
十両格=3代式守慎之助・木村堅治郎・2代木村要之助・式守脩(以上、3月1日付)
34代伊之助親方は2月9日に、32代木村庄之助親方は12日に停年退職し、やはり庄之助は空位となる。
去年の9月に三役に上がったばかりの11代式守与太夫さんが早くも三役格筆頭になり(しかも次席行司)、三役格4人体制が続く。
1月場所は上位行司の休場で、千秋楽には、幕内格最下位の木村和一郎さんまでが幕内を裁き、立行司以外にも、幕内格以下の動向も注目していたが…。
資格者(十両以上)が4人も増え、ますます付け人は大変そうだ。定員の増加も考えるべきである(退職者の補充は?)。
新・伊之助親方は、昭和30年5月初代木村要之助で初土俵。39年7月政裕、42年1月要之助に戻り、47年1月賢喜、49年1月友一、52年11月十両昇進で朝之助を襲名。式守家は初めてであろう(38年7月のみ「式守要之助」となっているが、はて?)。平成2年1月幕内格、13年1月三役格。
本名は「野澤要一」と言い、初名の「要之助」はここから命名されたようだ。なお、来年3月限り停年退職である。
城之介さんは、昭和37年5月木村順一で初土俵。41年3月純一郎、9月順一、51年3月旬一、55年5月より城之介。59年1月十両格、平成6年1月幕内格。
勘太夫さんは、昭和33年5月式守洋一で初土俵。54年3月太一郎、59年1月十両格、平成2年1月8代與之吉を襲名、6年1月幕内格、13年1月勘太夫襲名。来年7月限り停年予定。
與之吉さんは、昭和39年5月式守敏廣で初土俵。60年1月十両格、平成7年1月幕内格、13年1月與之吉襲名。12年より番附書きの責任者を務める。
與之吉は代々勘太夫を襲名しているので、現・勘太夫退職後は10代目を襲うはず。また、伊勢ケ濱部屋と井筒部屋で交互に襲名するので、現・8代式守錦之助さんが次期與之吉?
玉治郎さんは、昭和51年3月木村雅之助で初土俵。平成5年1月十両格、15年1月玉治郎襲名。
恵之助さんは、昭和52年11月木村裕司で初土俵。54年1月恵之助、60年1月恵乃助、3月武蔵、61年1月恵之助に戻り、平成6年1月十両格。
善之輔さんは、昭和54年11月木村春男で初土俵。55年3月春夫、平成6年1月十両格、7年3月善之輔襲名。
慎之助さんは、平成元年3月木村裕光で初土俵。8年1月慎之助襲名。先代・先々代は錦太夫を襲っているが、既に名跡は埋まっている。さて?
堅治郎さんは、平成2年3月木村紀之で初土俵。6年1月より堅治郎。
要之助さんは、平成2年3月木村真志で初土俵。6年1月要之助襲名。次は朝之助? と考えたいが、新・伊之助親方は高砂部屋で、部屋には幕下格筆頭の木村勝次郎さんがいる。分家・東関部屋の要之助さんの襲名は…?
脩さんは、平成2年5月木村修で初土俵。4年1月式守修一郎、14年3月修、16年3月より脩。
我が銀河大角力協会の行司表は、とりあえず2月13日現在で更新。
人気blogランキングへ
