三役行司の木村正直さん(4代目)が29日に亡くなったという。
「正直」というのは朝日山部屋に代々伝わる名跡で、初代は大阪相撲の立行司木村玉之助から越後を名乗った名行司。2代目の時に東西合併で加入。行司停年制が実施された昭和35年に、上位の行司はみんな退職したので伊之助を飛び越えて23代庄之助を襲名。3代目は24代伊之助。この3代目が正直さんの師匠に当たる。
昭和44年5月、木村幸久(本名の山内幸久より)で初土俵。46年7月正義、59年3月正直を襲名。平成2年1月十枚目、15年1月幕内、20年9月三役行司に昇格。
「のこった、のこった」をいう特徴あるガラガラ声は、好角家からは「うるさい」と親しみを込めて呼ばれた正直さん。平成22年9月より「肝細胞がん」治療のため休場。23年1月まで休場し、3月復帰予定だったが折悪く“八百長騒動”により場所がなくなり、復帰は5月からとなった。
24年11月場所10日目(11月20日)、「肝細胞がん術後再発、多発性転移性骨腫瘍、肝不全、全身浮腫」により休場。9日目の裁きが最後となった。この時のコメントは「ドクターストップがかかった。このままでは、命と引き換えになっちゃうよと言われた。10代で入門して、60歳近くまで、好きな行司を四十何年やってきた。急にダメと言われてもね…」(日刊スポーツ記事より)ということで、復帰はかなり厳しかったと思われる。
あれから2ヶ月余。1月場所が終わり、明日は番附編成会議と言うタイミングでの逝去。3月場所の番附には、もう「木村正直」の文字はない。
ご冥福をお祈りします。
「正直」というのは朝日山部屋に代々伝わる名跡で、初代は大阪相撲の立行司木村玉之助から越後を名乗った名行司。2代目の時に東西合併で加入。行司停年制が実施された昭和35年に、上位の行司はみんな退職したので伊之助を飛び越えて23代庄之助を襲名。3代目は24代伊之助。この3代目が正直さんの師匠に当たる。
昭和44年5月、木村幸久(本名の山内幸久より)で初土俵。46年7月正義、59年3月正直を襲名。平成2年1月十枚目、15年1月幕内、20年9月三役行司に昇格。
「のこった、のこった」をいう特徴あるガラガラ声は、好角家からは「うるさい」と親しみを込めて呼ばれた正直さん。平成22年9月より「肝細胞がん」治療のため休場。23年1月まで休場し、3月復帰予定だったが折悪く“八百長騒動”により場所がなくなり、復帰は5月からとなった。
24年11月場所10日目(11月20日)、「肝細胞がん術後再発、多発性転移性骨腫瘍、肝不全、全身浮腫」により休場。9日目の裁きが最後となった。この時のコメントは「ドクターストップがかかった。このままでは、命と引き換えになっちゃうよと言われた。10代で入門して、60歳近くまで、好きな行司を四十何年やってきた。急にダメと言われてもね…」(日刊スポーツ記事より)ということで、復帰はかなり厳しかったと思われる。
あれから2ヶ月余。1月場所が終わり、明日は番附編成会議と言うタイミングでの逝去。3月場所の番附には、もう「木村正直」の文字はない。
ご冥福をお祈りします。
